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特別支援教育はどこにいくのか


                                                                             朝倉 賢司 

 先の国会で成立した 「特別支援教育」 関連の諸法案が来年 (〇七年) から施行され、 これまでの 「特殊教育」 から 「特別支援教育」 への 「転換」 が国レベルで図られることとなる。 横浜市でも、 文科省の方針に沿って既に〇六年には 「障害児教育プラン」 が答申され、 より具体的な内容・方針を検討する 「横浜市特別支援教育推進会議」 が同年に設置されて、 一年後の〇七年三月に答申が出されることになっている。 
 本紙では、 〇三年に三号 (365号〜368号) に亘ってこの転換への総まとめとも言うべき 「今後の特別支援教育の在り方について」 (最終報告) を各項目ごとに批判的に紹介してきた。 今号では、 すでに導入されている内容も踏まえ改めて総論的に批判・検討をしたい。 

 今次の 「転換」 は、 これまで 「特殊教育」 の名の下に行なわれてきたものを 「特別支援教育」 と名称変更するだけでなく、 内容的にも対象の拡大、 教育方法等において変更しようとするものであると文科省はしている。 しかし、 本当に大きな 「転換」 なのであろうか。 「特別支援教育」 への転換の背景にあるものは何かを改めて探り、 また現場への影響がどのようになるかを現時点でも見ていく必要がある。 

特別支援教育への流れ
 一九七九年の養護学校義務化を結節点とした現在までの 「特殊教育」 は、 世界的に見ると障がい児の教育・福祉の先進国と比して、 わが国が障がい児の教育を分離・隔離教育として行うものであるであると再確認したものでもあり、 統合教育、 共育、 共生共学を求める障がい者を中心とした多くの人達からは強く批判されてきた。 一方、 七九年の 「養護学校義務化反対・地域の学校へ」 という運動の高まりや、 一九八一年の 「国際障害者年」 を一つの契機として、 教育の分野だけでなく、 福祉社会を築く理念としてノーマライゼイションの考え方も人口に膾炙するようになり、 インテグレーションや共育運動、 共生共学運動も各地で様々の団体・組織によって展開されてきた。 さらに近年、 世界では 「児童の権利条約」 やUNESCOの 「サラマンカ宣言」 (九四年) 等で、 障がい児が別学ではなく共に学ぶ権利があるとする明確な宣言が次々と出されており、 わが国でもインテグレーションからインクルージョン教育という形の目標・要求も出されるようになってきている。 はたして 「特別支援教育」 がそのような流れ (世界の流れでもある) を取り入れ、 新しい時代を切り拓くものであるといえるようなものなのだろうか。 

背景にあるもの
 障がい児教育だけでなく、 障がい者全体に対する制度改変を見なければならない。 小泉政権時代に次々と具体化されていった規制緩和・自由化による構造改革は、 福祉、 労働、 教育など社会全体に変化をもたらしつつある。 福祉分野でも、 社会福祉基礎構造改革によって高齢者では介護保険制度が先行しているが、 障害者は措置制度から支援費制度に移行し、 更に障害者の強い反対にもかかわらず成立した自立支援法に基づき、 新たな福祉サービス体系が今年一〇月から実施されるようになった。 自己選択・自己決定に基づいてサービスの利用ができるとする支援費制度は施行されるや、 当たり前に生活したいという障がい者のニーズを掘り起こし年間二〇〇億円以上の財政赤字を生み出し、 行政はあわてて自立支援法の制定によって公平性に名を借りたサービスの認定区分による利用制限、 原則一割の自己負担等を出してきた。 自立支援法の就労できる障がい者は就労を促進させるという建前も、 国・自治体の財政負担をどれだけ減らすことができるかということが本質である。 
 特別支援教育も財政問題が根本にあることを押さえなければならない。 文科省が出してきた資料でも、 特殊教育では障がい児一人にかける教育経費が普通教育の一〇倍になっていることを改めてて示している。 教育コストを下げることが至上命題になっているのである。 一般教育でもわが国の児童生徒にかかる教育予算は、 欧米に比べかなり低いことも指摘しなければならない。 コーディネーターについても校種を問わず全校に配置するとされたが、 人を充て研修をさせるだけで、 教職員の加配やその他の予算を伴う保障はなされないまま実施されていることにより、 担当者の業務負担の増加による実質的機能が果たせない事態や、 担任からの除外という動きになって担任数が減らされ指導面での悪影響といった事態が養護学校等で生じている。 

