【日録】「梅咲いて庭中に青鮫が来ている」

職場から/日録

金子兜太の有名な俳句だ。早春の青い空気をまとった庭が海の底のように見えたのだろう。季節が進めば勢いよく吹き出るであろう命が、静かに強く漂う様子がはっきりと見える。

このような力強い句をいつかは自分もと、無謀な夢を持ち、一年ほど前から俳句を始めた。月の初めに10句詠み、同人誌を編む方に助言していただく。そのうちの5句を毎月投句してきた。

筋が良いとおだてられ、その気になって、これまで120句詠み60句投句したことになる。自分本位の感覚で浮かんだ言葉をならべてきたが、鑑賞する人の存在を意識せよという助言が度々あった。鑑賞する人はどう捉えるのか。

私が見たものと同じものを見てくれるか。切り取った景色、心持ち、漂った香りが伝わるようにと言葉を選ぶ。大方は、助言をしてくださる方の解釈が私の意図とかけ離れ「あれっ、そうとるのか~」というオチがつく。

そのような私の俳句の拙さを置いても、人の捉え方というのは、なんというか果てしないものだと実感する。青い色を伝えようとした言葉を、他の人は赤ととったり、黄ととったりするのだということ、翻って自分も、他の人の赤い言葉を青と受け取っていなかったか。

世の中は誤解で成り立っているという言葉さえ浮かぶ。もちろん、私の感じたことを私の感じたように表して、人がどうとらえようと勝手ではないかという姿勢もあるかもしれない。しかしここは修行。

鑑賞する人を意識して同じ感覚を共有するために工夫をこらす。月の初めは言葉探しだ。題材を探して人を見る、虫を見る、空を見る、道端の草を見る、しまいに野良猫に話しかける、そんな日々が続く。

マタギの文化が根付いた村に育った。冬に作った句を一つ。

熊の胆のぶら下がりたる盤石よ

コメント