【3.11と私】福島の牧場を描く 第2回

山内若菜 3.11と私

なぜ福島なのか

 私の生きる道ってどんなだろう。描く絵ってどんなテーマだろう。ずっと迷っていたように思います。でも考えがまとまらない中でも、がむしゃらに絵を描いてきました。

 なぜ福島なのか? なぜ福島の牧場なのか。

 最初は直感でした。牧場を大きく描きたいという思いにかられました。

 以前から動物が好きで、牧場でよくスケッチしていました。また、ずっと動物に対し畏怖の気持ちがありました。そして、3.11の事故のあと、大切な命が傷つけられているという悲しい気持ちで、まず手が先に動いていました。

牛たちとの対話

 私はメディアを通して、ネットや人が撮った写真を写し描いた、頭だけで知ったように描いていた牧場の絵を、今も続けている地元のチャリティー展覧会で披露しました。

その後、実際に被曝した牧場の現場を見たとき、情報を頼りに描いていたころとはまったく違ったものを感じました。生き、呻く命の大きさ、雄大さに心打たれたのでした。

 被曝した牧場で、動物の殺処分を拒否した牧場主、吉沢正巳さんの「無駄な命なんてない」という言葉を聞いた時、大げさかもしれませんが、私の心が脈打ち始めたような、テーマがその場で産声をあげた瞬間のような気持ちになったのです。

そして福島だけに苦しみを押しつけてはいけない、と思いました。共鳴したのです。一緒に苦しみたい、ここから希望を見いだしたい、という思いで描いています。

 また、飯舘村の馬の牧場を経営する親子は、「牛や馬は物じゃない。家族なんだ」と言って被ばく馬の殺処分を拒否しました。

この二つの牧場の方々の叫びを聞き、その姿を描きたいと、牧場の動物、牛や馬、生まれ育ち、家族のように育てた馬のいる土地なしでは生きていけない、取り巻く自然が身体の一部である命の叫びを大きく描きたいと思いました。

希望の牧場にて

そして今、飯舘村の牧場の絵本にして子どもにも知ってもらいたいと絵本も描いています。これから挑戦したいことがたくさんあります。

原発事故や戦争の負の遺産とも言える出来事に目を背けず、人と自然との共存の美しさを記憶し記録する意味でも、チェルノブイリやシベリア抑留の関係が深いロシアと、日本の福島の子ども達との合作絵画も描いて一つの絵にしてゆきたい。それは絵画でも絵本でも、同じ気持ち、意識です。

【山内若菜】 

1977年    神奈川県藤沢市生まれ

2009年からロシアでシベリア抑留の歴史を忘れない文化交流を開始。日露友好個展、以後継続。

2013年から福島県に通い、2016年から福島の母子像や被爆の牧場を描いた展示を各地で開催。中学校などで芸術鑑賞として展示と講演活動を行う。

2016年原爆の図 丸木美術館にて「牧場 山内若菜展」を開催。

2017年ロシア極東美術館にて「牧場展」開催。

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山内若菜HP   http://www.cityfujisawa.ne.jp/~myama/

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