能力主義・分離教育の貫徹
  「特別支援教育」 では、 新たな対象者として六・三%程度の軽度発達障がい児を加え拡大した。 通常学級に在籍して 「特別支援教室」 でも指導を受けることができるとしている。 これには親の会による 「発達障害者支援法」 の制定等発達障害者への新たな施策の意味合いがあることは事実である。 どのような形であれ特別な手立てをとってほしいというものである。 対象の拡大が学校現場では、 機械的にこの数字に合うだけの子ども達を通常学級から引き出し、 通常学級を 「純化」 する機能を果たす危険性も生じてくる。 少しでも 「問題」 を持つ子は専門家に任せればよいとする傾向を産み出す可能性がある。 「障がい児探し」 「障がい児づくり」 にしてはならない。 
 そもそも 「障害」 をどう見るかと言う根本的な問題もある。 既にWHO (世界保健機構) では 「国際障害分類」 (ICIDH) でこれまでの 「障害」 をマイナス面に焦点を当てた個人的なものとして捉えるのではなく、 環境等も含んだ背景因子との関連で捉えることが 「障害の構造」 として出されている時代なのだが、 その観点が乏しいものになっている。 障害から生じる問題を社会 (学校教育の在り方も含めた) の中で捉えようとしないで個人の問題に帰結させようとしているといえる。 個人情報が集積された 「個別教育計画」 も、 一貫した方針の下に手厚い対応がなされるという幻想を持って、 個々に分離されてこそ個別的に特別な 「サービス」 を受けられるのだというということが助長されるようになってくる。 いまや 「分けられたがっている子・親」 からの 「わたし (わが子) だけ特別に」 という傾向がでてきているのも事実である。 学校以外との様々な連携・ネットワークの支援が可能とされるが、 集中した情報の運用、 管理の問題が継続する。 既に導入されている養護学校等では、 個別教育計画に限らず、 より個別的な指導、 サービスを求めての転学・新入学者が全国的に増加し、 大規模化・肥大化の傾向を強めている。 今後は特別支援学校と呼ばれるようになる養護学校であるが、 地域のセンター機能を求められ、 情報を発信し、 施設面・設備面の支援も行なうとされている。 地域の小中学校が養護学校の持つハード面・ソフト面の資源を活用すると言うのは文章上可能であっても、 時間的、 地理的問題を考えれば難しいことがわかる。 教育の場を求める子ども・保護者の立場からすれば、 より 「専門的」 な教育を受けようとすれば、 直接特別支援学校に通うことを希望するようになることが考えられるし、 事実地域の学校から養護学校への傾向はここ数年強まり、 その結果養護学校の設備や運営上色々な支障を来たすようになってきている。 (だから養護学校を増設せよということではない!)。 養護学校をセンターに位置づけることは、 結局は分離・別学体制により能力主義を固定化し拡大するものとして結果するのだ。 
 このような事態は 「特殊教育」 「特別支援教育」 の場でのみ進行していることではない。 現在は学力重視へのゆり戻しの動きがあるが、 「ゆとり教育」 のねらいが実はエリート教育であることを、 中曽根臨教審の座長であった三浦朱門が吐露したように、 一部のエリート層の創出が国家戦略として求められていることを知るべきだろう。 エリート層育成のために教育予算をどのように使うかなのである。 勿論、 多くの国民にはストレートにこの目標が出されれば、 受け入れらないのであり、 基礎学力の充実、 全体の底上げ等学力重視への回帰傾向は学校現場からの声としても絶えず出されてきているが、 現実的に学力の二極化 (2コブラクダ) 傾向の進展、 下位層の拡大は現場では以前からいわれていることであった。 学区自由化・学校選択性、 学校評価、 教育バウチャー制等の導入は、 一部の富裕階層のみがその制度の利点を享受できるのだ。 欧米における自由化路線による同様の教育改革が、 一部のエリート層と多くの下位層を生み出し、 失敗していることの後追いをしているのだが。 (エリート層さえ生み出せば成功といえるのかもしれないが)。  
 障がい児の教育はこの文脈で言えば、 正に能力主義の末端に位置づけられることになる。 差別反対、 人権擁護の運動の成果として、 障がい者の教育権が一応達成されてきた面は事実だが、 教育行政に貫かれているのは、 分離・別学体制を支えている能力主義である。 

特別支援教育の行き着く先
  「特殊教育」 からの転換を図るということが打ち出された時は、 分離・別学体制から脱却し、 原則的に統合した教育の体制を作り出す好機でもあった。 しかし、 現在の養護学校、 個別支援学級 (特殊学級) の充実を願う勢力と、 共育、 共生共学を求める勢力、 それに発達障害児を特別な支援の対象に加えて欲しいとする勢力のそれぞれの要求が混じりあわされて、 特殊教育からの 「転換」 というには中途半端なものになってしまっている。 文科省はこれまでの別学体制を基本に、 これを補正し拡大する形で特別支援教育を打ち出してちたといえる。 この中で特別支援学校として諸障がいを受け入れる学校が謳われたが、 視覚障がい、 聴覚障がい等での各種別学校の現状では現行を追認するようになったり、 特別支援 「教室」 ではなく 「学級」 として継続するようにとの運動からの働きかけによって、 当面現状維持で行くようになっているところも多い。 
 小中学校では、 軽度発達障がい児への対象の拡大と、 全校でのコーディネーターの配置、 校内委員会の設置が中心であり、 養護学校では地域のセンター校としての機能の拡大と諸障害の受け入れのできる 「特別支援学校」 への転換である。 理念として様々な考え方のつまみ食いをした在り方にならざるを得なかったのかもしれないが。 
 予算的な裏づけが十分にされないまま現場に下ろされて行っているために、 現場の教職員はより多くの業務を抱え込んでいくことになる。 文科省の言う 「専門性」 を発揮したスーパーマンのような存在でなければ現場に立てないことになりかねないのだ。 障がい児教育に関する免許の取得率をもって、 文科省等は専門性としていようだが、 障がい児教育の専門性がこれらの免許をさすのであれば、 現場を余りにも知らない、 分っていないと言わざるをえない。 現場の経験で学び合い、 教えられる環境がいかに作られているかが重要なのである。 上位下達の官僚的な職場構造と運営では良いものは生まれてこない。 
 予算的な保障のないまま障がい児として対象を広げ、 養護学校等への別学体制を結果的に強めていくことが現実化しつつあるのだ。 

(特別支援教育の各項目については、 本紙バックナンバー 365、 366、 368号が表紙のHPアドレスで検索可能です。) 


 

 

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