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現場の労働実態を一顧だにしない不当判決
 〜高槻・休憩時間控訴審判決を批判する〜

 去る四月一六日、 大阪高等裁判所において教員の休憩時間訴訟の控訴審判決が言い渡された。 横校労も、 各地の独立組合の仲間とともに傍聴支援に駆けつけたが、 結果は学校現場の労働実態を一顧だにしない不当判決であった。 教育労働者ネットワーク・高槻の仲間が全精力をかけて闘ってきた他に類を見ない教員休憩時間裁判。 本人訴訟でありながら控訴審の一発結審をはねのけ、 法廷での闘いを果敢に推し進めてきた原告たちに、 心から敬意を表するものである。
 全国の学校現場で、 休憩時間など全く取れないまま、 長時間連続労働を余儀なくされている多くの仲間たちに、 この判決がどのような意味をもつのか、 赤田組合員に解説と批判をお願いした。
    (情宣部)

*本訴訟の枠組み
この裁判は、 〇二年度及び〇三年度の二年間、 休憩時間にも勤務を命じられたとして、 大阪府の職員給与に関する条例二条に基づき、 休憩時間中の勤務に対する給与、 及びこれに対する年六%の遅延損害金を支払うことと、 校長らが原告らの休憩時間を適正に把握、 管理しなかったことや、 休憩時間を明示しなかったことなど、 労働基準法三四条の規定を遵守しなかったことが民法七〇九条、 七一〇条、 又は国家賠償法一条に違反するとして、 損害賠償を求めたものである。
 裁判の争点は、 以下の七つに整理されている。 争点1:控訴人らの勤務実態について 争点2:被控訴人校長らによる職務命令の存否について 争点3:控訴人らの被控訴人大阪府に対する休憩時間中の勤務に対応する給与請求権の有無及びその額について 争点4:被控訴人校長ら個人の損害賠償責任の有無について
争点5:被控訴人高槻市又は被控訴人校長らにおいて、 控訴人らの休憩時間に対する把握、 管理について、 違法があったかについて 争点6:被控訴人高槻市又は被控訴人校長らにおいて、 控訴人らに対して、 休憩時間の明示、 労働基準法三四条の遵守について、 違法があったかについて
争点7:控訴人らの損害について。

*まず結論ありきの判決
 判決文は、 A4七〇ページに及ぶ長大なものである。 全体を通読しての印象は、 結論を先に決めているだけに、 そこに落とし込んでいくために長大なものにならざるを得なかった、 というものだ。 無理を通すときには、 人は多弁になるもの。 本稿ではその 「無理」 を少しずつ見ていこうと思う。
まず争点1。 控訴人 (原告) らの勤務実態。 これこそがこの裁判の土台となるものであり、 原告側の主張には、 全国的に共通する学校現場の労働実態が明らかにされている。 裁判所は、 高槻市教委が行ったアンケート調査にも触れ、 校長らの 「明示した休憩時間はとれていないという予想はあったが、 実態はそれを超えるものであった。 制度の抜本的な改善か、 人的配置を施す以外ない」 あるいは 「授業終了後の四五分間を休憩に充てたが、 児童との対応でほとんど取得できなかった。 来年度は一斉に休憩が取れるような十分な検討が必要」 といった意見も取り上げている。 全国津々浦々、 どこの学校でも抱えている問題である。 しかし、 裁判所は原告、 被告双方の、 休憩が 「取れていない」 という実態だけを提示し、 それに対する判断はしていない。 読者は、 この実態 (土台) の上に、 後段でどのような論理が展開されるか、 注視してほしい。
 次に、 休憩時間に校長らの黙示も含めての職務命令があったかどうかだ。 裁判所は五人の原告のどの職場においても、 校長らは休憩時間を明示し、 取得できない場合は振り替えを利用するよう伝えたとし、 休憩時間には管理職が電話等の対応をするようにしていたとの事実を認定、 いくつか職員会議が休憩時間内に開かれた事実はあるにしても、 「本件全証拠によっても被控訴人校長らが控訴人を含む教職員に対し、 休憩時間中に職務に従事するように明示して命令した事実は認められない。」 として、 校長による職務命令はなかったとしている。 好きでやっていたのだろうというわけである。
 そうだろうか。 どんな仕事にも締め切りがあり、 それに合わせて準備をする。 学校の仕事も同じである。 実態は、 毎日が休憩を取っても取らなくても超過勤務になってしまうのである。 教員は超過勤務を短くするために仕方なく、 休憩時間も働き続けるのである。 こういうのを黙示的な命令と言うのである。
管理職は、 口では何とでも言える。 「体調に気をつけて」 「無理をしないで」 「健康に配慮して」 「休憩も取れるようになっていますよ」。 形だけは整えてあるけれど、 実態は何をどう動かしても 「取れない休憩時間」 があるということだ。

