●ホーム●ニュース●トピックス●組合大会・組合関係→'00.8,9

横校労ニュース
トピックス
●組合大会・組合関係
横校労の取り組みがわかります。


報告 いつまでもつかな学校たち  '00全国学校労働者交流会


 今年度の全国学校労働者組合連絡会 (全学労組) 主催の全国交流集会のテーマは、 「いつまでもつかな学校 (わたし) たち」 で、 学校めぐる情勢の大幅な転換を意識したものとして設定されました。 既に始まっている 「教育改革」 が、 戦後の日本の学校制度を根源から崩しかねないものであること、 さらに、 「学校」 というところに 「わたし」 とルビをふっているように、 私たち自身への 「危うさ」 を言外に表明しており非常に含蓄のあるテーマだと思っています。
 このテーマを揚げて今年度の集会は、 さる八月二三〜二四日、 浦和市で開催されました。 参加者は一二〇名を越え、 今年も新たな組合結成の動きの報告や、 「東京都がっこうユニオン」 から全学労組十七番目の組合として加盟意思表明があったり、 全学労組の拡大傾向が明らかになった集会でした。
 また、 集会内容では、 まず東大の姜尚中氏からの教育改革の今日的意味という講演を受け、 五つの分科会で二日間にわたって議論がなされました。 以下、 姜さんの講演と私が参加した第五分科会 (教育改革) の議論を少し絡め集会報告としておきたいと思います。
 姜さんの講演の要旨は以下のようなものでした。 第一に、 今の 「教育改革」 を、 子どもの 「心の問題」 として矮小化してとらえてはならず、 戦後日本社会の動向の中でとらえること、 第二に戦後日本社会は過剰な人や膨大な債務を抱え破綻状態に陥り、 明治、 戦後に続く 「第三次国民国家」 への再編として、 大きく修正されざるをえなくなってきており (戦後民主主義も一種の 「国体」 であったという認識を前提として)、 このような状況の中での教育改革であること、 第三には、 われわれのスタンスとして、 平和―戦争 (軍) という二項式による歴史観では、 「民族国家」 日本という観点が欠落し、 国歌・国旗の法制化や靖国のナショナルメモリアム化などの 「歴史の修正」 によってこの再編をはかろうとしている時代 (「歴史をめぐる内戦の時代」) に耐えられないこと。 沖縄やアジアと日本という観点から改めて歴史を見直すこと、 第四に、 我々の中にある 「学校神話」 (公教育神話?) を崩していくことなどの認識と必要性を訴えたものでした。
 第五分科会の議論では、 かつて公教育の解体を主張していた主体が、 学級崩壊や自由化政策が始まっている今、 いつのまにか公教育維持 (学校を守る) 主体に変わってきているのではないか、 また、 このような主体の転換を促したものが、 「生きる力の教育」 であるという指摘もありました。 そして、 この 「生きる力の教育」 が、 学力低下を招き、 学力の階層性を拡大している。 (その理由は) 「興味関心に根ざした、 高い意欲や、 自己実現を求める要求は、 一見だれに取っても望ましい。 (しかし) それ自身に階層差がある」 (からである) という主張、 さらには、 そのことを通して現代の教育改革が 「日本の中流崩壊に手を貸している」 などの諸論も紹介されました。 また、 教育改革論議が没落する大国日本の再建・再興に陥らないために、 我々の側からの社会国家構想、 例えば 「小国寡民」 的な考えに基づいた、 社会、 教育改革の必要性なども提起されていました。
 姜さんの講演内容との議論がさらに深められれば、 しっかりした私たちの 「教育改革」 への評価を打ち出せるのではないでしょうか。 「学校との心中」 ないし 「学校と大国日本国家の再建主体になること」 への道の危惧を感ずるとともに、 それを回避する道筋がほんの少し見えたような気がしました。
(南支部 茂呂)
第一分科会
(学校での働かされ方・働き方)
 九月三日の朝日新聞に 「守ってくれない労組に見切り」 リストラ対象になった人が社外労組に頼り解決した話が載っていた。
 第一分科会で学校での働かされ方・働き方に出席して同様の話があった。 組合費を払い続けているのは何かの時の保険と思っている人も多いと思うが、 いざ何か起きても何もしてもらえなかった話だ。
 東京の公立中学で増田先生はNHKの 「普天間基地と普天間第二小」 のビデオを使ったことに端を発し、 今は都立教育研究所で長期研修という現場から離された 「処分」 を受けている。
 守ってくれない組合に対し、 自ら組合を起こしたのは当然であり、 組合としてどう闘うのか各団体からアドバイスがあった。
 それにしても、 増田教諭の平和教育に対し、 教え子が 「私達の胸に残ったものは、 日本を憎む気持ではなく、 むしろ傷だらけの日本を愛していこうと思う気持ち…私は今、 アメリカに留学し…」 と正面から日本の立場を考える人間に育っている。 懲戒免職を唱えている連中よ、 事実を見よ。 (山本)
