【放射能汚染土問題】汚染土問題を情報公開で整理すると…

放射能汚染土問題

組合で「横浜市内の保育園で園児2人が白血病になった。この園には放射性物質に汚染された土が埋まっていた」という話を聞いたのがきっかけでした。

汚染土についての知識を十分に持ち合わせていないので、人を介して紹介された市民団体「神奈川・子どもを守りたい」の方からレクチャーを受けました。

汚染土に関する当局の通知文を情報公開請求

知らなかったことが幾つもあり驚くこと多かったのですが、ふと思ったのは、この混乱の大元である当局は、原発事故後、現場にどのような指示を出してきたのか?という疑問でした。

お話された方も、その点はすぐには分からなかったので、汚染土に関する当局の通知文を情報公開請求することにしました。

請求先は保育園を管轄するこども青少年局と、学校を管轄する横浜市教育委員会です。以下は、通知文と開示の際に職員から聞いた内容に市民団体の方から得た情報を加え整理したものです。

こども青少年局と市教委の通知内容(2011年)

 ①事故から半年、2011年9月12日、港北区で側溝の堆積物から高濃度の放射線が検出されました。同月18日、こども青少年局は「マイクロスポットの可能性のある箇所を翌日までに清掃し除去物を当面施設内で保管」という依頼を保育園に出します。

一方市教委は、同月26日「マイクロスポットの放射線を測定し、0,59μSv(注:横浜市で勝手に決めた目安)以上の場合は堆積物を除去し保管」と通知しました。

 ②三ヶ月後の12月、集めた雨水をトイレの洗浄水として利用する学校で、溜まった汚泥処理を行っている廃棄物処理業者から放射濃度の測定を要望され測ったところ、高濃度の汚染が確認されました。

翌年3月雨水利用は中止され、その後、汚泥は学校で保管の状態が続きます。

埋設処理の通知(2014年)

 これまで問題になってきたのは①の汚染土と②の汚泥ですが、②は学校だけで、数は43校でした。

 その後①は、横浜市放射線対策本部の決定に基づき、2014年7月、市教委は「0,59μSv未満の汚染土は敷地に埋め戻す」ことを通知します。これを受け4校が埋め戻しました。

こども青少年局も、9月同様に敷地内埋設の依頼を出します。しかし12月には「埋設処理前にそのことを園内掲示や保護者に周知」するよう追加依頼したのでした。保護者の不安の声が届いた結果であることは自明です。

しかし何と、埋設した保育園は300にもなるといいます。

北部汚泥センターへの移動(2016年)

 その後、保育園や学校にこのようなものが長期間保存されている事態を、市民団体はじめマスコミや議会で問題視する声が高まる中、2016年8月に北部汚泥資源化センターへの移動が決定されます。

ところが市教委は翌9月に、学校に汚染土を自主保管していないかと確認するのです。今頃聞くことでしょうか。

 結果として、センターに移送された②は43校。一方①は、当初の18校中埋め戻した4校を抜かした14校、だけでなく、自主保管していた14校が加わり28校になりました。

移送は2017年、事故から6年が経過していたのです。

特筆したいのは、0,59μSv未満の学校でも埋め戻しを疑問視した校長がそのまま保管し続け、結果センター移送となった学校もあったことです。

反対に、埋め戻した学校の中には5年も満たぬ間に、埋めた場所が分からない学校や、構造物が建ってしまった学校があることを「神奈川・子どもを守りたい」の方から教えて貰いました。

多くの保護者が不安を覚えている

 こども青少年局からは、今も汚染土に関する依頼文が保育園に出され続けています。冒頭の話が元になった結果でしょう。多くの保護者が強い不安を覚えていることは言を待ちません。

市民団体を中心に、保育園名の公表や埋め戻した汚染土を掘り返しセンターに移送するよう要望が出されていますが、市は取り上げません。

横須賀市では、埋めた汚染土を全部掘り返して処分したと聞きます。どこを見ながら市役所が仕事をしているのか、IR実現に邁進する市長の姿からもよく分かるではありませんか。

コメント