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深川・佃を歩く
―メーデー巡検―


浜田 謙一
 はじめに
 ぼくが育った中野というところは、 もとは江戸下がりの内藤新宿の、 さらに外れの中野村。 今でこそ山の手と称してはいるが、 友だちのほとんどが、 ぼくも含めて地方からの上京者の二世。
 親の故郷を自分の故郷とは呼べず、 さりとて東京に愛着も持てない。 「旅の恥はかき捨て」 というのが、 その旅先にいる意識で親の世代は暮らしていたのだろう。 そんな大人に囲まれて育った。
 だから東京を故郷と誇れる 「江戸っ子」 にはコンプレックスを抱く一方、 「田舎者」 を馬鹿にし、 その実東京という都市を心の底では嫌っている二流東京人。 その一人であるぼくは、 下町に複雑なあこがれを抱き、 落語をむさぼるように聴き、 江戸弁をまねた。 ただしこの江戸弁、 本物の江戸っ子の前では意気地なく沈黙し、 地方に行くとやたらと饒舌になる。
 前置きが長くなったが、 要するにこのレポートを書いているぼくは、 そんなコンプレックスをひきずる人間なのだ。

 深川のはじまり
 さて、 今回巡検するのは、 有名な本所深川。 深川には造詣の深い前田浩志氏に講師をお願いした。 最初に訪れたのは神明宮。 ここで最初の講義を受ける。
 深川の名は、 家康入国以前に摂津国から深川八郎右衛門らが入植したことに由来する。 小名木川の開削、 小名木川以南の新田開発、 隅田川沿いの猟師町、 ゴミ捨てによる永代島埋め立て、 新大橋、 永代橋の架橋などで、 元禄年間に深川の原型がほぼできあがった。 今でこそ深川は江戸のそのもののように言われるが、 隅田川の東側にあたる深川はもともとは江戸とは見なされていなかったというのも興味深い。

 松尾芭蕉を訪ねて
 次に向かったのは松尾芭蕉記念館。 本所深川といえば松尾芭蕉だが、 芭蕉庵があった場所はわかっていないのだそうだ。 記念館の入り口にはバショウが花房を垂らしていた。 小粋な庭には人工の滝まであって、 築山を登ると小さな庵があって、 芭蕉の像が安置されている。 背後には隅田川、 造形が美しい清洲橋を背に、 水上バスが波をけたてている。
 記念館の展示品とビデオを見た後、 芭蕉庵の候補地の一つである芭蕉稲荷を訪ねる。 歩道や路地に植木や花の鉢や木箱が置かれているのは、 いかにも下町という風情。

 万年橋
 小名木川にかかる万年橋。 ここからは清洲橋が良く見える。 銘板に 「ケルンの眺め」 とある。 清洲橋はライン川に架かるケルンの橋を模したものなのだそうだ。
 ここで小名木川について説明を受ける。 江戸時代といえば、 物資の輸送は船が頼りだったわけだが、 江戸市中の水路から隅田川、 小名木川、 船堀、 江戸川とつながり、 船便が行き来していのだ。
 と突然、 テレビカメラのクルーが現れ、 我々の周りでばたばたセットを始めた。 何かの番組の収録の準備らしいのだが、 挨拶もなにもなし。 あいもかわらず無礼で非常識なテレビ業界人ではある。 (そういう俺もかなり非常識?)

 江戸資料館
 清澄庭園の裏をめぐって深川江戸資料館へ。 駅の名前も白川清澄だし、 松平定信に関係がありそうだと思ったら、 果たしてその通り。 「白河の清きに魚の住みかねて昔の田沼今ぞ恋しき」 という狂歌があったっけ。 近くに墓もあるらしい。
 江戸資料館には、 深川の町がリアルに復元してあって、 八百屋などの棚店や漁師や職人の家、 茶屋、 蕎麦屋の屋台、 火の見などがあり、 鶏の声や物売りの声が流れていく、 なかなか楽しい。
 資料館の前には深川飯で有名な店があるらしく、 行列になっている。 江戸っ子じゃないが短気なので行列というのが生理的にいやだ。 しかし腹へった。 大江戸線で門前仲町へ。 行列してなければ深川飯でも食おう。

 佃島・もんじゃ焼き
 昼食は門前仲町で三々五々とり、 大江戸線の月島で下車。 佃島へと向かう。 因みに月島、 佃島、 石川島は現在は陸続きであり、 町名でそれとわかるにすぎない。
 しかし、 マンションの林立するなかで、 佃地区だけぽつんと下町の風情を残している。 入り組んだ路地。 駄菓子屋の前で缶けりをする子どもたち。 街角のごみ箱。 橋の下に群れるボラの稚魚。
 佃島は摂津国佃村と大和田村の漁師三〇余名が移り住んだことに由来する。 佃村の漁民が本能寺の変の際、 家康を助けたという故事があるそうで、 以来徳川家とは並々ならぬ縁で結ばれているのだそうだ。 たとえば江戸時代、 佃の漁師は将軍に白魚を献上していたのだが、 維新後も徳川家への白魚献上を続けたのだという。
 佃小橋のたもとでの前田氏の講義を、 傍らで自転車を停めて興味深そうに聞いていた人が、 「今でも白魚の献上は続いていますよ。」 と教えてくださった。 また、 三年おきに行なわれる本祭りで江戸城に向けて立てられる六本の大幟の柱は、 この橋の下の水中に保存されていて、 現在この人が管理を任されているのだそうだ。
 本場の佃煮を買い、 一応お開きとなる。 長い距離を案内してくださった前田氏には本当にお世話になりました。 ありがとうございます。
 さて、 お開きにはなったものの、 みんなの足はなんとなく月島のもんじゃ焼き屋へ。 しかし、 「お好み焼きとは似て非なるもの」 という前田氏のことば通りであるばかりか、 手間がかかるわりには美味とも珍味とも言い難いしろものであった。
 ところで、 委員長の朝倉氏はここの保育園の卒園だとか。 その朝倉氏が、 直木賞作家の出久根達郎が丁稚奉公したという本屋に案内するという。 が、 着いてみればすでに店はなく、 更地になっている。 まさに諸行無常なのであった。

 

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