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講演抄録 佐々木 賢 氏
『教育問題は教育では解決できない』

 

 十一月九日、 開港記念会館にて横校労結成二五周年を記念して講演とコンサートの集いが開催された。 講演者には佐々木賢氏を迎えた。 その講演の内容をお伝えする。

 横校労結成二五周年おめでとう。 組合が結成された時には、 すぐつぶれそうに思っていたが、 徐々にこれは小さいけれど新たな潮流になると感じてきた。
 十年前にも横校労から講演を依頼され、 その時には七〇年代からの消費社会の変容と社会・学校の関係について話をした。 今日は九〇年代からの欧米 (消費社会先進国) の状況を示したい。 ここでは教員に関係しそうな問題についてできるだけ客観的に述べたい。

1. 教育改革後の米英
 まず言えることは、 教育機関が企業化してきたことである。 この一年間をみても、 米国NY市では公立校の二〇校が四企業系列に民営化され、 シカゴでは低学力の六校が民営化された。 英国では成績の悪いところは潰すという学校基準枠組法により二〇〇校が民間委託され、 その結果、 委託された会社の株価が倍増した。 また、 財界がこぞってチャーター校などに寄付をすることにより商業化、 民営化への圧力となってきている。
 デジタルカリキュラムの問題も同時に起きている。 VTR、 TV教材を直接学校に流すことにより、 教員は受像機の横にいるだけでよく 「楽になる」 (?) と思われていたが、 一部のエリート教員だけが残り他は臨時教員に置き換えられ、 教員の 「分化」 が起きた。 国境も無くなり、 例えば中国にいながら米国の大学を卒業することも可能になった。 世界中の多数の人々が消費者となったのである。 二〇〇〇年にはこのような情勢下、 オンライン教育国際会議がワシントンで世界二〇カ国を集めて開かれ、 国家主権、 市場乱立、 認可機関、 大学既得権の保護の問題について討議された。
 教員の個人評価の問題も生じている。 米国では児童・生徒の全米統一テストの結果に応じて教員の給与・賞与が査定された。 ドイツでは競争原理のもと大学教員の基本給与が削減され準教授職が新設された。 英国では、 あまりのやりすぎに対し組合が反対闘争を組んだ。 査察員が行ない公表するという学校査察を縮小する案が短期的には受け入れられたものの、 全体としては査察が強化、 精密化されたものになってきている。
 米国の教育自由化にかけた経費を試算すると七七億ドル (七兆七千億円) に上り、 これは日本の国家予算の一割に相当する。

2. 生徒の荒れ
 教育への市場原理導入国でも、 生徒の荒れは衰えを見せない。 いわば 「改革無効」 の状況である。 英国では、 八〇年からの二〇年以上の教育改革でも、 校内暴力・対教師暴力はあとを絶たず、 私学五〇校から体罰復活要求が出されたり、 「教室は戦場、 生徒は肉食動物」 とする教組研修指導員の本が生徒制御マニュアル書のベストセラーとなったり、 生徒の前で、 ドッグフードを食べ・五ポンド札引きちぎり・小便飲みなどのショックを与えることによって教員のサバイバルを図るという実例も報告されている。 さらにリーズでは生徒五八人の追放要求スト警告が中学校教員からなされた。 仏国でもパリ周辺の七五校で登下校時に警官が配備された。 米国アリゾナ州マリコーパ郡では不登校者が五年前の三倍に増え、 欠席予防計画として小中五三五〇〇人中三分の一に警告、 四六〇〇人に厳重再警告、 一六〇〇人が後に高等裁判所送致になった。 欧米でも (今日本で宣伝されている) 学校選択の自由化では、 金持ちは選択権を行使できるが貧乏人はできず、 結局学校格差は変わらないという現実を日本のマスコミは伝えて (理解して) いない。

