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財源問題を隠蔽し、 障がい者の生存を脅かす 「障害者自立支援法」

朝倉 賢司

 多くの障がい者団体の反対運動があったにもかかわらず、 十月三十一日障害者自立支援法が成立した。 障がい者福祉における小泉流行政 「改革」 と言えるものである。 最初に論断してしまえば、 この法律は自立を支援するどころか、 自立を阻害し障がい者を切り捨てるものでしかない。
 ここ二〇数年来の新自由主義的改革路線に基づく規制緩和の福祉版である社会福祉基礎構造改革は、 一九九九年に当時の厚生省から大綱が示され障害者福祉施策も順次変えられてきている。 〇四年には厚労省は 「改革のグランドデザイン案」 を出し今回の法律の要綱を案として示したが、 多くの問題を含むことから論議が巻き起こった。 これに先立つ〇三年から実施された支援費制度の実態は、 今回の自立支援法の強引な成立に繋がるものであったといえる。
 社会福祉基礎構造改革は、 従来の行政による措置制度から 「利用者が事業者と対等な関係に基づきサービスを選択する利用制度」 に変えるものとしている。 しかし少数者である障がい者に対するサービスを市場化して事業として成り立ち得るかどうか、 その結果責任は国家そのものにある。
 二年前の支援費制度導入時は、 自己選択の契約により利用者本位で、 多様な供給主体 (事業者) の参入が得られるという期待を持って受け取られたことは事実である。 しかし、 理念は謳われたもののサービスに需要の十分な 「市場調査」 がされていたとは言いがたく、 拙速な導入が施行にあたって心配されていたのだ。 支援費制度は、 そもそも福祉における社会全体のコスト削減のために市場化=民営化をはかったもので、 福祉サービス供給システムの変更でしかなく、 質的な改善や利用量の変更は市場のシステムに丸投げされたにも等しいものであった。 その結果、 初年度の〇三年度には一三〇億円、 〇四年度には二五〇億円もの赤字、 つまり予想されたサービス利用量と予算との食い違い=見込みの甘さを露呈したのである。 この対応策としてサービスの理念が違うものの、 年間五兆五000億円という支援費制度の十倍の財政規模をもつ介護保険への統合が打ち出されたりしたのである。 立法の理念や障がい者主体のサービスの質・量の問題は置き去りにされ、 財政問題=財源論そのものに置き換えられてしまったのである。 背に腹は代えられないというわけである。

 自立支援法の問題点
 この法律のねらいのトップに掲げられているのが、 障がいの種類 (身体、 知的、 精神) にかかわらず一元化したサービスを行なうというものである。 原理的にいえば障がい者に対する一本化した施策が出されるのは評価すべきであろうが、 難病や広汎性発達障害 (自閉症など) が対象になっていないこと、 そもそもなぜ統一した形で出す必要があるのか、 現行の障害者福祉制度体系の問題点を分析する視点が明確でないのだ。 一方で、 「子どもと成人」 「医療と福祉」 などという機械的な一元化もみられる。
 多くの障がい者団体から抗議の声が沸き起こったのが、 介護保険と同率の1割負担という 「応益負担」 の問題である。 一か月6〜8万円の障害基礎年金と1万円前後 (大半は数千円) の地域作業所等での収入しかない多くの障がい者にとって、 これまでの 「応能負担」 を変更されることは生活を制限せざるを得ないだけでなく、 二四時間の介護が必要な重度障がい者にとっては生命そのものの問題にもなってくる。 負担が増えれば生きていくのに必要な最小のサービスの利用すら減らさざるを得ないのだ。 衆院での可決に当たって税制改正などにより所得保障の一部修正案は可決され、 また負担金の上限設定などの緩和策も出されたがこれらが実効性を伴ったものになるかが問題である。 つつましい生活すら制限せざるを得ない 「自立支援」 とは一体何なのかと言いたい。
 かなりの数のマスメディアは、 この法が障がい者の就労支援として 「もっと働ける社会」 へ期待を込めてはいるもののピンボケとしか言いようがない論評をしているが、 行政 (横浜市の教育行政も然り) も含め法定雇用率未達成の企業、 事業体に対し、 お題目ではなく実効性のある施策がなされるのか、 具体性に乏しいものとなっているのだ。 しかも厚労省行政とはいえ、 厚生 (福祉) 側からのものが主体になっていて (支援する立場からの法律だからというのだろうが)、 労働 (雇用) 側の責務に乏しいものになっている。 むしろ 「福祉就労」 を一般の労働に捉えようとするなどの問題点を持ったものになっている。 「この法の第一条には 「障害者及び障害児がその有する能力及び適性に応じ」 となっていることをみると、 相変わらずの能力主義的な土台に裏打ちされたものであると言えるのだ。
 福祉サービスの利用にあたって、 この法は 「公平なサービス利用のための 『手続きや基準の透明化、 明確化』」 を掲げている。 理念としては先進的なものを持っていた支援費制度において、 自己によるケアマネジメントなど当事者が選択・決定過程に主体的に関わることが可能であったのだが、 自立支援法ではサービスし給料の審査にあたり障がい者の生の生活を知らない 「専門家」 が公平性の名の下に機械的な判断・決定を下す可能性が高い。 わずかながらも進展してきた、 障がい者の社会参加に向けたサービス利用を広げるのではなく、 いかに上限や制限をつけるかを公平性や専門家の介在によって実現するというものになりかねない。 公平なサービスに名を借りたサービス利用の制限であり、 支出抑制のためのものであるなら意味がない。 一般論として行政サービスの不均等な利用や受益者負担の論理を、 収入面で非常に厳しい生活をしている障がい者にそのまま適用しようとすることは、 正に 「弱者切り捨て」 と言わざるを得ない。 「納税者の理解が必要だ」 というのは、 官僚が、 支出抑制なり 「改革案」 を通そうとする時に頻発する言辞である。 障がい者に対するサービスの提供による生活が、 健常者の生活とどれほど差のあるものなのか、 実態を知らない・知ろうとしないのを承知の上で一般論を垂れるのに対し、 それに呼応するべきではない。
 一九八一年の国際障害者年を契機として、 我が国でも各種の福祉施策が進められてきた。 最近では〇三年の支援費制度の導入も理念的には評価したい。 しかし、 自由化・規制緩和の流れの中で行政改革、 財政健全化が主要命題となり、 自己責任の名の下に行政が果たすべき責任を放棄し、 結果的に弱者は消えてなくなれとばかりに障がい者に対しても過酷な仕打ちがなされていると言わざるえない。 自立支援法にしても 「働けるものは働かせる」 ことにより社会的支出を削減するという意図が隠されている。 (もっとも障がい者に対する教育・福祉が、 人権的なものより社会的財政コストの削減であるというのも官僚の思考の根底にある。)
 人権的・福祉的な法制度だけでなく、 国家予算をみても社会福祉費は社会保障関係費の一〇%にも満たない。 また、 国民所得に対する社会保障給付費でみると北欧各国は別格としても、 独・仏・英の三分の二程度であることからも、 隠された財政論 (実はこれがメインである) に対し生存権・生活権から反撃していかなければならない。
 自立支援法には 「三年後見直し規定」 があり、 それまでに再検討を迫るだけの主体と支援の動きを作っていくことが重要である。 障がい児・者とかかわる者として共に闘いたいと思う。

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