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「最期」 の始め その十五
「最初で最後?」
  「越後屋、 お主も悪よの〜」 「いや、 お代官様ほどでは」。 ・・・時代劇を地でいく記事が七月三日の読売新聞に載った。 「信用保証大手の前会長が、 国税調査中、 銀座の料亭で、 自民議員らに八〇〇万円手渡す」 というもの。 会食の費用約二六万円も 「全国保証」 が負担していたという。 実は六月二四日、 「最初で最後」 の気持ちで浅草の花柳界ツアーに参加したばかりだっただけに、 無関心でいられなかった。 そこでその時渡された資料 (「花街の変遷について」 全国料理業生活衛生同業組合連合会平成一八年二月一〇日) を出して、 東京の料亭数の変遷を調べてみた。 一九七三年七六八店だったものが二〇〇四年四月には六一店、 二〇〇五年二月現在の浅草では一四軒に激減しているという。 激減の原因は、 料亭政治が行われなくなった?こともあろうが、 例えば江戸時代の庶民はかなり遊び上手だったのではないか。 『江戸庶民の楽しみ』 (中央公論新社青木宏一郎) によれば、 油断するとすぐ歌舞伎、 寄席、 大相撲、 人形芝居等で遊ぶ庶民に対して、 支配者が 「ことあるたびに働くように叱咤したりしていた」 という。 さて 「最初で最後」 の当日のこと。 Tシャツばかりか、 穴の空いた靴下もだめという条件は苦痛だったが、 九名になれば団体割引?があり、 最近は若い女性客も増えているという触れ込みも気に入って、 一度は体験しておこうという思いになった。 頭は職人風に決め、 当面?の肥満のため新調しておいたスーツに身を包み、 シャツの色に合わせて靴下と靴を選ぶなど気合を入れたら、 「浅草雷門」 に早めに着いてしまい、 「仲見世通り」 の初探索へ。 すると向こうから二人の外国人と携帯電話を持ち上げた一群を引き連れて若い女性二人がやってくる。 顔がまるまる見れたのだから、 “叶”姉妹って相当背が高い。 その後、 料亭に行く前に中古の和太鼓を求める友人と店を探していると、 「浅草橋」 から速足で歩き続けたせいか、 突然靴底に異変が起きた。 靴下の穴どころか、 靴底が欠けて穴が空いてしまったのだ。 和太鼓が仏壇と一緒に売られていることも驚きだったが、 靴とカバンが格安で入手できる浅草は問屋の町でもあることを身をもって知った。 結局一一名がそろって喫茶店で事前のレクチャー。 「料理業組合」 に勤める 「ガイド」 さん (自ら三味線も習い始め、 日頃から地に着いたアイデンティーとして“粋”を説く) から、 「普通のサラリーマンでも月に数回いく居酒屋を二、 三回我慢すれば、 料亭での食事は“叶”?」 との勧めや、 「浅草花街も“市民に開かれた花街づくり”として、 料亭での芸妓による昼食会を企画したりしている」、 そして 「最近は芸妓になろうとする若い女性も現れている」 との報告があった。 振り返れば、 我々の食事時間はとても短い。 それを充実するための内容の一つがお座敷芸なのではないか。 幇間の一人芸の巧みさ、 話題の豊富さ、 そしてお酌する手には白粉を塗らない、 芸者衆の粋な三味線や踊りを間近にみて思った。 「最初で最後と云わず、 ゆっくり食べてもっと遊ぼう!」
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