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赤田圭亮著『不適格教員宣言』
評者・岡崎 勝

日本評論社  本体一七〇〇円

 本年上半期最高の必読教育本!
 本当の現場とは、 本当の対話とは
 ここまで 「現場性」 ということを意識して書かれた本が今まであったろうか? 「現場性」 というのは、 ゴシップを選んで赤裸々に語ることではない。 自分の日常的な学校での仕事を客観化し、 現実の状況に拘泥せず、 人間の限界と希望を同時に語ることだ。
 赤田さんは、 最初に 「子どものため」 ということのウソくささをはっきりと言う。 これは言葉だけの問題ではない。 「子どものため」 という姿勢とその現実を吟味し、 潜在的に教師が持っている 「疑うことのない教育的価値観」 を相対化するためである。 だがそれは別に、 肩をいからせたり、 ニヒルに見せたり、 子どもを敵視したりしているのではない。 著者の日常的な体験と思想から紡ぎ出した 「立脚点」 である。 また、 ささやかに、 子どもや親と共感をしていくことでさえある。
 第1章では、 教育改革の問題点を指摘する。 教育改革を批判するスタンスも、 日常的な学校生活の、 ほんとうに普通の教員の眼からだ。 とにかく現場を無視し、 常識を無視した文科省をはじめとする教育行政の力ずくの改革が、 現場を疲弊させ空虚な教育言語を生み出していることを指摘している。
 第2章から第4章までは、 中学校現場での子どもや親とのやりとりをリアルに描きながらも、 その現実が、 教育の一般論では読み解けないということを明らかにしている。 いじめなど学校が抱える問題に対しても、 今や誰でもが評論できるレベルではなくなっている。 狭い学校空間だけを語ることでは何も見えてこない。 本書では、 その深いところで教育問題が社会問題として解析されていく。 著者の透徹したまなざしは、 文学でもルポでもなく、 かつ、 教員が自己陶酔的に書き散らす実践記録でもない新しいエクリチュールを生み出している。
 第5章では、 教員の具体的な働き方を記述しながら、 生の声を整理していく。 教員に対する世間のバッシングに対してきちんと答えていくために、 この部分の詳細な読解が読み手に要求されるが、 それに十分応えうる内容になっている。
 誰でも教育を根っこから変えることはできなかった。 それは教育を語っているかに見えて、 実は、 誰も教育を語ってこなかったからだ。
「現場の声を聞く」 とは何か?せめて一般的なフィールドワークと同じように、 誰に、 何を、 いつ、 どこで聞くのか?という慎重さが必要なはずだ。 しかし、 今回の教育改革は、 現場の教師の誰にも、 何も聞いていないに等しい。 いや日本の教育施策は、 今までも常に現場の声に耳をふさいでしか進められてこなかった。 「現場の生の声を聞いてはいかんがね」 というのが、 教育行政の原則になっているようだ。 そして、 実は教員だけでなく親の声だって文部行政は聞いてこなかった。 全国PTAの代表や全国校長会の代表あるいは日教組の代表、 そういう人たちだけが 「現場の声」 ではないのだ。
 著者は 「不適格教員さがしに躍起になって、 体温の感じられないのっぺりした教員ばかりになっていくことのほうが、 子どもにとって不幸なことだと私は思うのだが」 と書き記している。 つまり、 現場の声は 「矛盾を含んだかっこわるい」 ものだと言っているのだ。 それは、 あえて言うなら 「反金八」 宣言なのである。 私は、 本書を読んで、 金八先生を持ち上げる前に、 金八をとりまいている 「普通の先生を見よ!」 と言いたくなった。 現場とは、 普通の教員で成り立っているのだ。 不適格と言われる 「困った人」 が、 誰にとって、 何にとって 「困る」 のか?そういう吟味がされないまま、 いいかげんな不適格チェックリストで何がわかるというのだろう?
 教育改革で、 個性、 想像力、 自由な発想などと、 言葉は過剰で盛りだくさんだ。 しかし、 それに比例するように、 現場では、 子ども、 親、 そして学校で働く者の 「本当の対話」 が消失していくように思える。
 教育を語る前に、 「現場」 そのものである本書を読むべきだ。
(おかざき・まさる/公立小学校教員)

 

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