第二分科会
 (法制化後の 「日の丸・君が代・
  元号」 との対決)
 高槻での 「君が代」 強制反対の取り組みのレポートが出されました。 卒業式の練習の時に校長から、 「起立する、 しない自由」 「歌う、 歌わない自由」 「退席の自由」 について生徒たちにわかりやすい言葉での説明をさせたこと、 式当日の最初に保護者へも同様の話を校長がしたこと (それは職員会議での話し合いの結果であるが) の意味は大きいと思いました。 これが毎年くり返しておこなわれれば、 その式場が参加した一人一人が自分の考えで自由に意志表示のできる場となります。 でもそのためには教員だけでなく保護者、 市民との新たなつながりも大事になります。 そのエネルギーを持ち続けていかなくては。 また国立二小の十三人の処分に関しても話があり、 右翼、 自由主義史観グループ、 その後ろだての産経新聞社という動きに対して、 二小の教員たちの支援者には若い親たちが少なくなく以前からあった市民運動+αが求められる時代に来ていると強く感じました。 (森下)
第三分科会
(独立組合の闘い方)
 東京からは 「日の丸・君が代裁判の勝利」 と 「人事考課制度の導入」 の二つ、 春日井からは組合活動にかかわる 「職免」、 大阪からは 「複合組合に対する地労委不当裁定」 が報告された。
 それらの報告を通して感じたことは少数組合として出生した当初と、 教員管理構造が違ってきているということだ。 その一つは少なくとも少数組合の持ち味を生かして巧みに管理構造に闘い得た面白みは、 管理者側がそれなりに知恵をつけ対応策を作ってきていることが言える。 二つは学校に新しい教員管理構造がつくられており、 都の人事考課制度はその典型であり、 また学校に実に多様な職種の労働者が非常勤、 臨時、 アルバイトという形でつくられており、 それに対しては大阪のように複合組合は不可欠と言える。 地労委の複合組合否定は看過することが出来ない問題だ。
 しかし、 そうは言っても東京の裁判勝利のように向こう側のミスもまだまだあるわけで、 あるいは北九州や春日井のような強制策という旧来型ももちろん根強い。
 まとめさせていただければ小数組合として 「合法領域」 を運用してユニークな闘いをつくってきた段階から独立組合の闘い方も一回りして、 今一度行政側の新しい管理施策を検討し新しい闘い方を生み出して行く時期にきていると思う。 それにはこの分科会が魅力のあるものになることであろう。
(村上)
第四分科会
(はみだしっ子、 世にはばかる)
 一日目は、 アイムの向井吉人さんから 「議論をおもしろくするために」 として、 山下英三郎 (スクールソーシャルワーカー)、 宮台真司、 佐藤直樹 (刑事法学) 河合隼雄、 養老孟司らの子どもの現状分析を紹介してもらい、 十数名の分科会参加者各自の子どもの現場への関わりと問題意識について報告をして終えた。
 二日目は、 前日の報告をふまえ論議を深めた。 都市的な空間、 村落的な空間という物理的な環境条件の違いよりも相互の関係性の変化や希薄さを感じるという意見や担任として学級崩壊や不登校に直面した中で、 教員の個人的な資質のレベルではなく、 どこでもいつでも起こりえるものであってそれを個人の問題にすりかえてしまうことの問題点についても論議が集中した。 結論的な内容をあえて出そうとする分科会ではなく、 各自の子どもとの関わりでおきている葛藤を吐露する中で、 発想に変化をもたせたり力を抜いて受けとめるなどのきっかけとなるものであったと思う。 (朝倉)
第五分科会
(どこまで行くの? 「教育改革」)
 レポートは、 全学労連学校行革対策委員会の佐野均さんの 『学校行革の流れと現状』 と横校労茂呂さんの 『教育改革の現状と批判〜子どもをだめにする 「生きる力とゆとり」 〜』 の二本。 前者は、 文部省の教職員配置に関する研究協力者会議報告と地方公務員制度調査研究会報告の批判を中心に、 財政問題 (国庫負担問題) の実情と学校事務の共同実施を見据えた 「学校行革」 の現在地点を明らかにした。 後者は、 文部省の教育改革についてのさまざまな内外からの批判を検討し、 現在進められている教育改革が、 結果的には子どもの更なる階層化と学校労働者の働き方のなしくずし的な変更を迫るもので、 今後は 『小国寡民』 の立場からの改革論の提起が必要と結論付けた。
 討論では、 さまざまな視点からの議論がなされたが、 解放教育も含めて教員の陥りやすい 『教育主義』 をいかに克服するか、 教育という言葉を媒介しない論議をどこまで詰めていくことができるか、 が今後の闘いの要諦となっていくのではないか、 というあたりが結論的なところであったようだ。(赤田)

 

© 1999 2000 横浜学校労働者組合

本サイトの内容を無断で他に転載,複写する事を禁じます。