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年金とはどういうものか
横校労の夏の学習会

年金とはどういうものか
横校労の夏の学習会は、 今話題の年金制度について、 千葉で社会保険労務士として活躍中の藤橋克実さんを講師に迎えて行なわれた。 以下、 藤橋さんの話を二回にわたって要約してお伝えする。   (編集部)


年金制度とは
 年金制度とはどういうものか。 今国会で議論されている年金制度は、 昭和六一年、 一九八六年に改訂されたものが、 ゼニ金の話の変化はあっても、 仕組みとしてはそのままの形で議論されている。 菅直人の年金未納問題があったが、 あれは年金制度のわかりにくさ、 欠陥ともいうべき問題で全く菅直人には気の毒な話であった。 社会保険労務士の自分に相談してくれていたらあんなことにはならなかったのだ。

1. 年金の前史〜恩給の時代
 法律なり制度なりのしくみを理解するためには、 歴史的ないきさつを自ら調べることによって、 現在の姿が本当に理解できる。 一番初めに出来た時はどうだったのかが重要である。 年金制度の始まりは軍人恩給である。 明治八年の太政官達第四八号で、 「陸軍武官傷痍扶助及ビ死亡の者祭粢並ニ其家族扶助概則」 という勅令がでる。 これは何かというと、 戊辰戦争に従事した官軍側兵士の負傷者及び死亡者の遺族に対して出されたもので、 一時金で給付をしている。 なぜ明治八年にわざわざやったかというと、 明治一〇年に西南戦争がある。 その西南戦争に向けて心置きなく戦闘に従事せよということなのである。 そもそも社会保障だとか社会保険だとか健康保険だとかそういうふうなものというのは、 必ず戦争との絡みで作られているのが歴史的な事実だ。 日本にある健康保険法というのは、 大正一一年に制定された。 施行は昭和二年である。 これはどこから来たかというと、 ドイツからである。 プロシアがドイツをウィムヘルム二世のもとで統一する。 その時にビスマルク宰相がやったことは、 国民を兵士として徴用することであった。 ここで健康保険制度が作られる。 ドイツ疾病保険というものである。 これが社会保険の始まりであって、 日本はドイツの制度をいち早く研究した。 明治時代に後藤新平などが盛んに研究している。
 明治八年暮れには、 「太政官達第一四八号海軍退院令」 が作られる。 これが老齢年金の始まりである。 四八号は過去に対しての話であるが、 一四八号は将来に向けての話になる。 老齢年金だけでなく遺族年金・障害年金も含まれる。 そして明治九年 「太政官達九九号陸軍恩給令」 がでる。 ここで初めて、 陸軍で将来に向けて恩給がでることになる。 日本で初めての恩給令である。 文官恩給というのは明治一七年にできる。 「太政官達第一号官吏恩給令」 である。 警察監獄職員に対しては、 明治一五年 「太政官達第四一号巡査看守給助則」 という勅令が出される。 こういう形で軍人、 文官、 警察職員、 そして明治二三年 「法律第九〇号市町村立小学校教員退隠料及遺族扶助料法」 によって教育職員に対する恩給法が作られる。 明治二二年に大日本帝国憲法が発足し、 帝国議会が開催され一斉に法律として制定される。 それまでは全部勅令であった。 明治二三年には、 「軍人恩給法」 ということで海軍陸軍が同じくなり、 文官については 「官吏恩給法」 が制定される。 大正一二年には、 軍人文官警察職員教育職員を統合して 「恩給法」 が施行される。 これが年金の前史ともいうべき恩給の時代である。 こうして官の方から恩給制度が制定されるわけで、 軍人については年取って兵士として働けないので、 若いときに働いてその代わり恩給を出しましょうというものだった。
 公務員の恩給制度は昭和三七年まで続き、 私達の少年時代、 「お父さんは二〇年勤めて恩給がつくから、 大丈夫。」 などという会話を聞いた覚えがあるものだ。

