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管理職はいったい何を評価しているのでしょうか?

 不満と言えば不満です。 だって私より若い主幹教諭が0.875月というのですから。 管理職はいったい何を評価しているのかと・・・。 (略) ほとんど誰も言いません。 私は全体の6割の人が0.735月だと聞きましたから、 普通にそう言ったのですが、 周りの反応は 「そんなこと他人に言うもんじゃない」 というもの・・・。 「同じ組合なんだからそのぐらい・・・」 と言うと 「それはまた別の話!」 と年配者から釘を刺されてしまいました。 (略) どうしてそんなにみんな隠すのでしょうか。 私がKYなのでしょうか。 (略)・・・これから毎回ボーナスで査定され、 給料にまで 「差」 が及ぶようになるとすると、 職場の人間関係が変わってくるような気がします。 (略) 今まで考えたことがありませんでした。 (略) 赤田さんの成績率はいくつだったのですか。 (略) 赤田さんはこういう変化をどう考えていますか。
     (青葉区・中学校教員)


 ずいぶん率直に聞いてくれますね。今度のボーナスの勤勉手当のことですね。私の成績率は 0.805月です。誰ですか「エー!」なんて言っている人は。横校労内でも、この成績率をお互いに公表すると「やっぱりね」「なるほど」とか「どうして!」なんて言葉が返ってきます。その人の仕事ぶりや能力(のようなもの)とを、何となくすりあわせて数字を納得するか、「おかしいよ!」と反発するようです。勘違いしているのですね。給料の明細に「成績率」と書かれてしまうと、そこに書かれた数字が、その人の実績や能力を表しているかのように思ってしまうのは、宮仕えの浅ましさでしょうか、それとも成績をつけ続けてきた教員の習い性でしょうか。
 まず、今回の4段階評価は、その教員のもつ能力 (どんなスケールで測るかによってこれはかなり違うものです) とは全く別のものだということを最初におさえておきましょう。いやいや、年度初めに目標を設定の上、校長と面談をし、年度末には総括までしたのだから、それ相応に評価したものではないか、という人がいるかもしれません。でもよく考えてみてください。評価は相対評価でなされているのです。全体の4割が「優秀」そのうち1割程度が 「特に優秀」 とされ、 0.875月を支給されているのです。校内でも大枠この割合で評価されるのですから、管理職はまずだれを 「特に優秀」 とするか、を考えます。あなたがもし管理職だったらどうですか。基準のあいまいな学校運営や教科指導の能力や実績で決めますか。年度末に全員と面接をして、その結果を並べて決めますか。 ノーですね。管理職の立場からすれば、この一年間、自分が命じた役割をどれだけきちんと遂行してくれたか、そして今年も、あわよくば来年も同じように自分の引いた路線をしっかり進めていってくれるか、基準はそこにあるのではないでしょうか。
 評価はですから基本的に、年度初めに出ているのです。今回で言えば07年4月と08年4月時点の校内配置で決まっているとも言えます。
 まずは自分が命じた「主幹教諭」、他校から転勤してきた人は別。 30〜40人程度の学校では、 3〜4人はいるわけですから、まずこの人たちの中から 0,875月をつけます。 「特に優秀」 だと判断したから主幹教諭にしたわけで、よほど期待をはずしていない限りこれで決まりです。でも全員というわけにはいきません。おわかりですね。残りの人は間違いなく 0.805月です。
 しかし、職場は生き物です。校長によっては主幹教諭以上に配慮をしなければならない教員がいたりする場合もあります。それは、実直でいつもかげ日向なく管理職を支えてくれていながら、他校から主幹教諭が転入してきたために、外れかかった教員かも知れません。主幹教諭は3級の給料表で優遇されているわけで、 2級の一般職で教務主任かなんかをやっている、いわば冷や飯?となっている人に 0.875月をつけることもあるかもしれません。
  さらには、職場の人心掌握とか職場混乱のためにこのシステムを使う管理職もいます。いつも管理職批判の急先鋒となって職場の批判勢力をまとめている人、こういう人の中には、一般的に仕事も出来る?人も多いですから、こういう人に 0.875月をつけるわけです。急先鋒であった人が管理職の覚えが最もめでたいという状況は、職場の中にうっすらとした疑心暗鬼の霧をたちこめさせるには十分でしょう。本人は公表しなくても校長は誰かにリンクするでしょう。さあ、その状態で校長批判を続けても、あるいは逆に矛先を鈍らせても、周囲は「なんだかなぁ」と思うでしょう。そうなれば、管理職の思う壺。でも、この作戦は、その人がさらに舌鋒鋭く管理職批判を展開し、その結果評価を下げさせたときこそ、闘いのヤマ場となります。評価基準を明らかにしなければならないからです。
