ニュース 2024年8・9月号 №548

学校の風景

 ~維持・運用までは考慮されていない学校環境~

 気象庁は、「日本の月平均気温は、統計を開始した一八九八年以降の七月として、昨年の記録を更に上回り、最も高くなりました。」と発表した。この最高気温は「太陽光が直接あたらない風通しのよい場所で、地上から一・二から一・五メートルの高さで測る」そうだ。

 現在は公立学校の普通教室にはエアコンが設置されている。が、原理的に“冷やす”という行為は冷やしたい場所の熱を別の場所に排出することによって成り立つので、様々な条件(設備の老朽化や校舎への太陽光の当たり方など)により、室温を下げることができず、授業ができない場合もある。

 私の勤務する学校でも、教室での授業を急遽、冷房が効く特別教室に移動して行うことが何日か発生した。しかしすべての教室に移動先を提供できるわけではない。また、移動先が教室と同じ設備とは限らない。私は“お国の方針”に従い、デジタル教科書を利用して授業をしているので、大型テレビかプロジェクター、ネットに繋がる環境がないところに移動してくれと言われると困る。また、教室内は座席による温度差も大きい。冷房の風が直接当たる場所とそうでない場所。扇風機で風を循環させようとしても対応しきれない。各教室四〇人近い生徒がおり、生徒自身も発熱体。若者は体温も高い。室温だけではない。勤務校の窓は完全にしまり鍵がかかっていても、強風かつ大雨時に窓から水が入り込む。大雨予想時に職員が雑巾を詰めて対応するが、年に何度もあることではないため忘れて室内に水が入り込んだ。鉄筋コンクリート校舎だが、大雨時には雨漏りする箇所もある。体育倉庫や昇降口の一部の扉は重すぎて大人の全力でも開け閉めが困難だ。これらの件について、快適で高機能な新市庁舎で日々執務をされている方々はどのようにお考えなのでしょうか。

 一度設置したものの維持・運用まで考慮されていない件は他にもたくさんある。池田小事件不審者乱入事件後に設置された“スクールガード”はご存知だろうか。おそらくほぼ全校で“放置”状態。CDもついていない未開封カセットデッキが発掘され、そのまま闇に処分されている。放送機材は変化が激しく、再生機材もないのにメディアだけ残っているなんてことはどこの学校でも起きているだろう。詳しい人がいるうちはいいが、公立学校は“異動”がつきもの。物の存在も使い方も忘れ去られていく。次はSt☆dyNaviですか。勘弁してほしい。

「横浜中2生徒自死問題」を考える

 ~赤田圭亮さん提言 横浜市いじめ問題専門委員会の報告に異論~

 七月二七日(土)社会福祉センターで合同支部会を開催。「横浜中2生徒自死問題」と「St☆dy Navi導入」について論議を行った。

 はじめに組合員の赤田圭亮さんから、この3月に市教委の「いじめ問題専門委員会」より出された「重大事態の調査結果について(V中学校)」【公表版】の問題提起があった。

〇いじめ定義の変化と現場の捉え

 一九八六年「弱いものに一方的に 身体的心理的な攻撃 相手が深刻な苦痛 学校側が事実を確認」などのいじめ条件の定義があったが、いじめ防対法制定により「被害者がどう感じているかを重視し、より軽度なものも含めて『いじめ』と定義する方向へ」変わり、「諸条件関係なく、『被害者が苦痛と感じているものは全ていじめ』」と固まっていった。

 その結果、文科省の調査では二〇〇六年から増加傾向であったいじめは二〇一四年から急増していく。「いじめ追跡調査(国立教育政策研究所)によると一〇〇〇人の児童生徒に対し、四〇〇人がいじめが疑われる行為の被害を経験した。これに対して、「些細なことまでいじめと言われる」と感じる中学校教員は七六・二%、保護者六六・五%、中学生五九・四%というアンケート結果が出ている。「文科省は『いじめ』の定義を広げることでできるだけいじめを見過ごすことのないようにしてきたものの、当の教育現場にいる教員たちにはほとんどその定義が受け入れられていない」(古殿真大 2024)

〇いじめ被害加害の見えにくさ

 教育社会学者の内田良は、いじめの被害と加害には三重の見えにくさがあると指摘している(『いじめ対応の限界』東洋館出版社)。①被害者と加害者が入れ替わる②いじめは隠れて行われる。ネット空間は一望できず、加害者被害者双方が自分の正当性を主張する。③子どもはいじめ被害を表立って語れない。容易に可視化できず、事実認定は困難を極める。

〇「いじめ防対法」を現場の視点でどう捉えるか

・二〇一三年法制定過程は衆議院選挙も絡み、いじめ問題が政治的課題となり議論が性急かつ生煮えで、議員立法の限界を感じる。

・いじめの現実を総体として捉え切れておらず、学校現場とりわけ教員の積極的な取り組みよりも、早急な実態解決を念頭に上からの組織的介入が前提。現場、とりわけ教員の力は期待されていない。

・大津いじめ事件が契機となっており、直接的な暴力=いじめ↓自殺というイメージが強く、加害者―被害者という二項対立が軸となっており、多くの子どもたちの現実を十全に捉え切れていない。いじめ防対法は、いじめ重大事態の認定から始まる対応が目玉だが、現実にはそこに至る前のケースが多い。無視、からかい、悪口、仲間外れなどのSNSトラブルが増加している。