2. 年金制度の発足
 現在の年金制度のもとになるのは、 昭和一七年に発足した 「労働者年金保険法」 である。 これは昭和一六年三月に制定された。 結局これも、 戦争準備政策の一環であるのは間違いない。 昭和一六年一二月には日米開戦である。 ついでに言うと今ある源泉徴収制度は昭和一五年に発足したという。 それまで軍人は税金を払っていなかったのが、 戦費調達のため国民全員から税金を一律に徴収できるようにしたものであるという。 戦争のための見事なしくみである。 この年金制度は、 はじめ男子肉体労働者を対象とした。 年金というのは、 対象者が老齢になってから支払いが行なわれるので、 始めの一五年間は国に金が入ってくるだけである。 戦費の調達、 戦争経済に向けて国民に貯金させるねらいがあった。 その後、 昭和一九年、 戦況不利になり金もなくなると、 「厚生年金保険法」 に変更され、 一般労働者、 女性に適用拡大されることとなった。 この時に内務省から厚生省が独立した。 厚生省発足今年で六〇年というわけである。 今は厚生労働省となったが。 ちなみに労働省は、 昭和二三年労働基準法の発足と同時に作られている。 さて、 この年金法であるが、 日本が負けたためにすべてがパーになってしまった。 一銭もなくなった。
 年金というのはどういうしくみかというと、 基本的に積み立て方式という考え方である。 民間でやっている年金保険も全部積み立て方式である。 仮に月掛け金を一万円ずつ掛けていって、 一年で一二万円、 それが四〇年で四八〇万になる。 そして四八〇万円たまったものが、 利息の年利五%として、 今はこんな高利はないが、 約三倍一五〇〇万になるという計算である。 年金というのは、 運用がよければそのくらいになるというものである。 ところが敗戦で一銭もなくなった。 戦後のあの超インフレだった時代をすぎて、 昭和二六年サンフランシスコ条約で日本が独立し、 昭和二七年でそろそろ一〇年たち、 年金を払わなければならなくなった。 その当時は最低一五年かければよかったのと、 戦時加算があって、 一二年掛ければ一六年分あることになっていた。 この時それを払わなければならなかった。 そこでどうしたかというと、 昭和二九年厚生年金法を全面改定してしまった。 年金というのは支給開始年齢というのがある。 当時の民間の厚生年金法は五五歳から払わなければならなかった。 いざ払おうとしても金がない。 そこで六〇歳支給開始に延ばしてしまった。 一挙に先延ばしにするわけにはいかないから少しずつ延ばした。 六〇歳支給開始に完全になるのが、 昭和六〇年ごろである。 昭和七年四月一日以前生まれの女性は五五歳からもらえていた。 この女性の方が年金を早めにもらえるという制度は今でも残っている。 昭和二四年四月二日以後生まれの男性は、 完全に年金がもらえるのは六五歳からだが、 女性は五年早めにもらえる。
 自営業者に相談を受ける場合が多いが、 女性は得をするが、 男性は損をすると答えると、 じゃあ払わないという。 現在国民年金の年金は、 月約一万三千円の掛け金で年約八〇万もらえる。 六年で元金が回収できる。 六五歳から一五年もらえば金利も回収できる。 平均寿命を考えると男性は回収しきれない。 だから国民年金の収納率はいつまでたっても六割で上がるはずがない。 商売をやっていれば 「ゼニ金っていうのは命より大事」、 毎月給料を払わなければならないのだから。
 昭和三〇年代に入るとようやく日本も経済成長を迎える。 昭和三三年、 「国家公務員共済組合法」 ができる。 これによって国家公務員は恩給の時代から共済組合法の時代に入る。 そして昭和三六年 「国民年金法」 が発足する。 つまり一般の会社に勤めている人は厚生年金、 国家公務員は国家公務員共済、 自営業者は国民年金、 年金はそれぞれの仕事ごとに職種ごとに住み分けができる。 昭和三七年四月に 「地方公務員共済法」 ができて、 地方公務員は共済組合に入ることになる。 これ以前の地方公務員はどうだったかというと、 市町村ごとの条例による恩給に拠っていた。 積み立て方式だから、 既得権はもつわけで、 昭和三七年一〇月までの分、 それから一一月からの分というように計算して一人一人の年金の額を計算していた。 コンピュータのない時代すべてそろばんで計算していたのだからたいしたものである。 社会保険庁でコンピュータが導入されたのが、 昭和四〇年ころのはずである。 当時はすべて手書きで、 加入経歴がコンピュータに載ってない場合がある。 照会状を出して問い合わせることがあるが、 ちゃんと調べて出してくれる。 ともあれ、 昭和三六年は国民皆年金の時代幕あけと我々は呼んでいる
 昭和三六年ころから昭和六〇年頃までは年金にとって幸せな時代、 まさに順風満帆の時代と言える。 昭和二九年の改定によって、 年金支給年齢を五年間延ばした。 そのために、 厚生年金の財源は非常に豊かになった。 給料もどんどん上がった。 給料五、 六万円の時代に五万円の賃上げなんていうのもあった。 厚生年金、 共済年金というのは賃金に対して料率をかけて保険料を出す。 例えば今は給与に対して一三・五八%を掛けて保険料を出している。 だから給与が上がれば財政も増えるというわけである。 貯めに貯めて、 一七〇兆円。 今の年金の官僚達は一七〇兆円などたいしたことはない、 毎年四〇兆円を支給しなければならないのだからというが、 いずれにしても幾ら払ってもそれ以上の金が集まってくるという時代だった。 その時儲けていればよかったのに厚生年金会館だとかいろいろ勝手に使ってしまった。
 昭和一九年に年金法を作って、 財源がなくなっても二九年に改定をして、 うまくできてしまった。 積み立て方式で金がなくなってしまったのにもかかわらず、 ちょろっと法律を変えてうまくやってしまった。 老齢を迎える人は少なく、 団塊の世代が就労していった。 それで厚生省は厚生年金基金というものを作った。 基金というのは、 公務員でいえば職域加算のようなものである。
 しかし、 昭和六一年、 そろそろ団塊の世代の老齢化を迎えることになって、 年金の大改定を行なった。 画期的な改定である。 それまでは、 国民年金、 厚生年金保険、 共済年金と制度がそれぞれ分立していた。 それを共通にしましょう、 そうしなければ公平ではないでしょうということで、 国民年金を基礎年金として、 厚生年金や共済年金を職域年金として統合した。 それが現在まで続く年金制度のもととなったものである。 では、 それはどういうものであるか。
   (以下 次号)

 

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