 このように成績率は、公平無私な人事評価とはかけ離れた校長のきわめて恣意的な評価による場合が多いのです。
 でも考えてもみてください。公平無私な人事評価なんて存在するのでしょうか。
 さて、では私がなぜ 0.805月なのか。私は、人事評価の目標も反省も書いたことがありません。名前と生年月日ぐらいを書くだけです。年度末の面接もしていません。そんな教員に管理職は「優秀」をつけます。そのうえ、私は卒業式の君が代斉唱でも座っています、はっきり言って勤務条件についてもうるさいです。超過勤務の少なさだけは職場で一番・・・それなのになぜか学年主任。困った学年主任。こういう教員にはもちろん「特に優秀」をつけるわけにはいきません。だからといって 0.735月をつけて「なぜだ、なぜだ」と食い下がられるのも困る。そうなると、自分の金でもないし、とりあえず2番目をつけておけばガタガタしないだろう、という政治的判断をせざるを得ない、というところでしょうか。その分、わたしより遙かにまじめにしっかりと仕事をしている人が 0.735月となってしまいます。
 ですから 0.805月という評価が、教員としての私自身に対する正しい?評価とは言えないのです。でも、仮にもこの評価がなされたのですから、私はもし次に 0.735月であったら「 0,805月であった自分と 0.735月である自分はいったいどこが違うのか」と校長に説明を求めるでしょう。なぜなら評価に対する闘いとは、内包された矛盾をどこまでも顕在化し続けることができるかという闘いなのですから。
 あなたの悔しさはわかりますが、まず仕事の中身が正当にしかも客観的に評価されるという「幻想」、まずそれを捨てましょう。教育という労働は云々などという以上に、他人から見た仕事の評価なんて、元来いびつなものでしかないのです。人というものは、数え切れない誤解の中で生きているのではないですか。中には「私はこれだけ貢献している。あの人には負けない。なのになぜ自分が・・・」という人がいますが、それは、仕事というものがどこか客観的に評価されると思い込んでいるからに過ぎません。評価は「誰にとって」が一番大事であり、客観性なんて一番つまらない基準なのです。教員は、生徒に対して客観的な評価が可能であるという幻想があるから、自分もと考えてしまうのかも知れませんね。
 さて、そうは言っても戦後、教員の世界にこれほどのいわゆる「差」が顕在化したのは初めてのことです。この60年間、給料表は管理職以外の正規教員はすべて2級とされてきました。しかし、いまや3級の主幹教諭が1割強、横浜では1000人以上いる計算になります。給料表が違うということはあきらかに「職分」が違うということです。お金が「ちょっと高い」だけではないのです。いまはなき主任手当(毎月 200円×15日)とは違います。仕事にではなく、給料はまさに属人的に支払われているのです。その上、今度のようなかたちで、同じ給料表でも開きが出ます。すでに、教員の世界でも年功序列型賃金制度はその基盤を失ったと言っていいのではないかと思います。
 それでも教員という人種、殊にここ関東では?お金のことをがたがた言うのははしたない、という感覚がまだあります。でも自分の口を押さえることはできても、気持ちははごまかせません。 システムはまだ始まったばかりですが、これが続いていけば、どんよりとした疑心暗鬼の霧が、現場の懐ろの深さを変質させていくことは間違いないと思います。
 だれでもよけいなリスクは負いたくないものです。達成しやすい目標は欲しいですが、手に負えないお荷物は持ちたくありません。でも学校の仕事は、その時々によって手に負えなくてもやらなければならないときがあります。たとえそれが大きなリスクだと解っていても、引き受けなくてはならないときがあります。そんなときに私たちはどんな働き方をしてきたのか。そのことを今一度、考えてみる必要があるのではないか、と私は考えています。
    (赤田圭亮)

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