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書評 「累犯障害者〜獄の中の不条理〜」
 「累犯障害者 獄の中の不条理―」 
   新潮社刊 二三八ページ 定価一四〇〇円) 
  「俺ね、 これまで生きてきたなかで、 ここが一番暮らしやすかったと思っているんだよ」。 これは刑務所からの出所を控えた一人の知的障がい者の言葉だという。 
 著者は、 衆議院議員時代に政策秘書給与の流用事件により収監の体験があり、 受刑者の中に障がい者が相当数含まれ、 刑務所自体が障がい者の一種の収容施設化していることを刑務所内で実感し、 出所後雑誌等で訴えてきた。 現在自身も障がい者福祉施設のスタッフとして活動をしている立場にある。 
  「レッサーパンダ帽の男―浅草・女子短大生刺殺事件」、 「安住の地は刑務所だった―下関駅放火事件」 等マスメディアに大きく取り上げられた事件を始め、 六章に亘り加害者としてだけではなく犯罪の被害者の障がい者についても自らの収監体験を活用してまとめたルポルタージュである。 多くは障がい者が 「犯罪」 において圧倒的に被害者になっているのだが、 受刑者に外の社会 (=娑婆) よりもはるかに多い割合の障がい者が居るのはなぜなのか。 福祉制度では対応できていないのか。 このような疑問に対して、 先ずは現実に起きた事件を通じて、 障がい者の置かれている、 いとも簡単に犯罪の陥穽に落ち込んでしまう情況を知らなければならないだろう。 
 福祉制度を悪用し、 ヤクザがらみで障がい者を食い物にしている現実、 ろうあの 「仲間」 のみを狙い撃つろうあ者暴力団の存在、 売春する (せざるをえない) 知的障がい者の問題等、 福祉の標語が馴染んできた時代かと思われている現在にある暗部がまざまざと抉り出され、 呻吟して読まざるをえないものである。 
 自立支援法の成立をはじめ、 構造改革の美名の下に自己選択、 自己決定、 果ては自己責任など、 その条件にある者のみが制度の恩恵を受けることができる時代がもたらされ、 言い古された表現だが 「社会的弱者」 が生きていくには最終的にどんな手段が残されているのか。 障がい者と犯罪を改めて取り上げたこの著書は、 障がい者というフィルターを通して、 現代社会の諸問題を改めて突きつけるものでもある。 
 冒頭の言葉を発した受刑障がい者は 「俺たち障害者はね、 生まれたときから罰を受けているようなもんなんだよ。 だから罰を受ける場所は、 どこだっていいんだ。 どうせ帰る場所もないし・・・。」 とも呟く。 まして触法障がい者となれば福祉にも無視され、 行き着く先はホームレスかヤクザか閉鎖病棟かという現実、 そして障がい者自身が自発的に選択できるのは刑務所に入ることであり、 そこでの 「保護」 を求めることしかない実態を座視することはできない。 「特別支援教育」 に従事するものであれば嫌でも目を見開いて見続けなけれぱならないのではないか。 
 ここ数年この著書に描かれているような問題に関心を振り向け動こうとする人達が出てくるようになり、 取調べなどにおける警察や裁判での改善が徐々に図られるようになって来たのも事実である。 しかし複雑な司法や行政の仕組みの中で、 社会的な紐帯が家族関係を失えばいとも簡単に切れてしまう多くの障がい者にとって、 新たな連帯を保障する社会的基盤がどれほど作られているか。 「格差社会」 を是とするこの 「構造改革」 下でより一層の困難を伴うことは、 障がい者の現実を多少なりとも知るものにとって明らかではないだろうか。 
    (朝倉 賢司) 
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