3. 教員の不足
 このような荒れた学校状況下、 欧米では正規教員が退職に追い込まれている。 英国リバプール大の調査によると九八年から〇一年の三年間に高校一校平均十人と正規教員の退職が三倍に増えた。 理由は@仕事の負担六八%、 A生徒指導上の問題四五%、 B行政主導に不満三七%となっている。
 教員の不足が深刻化し 「聖職」 意識とは違う意味の 「教員の職業意識」 すらなくす方向にきている。 無訓練、 無免許だけでなく犯罪前歴調査を要する教員が増加し、 「未点検教員雇用リスクと授業カットのジレンマ」 の問題も起きている (英国)。 たとえ少ない例だとしても、 このような現実があることは知っておくべきではないか。

4. 社会変化と学校労働者
 冒頭で九〇年台からの分析と言ったが、 この九〇年からはノーマ・フィールドのいうように 「資本家の所在が不明な時代」 である。 姿の見えない国際金融資本が台頭し、 しかもその実態が多くの人に確認できない。 このようなことは歴史上かつてなかったことである。
 社会背景の大きな変化が問われないまま家族・組合・地域といった社会の中間手段が解体され個々人は原子 (アトム) 化されて、 社会全体は官僚化した。 ソ連崩壊後国際金融資本・グローバリズムが跋扈し、 情報革命と相まって労働市場も変容した。 少数のエリート層にのみ技術・情報・裁量権が集中し、 アトム化された多数の労働者は代替可能な労働力となった。 そこで起きる諸問題は自己能力・自己責任とされ、 問題解決は心理主義と治療体制化で内向きの個人の問題に置き換えられてしまうのだ。 そして背後にある権力は隠蔽され、 同時にイチローへの憧れが煽られるようにエリート崇拝と同一化が進行している。 教育においても 「期待と反発」 を含みながら、 これまでの社会の人材配分機能が衰退しているのが現代である。
 フーコーのミクロ・ポリティックス (ミニ権力) の概念のようにより近い人に敵意が向けられ (近親憎悪)、 民衆ファシズム状況がうまれている。 学校でかつては管理職に向けられていた不満が、 今は同僚に向けられ結束することがないなどもそうである。 この傾向は臨教審以降強まっている。 学校へのアカウンタビリティ (説明責任要求) についてもマスコミはあまりに不用意に使いすぎるのだが、 親の要求と子どもの要求を混同させ学校にサービスを求めている。 親は、 学力・しつけ・託児を求め、 子どもは学校に相互コミュニケーションの場・通過・居場所を求めている。 学齢期の子どもたちにとって居場所として他に行くところが無いのだ。 教員はこの間に立たされているのである。

5. 教育枠内論議の限界
 近い目標を立てる方が努力目標として有効だとする最近接領域の考え方があるが、 現在は一方では学歴インフレで学歴社会は実質的に崩壊し (一部のエリートを除き)、 一方では取得のハードルのみが高くなった乱立する資格制度への幻想と空手形でしかない就職、 雇用の現実がある。 社会の階層図をみると、 かつては正規分布に近い形で表されていたのが、 いまや三分の一が上部で競争層になり他の三分の二が浮遊層として位置づけられるようになっている。 このことは、 奇しくも学校の成績の二こぶラクダとして言われていることと重なる。 教員も同様のことが想定されるだろう。
 サラリーマン中間層・中間管理職が没落、 消滅しつつありフリーター三五〇万人、 大人モデルのみえない社会に現在の子どもたち、 若者は置かれているのだ。
 われわれはまずは 「絶望したほうがいい」。
 社会構造の変化がなく若者の出番がない限り、 教育をいくらいじっても難しい。 ただ欧米では部分的に効果をあげた政策は参考になるかもしれない。 例えば、 英国のブレアは三年間のリザーブシステムを導入し、 ドイツでも若者への家賃補助、 ワークシェアリング、 家庭菜園からの作物の商品化など第一次産業への関わりがなされた。 日本でも地域通貨の導入による地域活性化に注目したい。 仏国の新しい労働組合運動として出された方法で
・何でも横につながろう
  (民族、 文化、 スポーツ等)
・テーマ別に運動しよう
・組合の専従を置かない
というのがある。 旧来の動員型ではないやり方で成果をあげつつある。
 新しい発想で、 新しいさまざまの戦術で、 そして戦略は 「反グローバリズム」 でわれわれも取り組んでいこう。
(文責 朝倉賢司)

 

 

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