●ホーム●ニュース●コラム●05.10
横校労ニュース
トピックス
●コラム(読者日記)
養護学校のこと・書評など。
気まぐれ中年読書日記  ― 番外編―

 田中 敏治

 かなしみを身に
 よろこびは遠く
 この旅は果もないのだ
 つまみ出された私、 小さな、
 日本の猿。
 かじってゐた木の実も
 すてずばなるまい。

……今度の学生徴集に表面丈でも万歳を唱へてゐる奴はかうして自分達がこの動乱の中心点にのり出す花々しさに、 世界戦争の花形役者となるうれしさに酔ってゐる為に他ならぬ。 花形どころかみじめな道化役者だとさへ彼らの円いおでこは気がつかないのだ。 いやピエロはまだしもかなしみを知ってゐよう。 一塊の泥人形だ。 せいぜい一匹の猿だ。 私はそして幾分か聡い猿なのだろう。 何れにせよ猿なことは間違ひない。
 これは学徒出陣で召集された中井英夫の 『中井英夫戦中日記・彼方より〈完全版〉』 (〇五年河出書房新社) の冒頭の部分です。 「自棄的な虚無に住み始め」 ながら、 漱石山房が 「犬と大差のない」 陸軍将校の宿舎になったことへの怒りや三浦環独唱会を聴きに行ったりして入営までをすごしたことが記されている。 そして翌昭和一九年八月、 市ヶ谷の参謀本部に配属される。 「真下の部屋には三笠宮が真新しい参謀肩章を吊して執務している」 所で戦争をのろう日記を書き続けた。 それが無名だった中井英夫です。
 再び独逸の敗れる日は近い。 かうして欧州大戦の終了とともにべうたる一孤島に奮戦する日本の運命も決定的のものたらざるを得ない。 つまらない時にうまれた。 …再び云はう。 戦火の巷に尚笑顔をもて、 生きてゆく日の限りをたかくきよく持すべき精神を今すぐにも掴めと。 「敗戦」 の極みにこそ次の日の栄光を約し、 かたりつぎいひつがれるべき魂を持てと。 (昭和二〇年四月二七日)
 ここには 『きけわだつみのこえ』 (光文社) やたとえば 『わがいのち月明に燃ゆ』 (林尹夫著) や 『わだつみのこえ消えることなく』 (和田稔著) 等にある〈自省〉や〈内省〉を中心とした〈自己浄化〉的なものがありません。 怪作 『虚無への供物』 の作家らしく 「死の領域に移行しつつある〈私〉の肉体を、 肉体からなかば離脱した〈私〉の意識が眺めるという構図」 (山崎賢子の解説) で書かれているぶん、 語弊があるかも知れませんがおもしろい。 その彼は八月一五日をどのように迎えたのか。 「昭和二〇年八月一一日、 腸チフスと診断されて世田谷の陸軍病院にはこばれ、 危篤状態におちいったまま敗戦を迎えた」 という。 意識が回復したのは九月になってからだというのだから、 いかにも中井英夫らしいではないか。 復刊版だというが私にとっては初めての本であり、 古本という感じは微塵もない。 あの安原顕が雑誌 『海』 に一挙掲載したことも知らなかった。 初めて読む本はすべて新刊である。
  ※
 同じ伝記だが、 植村鞆音著 『直木三十五伝』 (文芸春秋) は、 ペンネームからしてそうだが〈畸人〉ぶりが楽しい。 作者は甥。
 金城一紀の新刊 『SPEED』 (角川書店) は、 『フライ、 ダディ、 フライ』 の女子高生版とも言える作品、 これまたおもしろく読めます。 梨木香歩著 『村田エデェンディ滞在録』 (角川書店) はトルコはスタンブールの下宿での穏やかな日々の記録として始まった物語がやがて作者得意の不可思議なものが入り込んできて……梨木児童文学の大人版。 読書した!という実感が持てます。

©1999-2005 横浜学校労働者組合
本サイトの内容を無断で他に転載,複写する事を禁じます。