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今だからこそ個人の権利を主張したい  ―車通勤裁判高裁判決報告―

  原告 山本 理
高裁判決はより後退した
 学校が冬休みに入ってすぐの一二月二六日に、 車通勤裁判の高裁判決が出た。 この日は、 卒業式における職務命令違反の処分取消を求める東京の渡辺厚子さんの高裁判決も、 同じ法廷で直前にあった。 その支援者のみなさんが大勢詰めかけていて、 流れでこちらの判決にも立ち会ってくださったので、 人があふれ法廷は立ち見の状態。 傍聴席に立ち見が許されるなど全く知らず、 驚いてしまった。 
 判決は 「本件控訴を棄却する」。 つまり、 訴えを却下した横浜地裁判決を妥当とするものである。 裁判官が、 前回の弁論一回で結審とした状況を考えれば、 この判決は予想の範囲ではあった。 
 ところが、 判決文を読んで驚いた。 地裁判決の却下理由が、 通知は 「行政の内部問題であり職務命令と解される」 であったのに対し、 高裁のは、 「通知の名宛は校長」 だから 「原告に訴える資格はない」 というトンデモない代物。 
 一年半前、 裁判を起こしたことを教員以外の知人たちにも話したのだが、 ほとんど全員から共通した反応が返ったことを思い出す。 一つは 「市教委が車通勤を禁止した」 ことの撤回を求める裁判である、 とのわたしの説明に、 みな一様に不思議そうな顔をして 「そういう禁止って市教委ができることなの?」 と質問されたこと。 二つ目は、 提訴に対する市教委側の反論が 「通知の名宛は校長だから訴えられない」 というもの、 そう教えると誰もが笑い出したこと。 そして必ず 「そんなバカな」 と付け足すのであった。 これが普通の感覚、 そうではないだろうか。 
 その、 みなが笑った理由を高裁は採用したのである。 どうやら法律の世界では、 普通の感覚は通用しないもののようだ。 さらにわたしが腹立たしく思ったのは、 判決文の中に書かれた次の文章。 
  「なお、 控訴人が所属の学校長に対して自家用車通勤の許可申請を行ない、 その申請が許可されなかった場合には、 その不許可処分を … (略) … 抗告訴訟の対象とすることができるものと解されるから、 上記のとおり本件通知の行政処分性を否定しても、 控訴人の権利保護に欠けることはない」。 伝わってはこないだろうか。 「まだ訴える方法はあるんだよ。 ネッ、 ちゃんと君の権利は守ってるんだから」 みたいな傲慢さ、 人を見下ろした態度が。 準備書面で 「当方は許可基準に当てはまらないから申請はできない」 ことを何度も訴えているのに、 全くどこを読んでいるのやら。 さらに言えば、 出した申請が不許可になった時、 争われるのは許可基準の解釈である。 そうではない。 わたしが争いたいのはこの通知自体なのだ。 

誰のための法か
 従軍慰安婦、 強制連行労働者、 元軍属の在日韓国人など、 多くの戦後補償裁判を手がけ、 現在は島根大学大学院法務研究科教授でもある弁護士の新美隆さんが年の暮れに亡くなられた。 横校労の顧問弁護士を引き受けていただいた時期もあり、 当時横校労が起こし、 最高裁まで争った 「超勤裁判」 は、 彼の理論的な裏付けがなければ続けられるものではなかった。 わたしは、 新美さんとは、 組合というより、 その頃活動していた地域の市民運動の集まりに彼が時々立ち寄り、 その都度意見やアドバイスを頂いたことの方が関わりが大きい。 その関係で、 当時一緒に運動をしていた仲間たちと連絡を取り合い、 葬儀に訪れた。 
 会場に入りきれぬ参列者のためにスピーカーがしつらえられ、 弔辞の声を流していたが、 このために中国から駆けつけた六人の中国人の代表が、 こらえ切れぬ嗚咽とともに、 感謝の言葉を語るのが胸にしみた。 彼らは新美さんの尽力で和解にこぎつけ、 戦後補償の扉を開いたと評された花岡事件の被害者たちである。 
 わたしは弔辞を聞きながら、 三日前の高裁判決と比べずにはおれなかった。 あの悪意と高慢さに満ちた文章を書いた裁判官と、 傷ついた人々に寄り添って闘い抜き早々と去っていった新美さんとを。 一体法とは何なのか。 そんなため息をどれだけの人がついたことだろう。 

わたしの一分
 昨年七月の横浜地裁判決日にはテポドンが発射され、 今回の高裁判決日には、 耐震強度偽装事件の地裁判決があった。 日本中の耳目を集める出来事と、 我が車裁判の判決日はなぜか重なる。 もちろん、 それらの重量級な事件に比べたら、 こちらはささやかな裁判であり並べるのもおこがましいだろう。 しかし、 教基法の改変に見られる、 「個」 より 「公」 を優先させようとする風潮に雪崩を打ちそうな今だからこそ、 個人の幸福追求権を訴えた車裁判の意味は大きいと、 自分では手前勝手に考えている。 
 昨年末より、 山田洋次監督による藤沢周平三部作の完結編、 侍と献身的に生きる妻の愛情を描いた映画 「武士の一分」 が上映されている。 原作は一九八〇年発表の 「盲目剣谺返し」。 盲目となった主人公が、 一刀流の剣士と対峙した時の 「勝つことがすべてでなかった。 武士の一分が立てばそれでよい」 という心境から、 この映画のタイトルはとられたのだろう。 そう、 この言葉をわたしは車裁判に使いたい。 
 元より 「勝てる」 とは思っていなかった。 しかし、 強圧的な市教委の振る舞いに、 わたしはわたしの一分を立てようとして裁判を起こしたのでる。 それはわたしの一分であると同時に、 横校労組合員全員の一分である。 労働者としての一分であり、 生活者としての一分と言い換えてもよい。 
 その一分をもう少し貫きたいと思う。 つい先だって、 最高裁へ上告したところである。 もうしばらく見守ってください。 

 

 

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