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報告
――横校労主催 一二・一八 「教育基本法 『改正』 を考える集い」 ――
教育基本法は教育勅語の喪失による空白を埋めるために作られた



はじめに
 横校労は、 昨年の一二月一八日、 横浜万国橋会議センターで 「教育基本法 『改正』 を考える集い」 を開催しました。 暮れもおしせまった時期にもかかわらず、 講師の岡村達雄さんをはじめ、 多くの教職員や市民の方々の参加をいただき内容濃い有意義な集会となり、 教育基本法改正反対運動の現状に一石を投じたのではないかと思います。 以下集会の一端を紹介させていただきます。 多くのご批判ご意見をお寄せいただければ幸いです。
 最初に問題提起として、 主催団体の横校労の赤田副委員長から集会基調を、 引き続き関西大学の岡村達雄さんから講演をしていただきました。 以下その要旨を紹介いたします。

★横校労基調の要旨
● 我々の教育基本法改正に対する基本的立場は、 現在出されている改正案には反対であるが、 教育基本法を守れという主張ではない。
● 今まで教育基本法は我々を守ってくれたことはあるのか、 我々を国民という枠に括り支配する機能を果してきたのではないか。 (われわれは国民という枠に括られたくない。) そして、 現在の教育の惨状はこの教育基本法によってその多くは規定されている。
● そもそも近代社会において法によって、 国家が教育の目的を設定することはあってはならないことであり、 「国家による説教」 である教育基本法はいらない。 義務教育の国庫負担は、 徹底して地方に委譲されるべきである。
● 教育基本法改正問題は、 教育や学校現場の現実を見ずして論じてはならない。 今教育や学校がどんな状況にあり、 その中でどんな教育、 どんな学校が必要とされているのか、 その上で、 法律がどうあるべきなのか検討されるべきである。
● 今、 「ゆとりの教育=教育改革」 が進行している。 その核心は 「特色のある学校作り」 であり、 その進展のなかで、 「競争と自己責任」 という新自由主義的発想をもったコンセプトのもとに、 学区制を象徴とするさまざまな規制が緩和され、 その結果、 子供たちの落ちついた生活よりも、 校長や特定の教員の業績を上げるための取り組みが優先され、 唯々諾々と指示に従う 「意欲的教員」 によって新しい空疎な学校が作られていく。 今横浜では中田市政の下、 「シャワー」
 のごとく改革政策が現場に下ろされている。
● このような教育改革に対して、 特色のない学校・ 「小さな学校、 シンプルな教育、 ゆとりある親や教師…」 というコンセプトを出しておきたい。

★岡村講演の要約
● 戦前戦後の公教育を総力戦体制という概念で連続してとらえ国民教育論批判を展開してきた大内裕和氏らと、 教育基本法改正反対運動において大きなズレが生じてきている。 改正反対運動の主体は、 「改正」 は改悪であり、 改正されれば国家主義が強まり、 愛国心教育が強まるという主張をしているが、 本当にそうなのか。 そもそも教育基本法とは何であり戦後社会においてどのような役割を果たしてきたのか、 教育基本法へのわれわれのスタンスが明らかにされる必要がある。
● 教育基本法は、 権利保障が支配のシステムとなる近代に関する法的枠組みであり、 国民国家を組織する法的装置である。 教育目的の法定化は近代理念からの逸脱であるが、 教育基本法一条に教育目的が法定化されている理由は、 戦後という混迷の時代において教育勅語が廃止され人々のよりどころがなくなり生じた空白を、 「民主的価値」 で穴埋めすることにあった。 このような教育基本法を作成する当事者であった田中耕太郎は、 後に、 この一条による教育目的の法定化は国家の任務の逸脱であるとの批判的見解を出している。 法成立時貴族院においても、 「説法」 であるとの批判が出されている。
● 教育基本法によって教育の量的拡大が計られるという意義もあったが、 反面、 戦後教育に負性ももたらした。 教育基本法は、 戦後教育政策において国家が道徳を国民に押し付けることに対して、 批判しきれない構造を作り出した。 また、 戦後の公教育批判主体が依拠してきた基本法一〇条の教育の内的事項、 外的事項の内外区分論に依拠する運動は、 一条によって国家による教育内容の大綱的規定が承認されることによって、 構造的に敗北するものとなっていた。 一九七六年に学習指導要領の大綱的国家基準性を認めた判例が出されている。
● 教育目的の国家 (天皇) 管理ということにおいて、 教育基本法と教育勅語は通底するものがあり明治帝国憲法の時代に遡り言及される必要がある。 明治憲法制定過程においてはその中心的起草者であった井上毅などは、 元田永孚とは厳しく対立しつつ、 明治憲法に教育目的を規定することは、 近代の理念から逸脱するものとして反対し、 明治憲法 (関係法規) においてはそのような条文をつくらなかった。 しかし、 勅語という形でその代替物が成立し、 憲法以上に神格化させられていった。
● われわれは、 明治一〇〇年の公教育史の中で成立時を含め三度目の大再編期に差しかかっており、 そのような観点から教育基本法改正問題を深めていく必要があり、 その中で運動主体の立脚点を探っていく必要がある。

★以上の提起と講演を受けて、 司会から以下の三つの論点が出されました。
 @教育目的を法定化した教育基本法は、 国家 (天皇) による教育目的の設定という趣旨を強化し、 敗戦直後の教育勅語の空白を埋めるためのものとして作られ、 戦後、 主体を国民という枠で括り支配する機能を果し、 「教育の惨状」 を生み出すひとつの原因をなすものとなったという捉え方についてどう考えるか。 A教育基本法改正問題を生み出す現実をどのように認識するのか。 現在の特色ある学校作りを象徴とする教育改革をどう捉えるのか。 そのうえで、 愛国心を含めた教育基本法改正の動きをどうとらえておくのか。 Bこのような現状に対して、 「小さな学校、 シンプルな教育、 ゆとりある親・教師」 という提起が出されているがどう考えるのか。