*校長は命じていない、 自発的にやっているのだ?
 裁判所は言う。 「たしかに・・・控訴人らは、 休憩時間にも相当時間にわたり、 職務に従事していたことは認められる。 しかし、 後記3 (1) で述べる教育職員の職務の特殊性に照らすと、 その多くについては、 控訴人らは、 教育職員としての各自の自発性、 創造性に基づき、 その職務を遂行してきたと認めるのが相当であって、 少なくとも被控訴人校長らが控訴人らに対し、 各自の職務を休憩時間にわたり従事することを黙示に命令していたような事実は認められない」。 連続勤務も超過勤務もすべて教員がその職務の特殊性において、 「好きにやっている」 のだというのである。 現状を追認するためだけの論理である。
 この理屈をしっかり下支えしているのが、 争点3の中で述べられる旧給特法だ。 ご存じのように給特法は、 一九七二年、 教員の超勤手当請求訴訟が最高裁で確定する寸前に成立した法律である。 法の趣旨をひとことで言えば、 教員の勤務は特殊なものなので超過勤務手当ては支払わないが、 その代わりに全員一律に給与の四%を教職調整額として支給するというものである。 七二年当時この法律を成立させるためにさまざまな論理が、 文部省と日教組の双方で練られた。 日教組内批判派は 「給特法は毒饅頭である。 甘いからといって食べてしまえば、 いつか毒が回ってくる」 と主張、 しかし槙枝元文を中心とする本部執行部は、 「毒を抜けば饅頭は饅頭」 とばかりに超過勤務を命じることのできる範囲を限定したいわゆる 「限定四項目」 を文部省との間に確認、 法の受け入れにまわったのだった。
 この三〇数年前に盛られた 「毒」 が、 八〇年以降現場を蝕んできたのだ。 この裁判でもこの法律をタテに教員を、 教育という特別な仕事をつかさどる専門職としてみて、 自発的に休憩時間に働いているのだから、 何ら問題ないというのである。

*旧給特法とは何だったのか
 裁判所は、 旧給特法 (新給特法とは二〇〇三年大学が独立法人化したときに、 この法律から 「国立」 の名前が削除されたことに拠る) の法理を 「・・・本来、 教育は、 ・・・人格の発展と完成をめざし・・・教員の職務は、 きわめて複雑、 困難、 かつ高度な問題を取り扱うものであり、 ・・・哲学的な理念と確たる信念や責任感を必要とし、 ・・・専門的な水準の向上を図ることが要求されるという特殊性をもつ。 ・・・そのためその内容と質及び量において際限なく広がりをうる特殊性をもつことから、 単純に時間や結果によって計測できない性質を有する。 ・・・」。 要するに、 教育という仕事は特殊なもので、 教員の自発性、 創造性によるものだから、 時間計測にはなじまない、 いわば測定不可能であるところに四%を支給する意味があるんだよ、 ということなのである。
 でたらめである。 一昨年文科省が教員の勤務実態調査を行ったが、 これほど高邁な?仕事であるのに、 実超過勤務時間に相当する超過勤務手当てを計算すると四%をはるかに超えたものとなっている。 また裁判所は勤務の特殊性を主張し、 教員の勤務は測定不可能というが、 実際はほとんどの勤務はこの調査でもわかるように測定可能なのである。 給特法というのは、 つまるところ 「教員に超過勤務を払うようになっては、 教員が一般の労働者と同じになってしまう。 それでは国家百年の大計たる教育、 人材育成を行うことが出来ない」 という当時の自民党文教族の発想が大元にあるのである。 法制定から三〇年以上、 日教組は抵抗勢力どころか今では文科省のパートナーであり、 国の教育政策を下から支えていく役割を担っているのは、 実はこの給特法の成立に淵源を見ることができるのである。

