【3.11と私】福島の牧場を描く 第3回

山内若菜 3.11と私

私の過去

 さらに深く考えてみると、私の過去に福島との結びつきを感じます。私は思春期から自己否定型の人間でした。絵は好きで、学校で勉強したいと奨学金で武蔵野美術大学の短大、専攻科と三年間通いましたが、その頃から心身症を煩い、ずっと誰とも話ができませんでした。

 体重も20キロ台、でも絵しかないと生きてきました。絵がなければ死んでいたと思っています。卒業後、風呂もないアパートでずっと絵を描いて奨学金貧乏で孤立し、自分の存在の軽さを実感しつつ、毎日消えることを願って過ごしていました。

 売れない絵を発表し続けながら。でもそれを続けていくと、お金を稼ぐことが出来ない自分には価値がないかのような自己否定の観念がますます強くなりました。

 就職できず、やっと就いた派遣先では物扱いされ、何年後かにやっと就職できたのはブラック企業で、深夜まで、明け方まで働いて残業代も出ず、週6日、社畜のようになって働いていました。働きながら、私はずっと命の軽さを感じていました。

子牛

 2011年、3.11にショックを受け、絵描きとして何かできないかと思い、似顔絵ボランティアをしに東北へ行き、牧場のニュースを見て、想像だけで牧場を描いていました。その後実際に牧場へ行き、この被曝した牛や馬は私だ、と共鳴したのです。

 これは弱者でそのものである私の自画像であり、「日食」は心の体液が流れ落ちるところで、飛びたい私の鳥でもあるとも言えるのではないかと思います。

 一緒に苦しみたい。声無き動物ではなく、呻く大きな動物がそこにいる。弱者で価値がないと思ってきた私。でもそれを決めている強者ってだれ?決めているのは強者とよばれるただ一人だけかもしれないと思ったのかもしれません。

 家族同然の馬が変死しても、馬が大切な命なんだという声を、かき消してしまう。

馬小屋の娘

 あなたの命に価値がない、そう社会的に宣告をされることで、傷つけられた命には大きな価値があると言えなくなってしまう。私の家族が傷つけられても、その程度の命ではないかと思わされてしまう。

 無駄な命などないと、言えなくなってしまう。そして怖いことに、命の価値の差別を受けても、傷つけられてもしかないのではないか、と思わせられてしまう。

 それと同じことが福島では起きている、だから私は福島の被曝した動物に共鳴したのです。

福島の海に立つ少女

 そして命を評価される世界で子どもを生まない、もともと自分の遺伝子は消滅させたいと思っているいわゆる「生産性の低い私」が、お金にならない牛や、変死しても仕方ないと思わせられてきた馬を、でもそんなことはないんだと生かす牧場に大きな夢を見いだしたのです。

 そして私は、3.11後の福島の牧場を描きはじめました。

【山内若菜】 

1977年    神奈川県藤沢市生まれ

2009年からロシアでシベリア抑留の歴史を忘れない文化交流を開始。日露友好個展、以後継続。

2013年から福島県に通い、2016年から福島の母子像や被爆の牧場を描いた展示を各地で開催。中学校などで芸術鑑賞として展示と講演活動を行う。

2016年原爆の図 丸木美術館にて「牧場 山内若菜展」を開催。

2017年ロシア極東美術館にて「牧場展」開催。

山内若菜情報はこちら

山内若菜HP   http://www.cityfujisawa.ne.jp/~myama/

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