★以上の提起を受け、 以下のような興味深い議論が短時間ながらなされました。
(前年学習会の講師・大石和夫さん)
● 講演の内容はほぼ同意できる。 教育基本法は、 戦後解体の危機にあった文部省存続のためにもつくられた。 講演では立法過程の問題点がよく分かった。
● 井上毅は、 教育目標の法定化のみならず、 教育勅語制定にも反対していた。 井上の心配していたように教育勅語はその内容がまともに読まれることもなく、 祭り上げられ政治的役割を果していった。 教育基本法も同じである。
● 日本の政治は、 理論によって動くわけでも、 国家と個人の関係を詰めて動くわけでもなく、 実用で動いている。 新自由主義という言葉はよく言われるが、 日本にそんな主義がはっきりあるわけではない。 事実を事実としてとらえ、 対処していったほうがよい。
● 運動の問題として、 教育基本法改正 (改悪) 反対運動としての内実がカンパニアを超える運動としてどう構想されているのか。 人を大同団結的に集めること以上のことを考えていないのではないか。 そのようなやり方は七〇年闘争においてすでに結論は出ている。
● 人民的関係は国家意識と異質な諸関係の中で形成される。 それをどう作り上げていくかが課題である。
(入江勝道さん・塾経営者)
● 「学校が (国家が) 道徳なんか教えるな」 という主張を今強烈にしているのは、 クリスチャン・教会である。 われわれはどうそれをつくりだしていくのか。 公教育の縮小という主張をしつつ 「縮小した余白」 (小浜逸郎) に子供の居場所をどうつくるのか、 われわれの地域・社会構想のなかで考えていく必要がある。
・講師への質問。 新しい教育構想を探求するということと公教育を無用にするということをどう関係付けて展開しているのか。
(北村小夜さん・「能力主義と教育
 基本法『改正』」著者)
● 状況は悪化している。 心の問題では、 すでに戦争をやれる体制となっている。 教育基本法はなくてもよいが、 依存している現状に対しては、 三条の能力による差別規定は、 修正されるべきである。 ただ、 そのような教育基本法の修正意見を述べると、 改悪反対運動をやっている人々から 「非国民」 扱いをうける状況があった。
(岡村さん)
● 法律はできてしまうとその内容に無関心になるが、 作る過程では、 非常に精査している。 国家意思を明確にするためには、 それを明らかにすることは重要なこと。
● コンドルセの再評価をしたい。 公教育は必要悪と考えている。 コンドルセから二世紀たって教育が国家権力によって公教育としてなされるのではなく、 社会の基盤から教育を考えていける時代がきている。
● 人権宣言においては、 ある一定の能力差は社会的に認められている。 どのような能力差なのかということが問題となる。 北村さんの言う能力とは何かききたい。
(赤田さん)
● 新自由主義の定義は明確になってはいないが、 すくなくとも、 能力に応じてゆっくりマイペースでやることが否定される施策、 個々の教師がお互いに不必要な競争をさせられ分断されることには反対したい。
(大石さん)
● 能力主義といってもいろいろあり、 能力主義一般は否定できない。 民間で成績主義を一番最初に導入した富士通は、 企業業績が悪くなり、 成績主義をやめるという。 日本的能力主義は、 これまでの従来の労務管理においても存在している。
● 日本の政治は、 戦争目的でやっているわけではない。 社会的構造的な変動があり、 それへ対処しようとしているが、 一貫した明確な方針に基づいて実施されておらず、 実益で動いているのが現実。 事実を事実として見て対処していく必要がある。
(北村さん)
● 今危機的状況なのだという認識は共有していく必要がある。 (いやそうではないという声ありも)
(司会)
 教育基本法の改正を必要とする現状について少し意見を出してほしい。
(会場参加者・学校事務労働者)
● 教師専門職論で賃金上昇を図って来たが、 一九八四年臨時教育審議会を契機に義務教育の国庫負担はずし問題が始まる。 当初は教壇に立たないものを対象にしていたが、 教員にも波及し始めている。 しかし、 事務職の差別というものは変わらず顕在化しつつある。 また、 臨教審以後の新自由主義の施策は退廃している。
(岡村さん)
● 現在の教育基本法改正が出されてくる現状の把握については、 この講演では触れられなかったが、 著作で三度目の公教育の大再編期として捉え分析している。
  (会場責任者より 「時間です」 の声が入り終わりとなる。)

★終わりに
 尻切れトンボで終了せざるをえなくなりましたが、 横校労の基調、 岡村さんの講演、 会場との意見交換と、 時間に制約されながらも問題の本質に触れる貴重な討論になりました。
 ともかく 「われわれ」 が守るべきものとしてきた教育基本法が、 その成立時のみならず戦後一貫して国家による人民支配・管理の手段となってきたことは明らかになったのではないでしょうか。 このような観点から、 われわれが教育基本法改正のみならず、 それを生み出す現実に対してどう対処していったらよいのか、 集会で出された貴重な意見提案を参考にしながら、 今後も作業を継続していきたいと思います。 特に教育改革の分析批判に関して、 組合の提起として、 教育改革の本質を特色のある学校づくりとおさえ、 それに対応するものとして、 特色のない学校・ 「小さな学校、 シンプルな教育、 ゆとりある親・教師…」 という視点を出させていただいたわけですが集会ではほとんど議論できずに終わりました。 是非ご意見をお寄せください。

 

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