*誰も命令していないのに、 誰も休憩を取らない?
裁判所は、 この給特法をかざして、 休憩時間にも働かざるをえない勤務実態を、 以下のように言い抜ける。 「・・・休憩時間における勤務が教育職員の自由意志をきわめて強く拘束するような形態でなされ、 かつ、 そのような勤務実態が常態化しているなどの場合においては、 ・・・労基法三七条、 府給与条例二一条の適用は除外されず、 教育職員は、 休憩時間の勤務につき対価の支給を求めることができると解するのが相当である」。 高槻では誰も強く拘束するような職務命令はしていないよ、 もしそういうことがあれば、 休憩時間に相当する賃金を支払うべきだ、 というのである。 いわく、 「原告は一日に一時間の空き時間があっただろう」 「年休を取ることもあっただろう」、 だから 「控訴人らが休憩時間を取得することがきわめて困難であるような状況」 ではなかった、 とするのである。 裁判官は、 判決を書くのに十分な時間を在宅でとっているのに、 教員には授業の準備の時間など必要なく、 一日一時間の空き時間を休憩に使えというわけだ。 年休が取れているんだから、 無理やり仕事はさせていなかったという。 笑止千万である。 年休は、 労働法上最強の権利である。 たとえ、 強く拘束される職務命令に対しても
年休権は有効である。 使用者側がこれに対抗できるのは 「時季変更権」 のみであるし、 これすらも高度に合理的な理由がなくては発動できないのが常識である。 休憩時間も含めた超過勤務を切るには年休しかないというのが実態であり、 年休を取っているのだから、 休憩が取れないのはおかしい、 という理屈は成り立たない。

*どんな原則規定もすり抜ける論理
 争点4については、 最高裁第二小法廷七八年一〇月二〇日の判例から、 被控訴人校長らに損害賠償の責任は負わないとして却下。 争点5の被控訴人校長らの休憩時間の把握、 管理の違法性については、 上記理由同様、 「職務の大半は、 教育職員としての各自の自発性、 創造性に基づいて遂行されたものと認めるのが相当であり、 控訴人らが休憩時間を取得することがきわめて困難であるような状況にあったと認めることは出来ない」 から、 管理職には何ら問題はなく、 さらに〇一年の 「労働時間の適正な把握のために使用者が講ずべき措置に関する基準について」 いわゆる〇一年厚生労働省通知についても、 休憩時間の明示や振り替えについて指示をしていたから、 「上記厚労省基準において定める方法で労働日ごとの始業・終業時刻を確認し、 記録していなかったとしても、 そのことをもって控訴人らの休憩時間における勤務態様を適正に把握、 管理していなかったとは言えない」 として違法性はないというのである。
 争点6は、 労働基準法三四条の遵守について違法性があったかだが、 休憩時間の明示の方法が、 文書で明示せず単に口頭であったにしても、 「休憩時間の明示に関する職務上の義務に違反するものであっとは認められない」 と 「大甘」 の認定を行っている。 また、 裁判所は労基法の除外規定となる地公法や高槻市教委通知などをもって、 休憩時間の三原則 「一斉に、 まとめて、 自由利用」 を換骨奪胎し、 行政指導を追認する。 これまた 「大甘」。 なにしろハナから行政のかたをもつことに決めているのだから、 全体に 「大甘」 にならざるを得ないのだ。 当然この結果、 争点7については、 損害賠償にはあたらないという結論となる。

*最後に
 裁判所の結論は、 「好きで休憩時間に仕事をやっているンだから、 訴えても仕方ないよ」というものだ。 どんだけやっても時間内に終わらない仕事が、 教員の周りに山積している。 放課後にやる仕事、 家に帰ってやる仕事、 朝来てやる仕事、 どんどんふくれあがる仕事。 その中に好きでやっている仕事、 自発的、 創造的仕事なんてどれだけあるか。 あるのは、 時間におさまりきらない、 増え続けるルーティンワークだ。
  「先生サマは、 すばらしいお仕事をなさっていますね。 専門的で、 創造的で、 そして自発的に。 なんとも、 これほどすばらしい仕事はありませんね」 と、 洋服屋におだてられる裸の王様のように、 気がつけば、 裸のまま寒風にさらされ、 風邪を引いてもそれに気がつかない、 そんな状況が待っていやしないか。 闘うすべはある。 この判決をよく読めば、 私たちがどこをどう攻めればよいか、 が見えてくる。 法廷の敗北をよりよく現場に活かすことだ。 高槻のみなさん、 そして全国各地で同じ思いで闘っているみなさん、 共に闘わん。   

 

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