・いじめ認知件数、二〇二二年六八一九四八件の増加は、「定義」の実態化の表れ。現場では、大小無数の児童生徒間トラブルの多くは日常的に解決されているし、解決過程で子どもたちや保護者との良好な関係が構築されていくケースも少なくない。現場での学校生活全般に対する日常的な取り組みを保障せず、上から外から「いじめ防対法」体制が強制されることが問題。

〇横浜市いじめ問題専門委員会の問題

・第三者性は担保されているのか。

  専門委員会のメンバーには学識経験者として三名の市教委元幹部職員(元教育センター所長)が入っている。弁護士、学識経験者、心理職、精神科医、NPO法人などに依頼するのが一般的であり、「身内」が長い間委員を務めることへの違和感がある。

・調査期間が長すぎる。

  各地の一般的な第三者委員会の調査期間は、八割が一年以内に終了しているのに対し、横浜市が三年半の長さを要したのは異様である。全体の半分近くに及ぶ再発防止マニュアルの作成に時間を要したのではないか。

・「いじめ重大事態」の極端な少なさと違法性

  市内で一〇年で四一件の児童生徒の自死があり、この事案以外「いじめ重大事態」と認めていなかったが、議会の求めに応じて再調査を行い二件を「詳細調査」へ。三八件については学校側が得られた情報を整理する「基本調査」だけで終えている。その理由として、市教委は「遺族の意向」としているが、文科省は「被害児童生徒・保護者が詳細な調査や事案の公表を望まない場合であっても、教育委員会及び学校が、可能な限り自らの対応を振り返り、検証することは必要」としている。どんな案件も「いじめ重大事態にはしない」という「決め打ち」があったとの想像もできないわけではない。先般の公判傍聴妨害行為同様、市教委内の誰一人「これは違法行為なのではないか」という危惧を表明しなかったのだろうか。

〇公表版報告書から見えるもの

・報告書は、クラスメートのからかい行為と行き違いによる友達のLINEブロックを自殺の主因としている。疑問である。いじめ専門委員会は、本件をいじめによる自殺であるという予断をもとに、遡及的にそれに合う「いじめ」行為を探していったのではないだろうか。この結論を、「加害」者生徒や保護者、教員はどう受け止めたのか。

・なぜ学年会や学年主任、生徒指導専任、養護教諭なども入っている「いじめ防止対策委員会」がいくつもの局面で、誰一人この事案を「いじめ」と認識しなかったのか。↓加害被害が相互的に入れ替わるケースが多い、児童生徒がそれぞれ自分の立場に拘泥するため、事実確認が困難、自分の行為を間違ったものと認めるのに時間がかかることなどの要因が考えられる。一定の「解決」に至るためには、日常的に児童生徒と教員集団の間に安定的で親和的な関係が不可欠である。法律の機動的な動き方とのミスマッチであり、現場からの反論が待たれると赤田さんはまとめられた。

問題提起を受けて

 ~今、現場に求められていること~

 子どもの「自殺」ほど重いものはない。「最悪」を想定しながら対応することは必要であろうが、目の前のことに冷静に対応していきたいと改めて感じた。学校生活の中では、日々トラブルが起こる。当該、関係双方の話を聞き、事実関係を見極め指導し、保護者に伝えて、場合によっては謝罪の場を設ける、その後も組織的に見守りを継続していく、といった基本的な対応をどの学校でも行っている。そのプロセスを大切にしたい。

 いじめ防対法により「学校で起こるトラブルは、全ていじめ」とする傾向が強まっている。子どもが成長していく過程で「心身の苦痛を感じるもの」を経験することは往々にしてあること。同僚から「クラスでけんかすることも大事って伝えたら、子どもがびっくりして『先生、けんかってしていいの?』って聞かれた」と話を聞いた。「いじめ」はもちろんダメだが、互いに思いを伝え合う経験は必要不可欠である。「いじめ」という言葉が独り歩きしないようにしたい。赤田さんの言う「いじめとそうでないものを峻別する視点」をもつこと、また各校に定められている「いじめ基本方針」を見直し、学校の特性に見合ったものであるか、説得力のあるものになっているかの確認が必要とも感じた。

 今回の事件を受けて、市教委は膨大ないじめ認知報告書の提出等を現場に求めているが、本当の再発防止になっているか疑問である。子ども同士のトラブルを見極め、教員が入ってきちんと解決することが、一番のいじめ防止になるのではないか。現場のチームワークが何よりもいじめ防止に必要だ。「なんか変。いつもと違う」という感覚に対応できるだけの教員のゆとりと時間を保障してほしい。

    (東支部 中島 佳菜)

横浜St☆dy Navi導入について考える

 横浜St☆dy Navi(以下、スタナビ)は、六月七日に使い方の市内研修、一三日に記者発表、同月中に使用開始を求める通知が市教委から発出された。市教委の思惑とは異なり、現場はスタナビ運営についての拙速に過ぎる動きに困惑していている。

 スタナビは、全小中学校、義務教育学校、計四九六校で利用開始する学習支援システムである。小・中の子ども達が、配当されたアイパッドやクロームブックなどの端末(以下、端末)を使って各サイトにアクセスし、情報入力を行う。市教委はスタナビの効用について、次のように謳う。①子どもは、学習アンケートやはまっこ学習ドリル、そこから分析されたデータを活用して学習理解を深めることができる。②教員は、経験や勘に客観的なデータを加えることで、ベテランや新人の指導の差が小さくなる。③市教委は、データ分析を民間や大学と共同研究して今後の方針の立案に役立てることができる。

 しかしながら、現場では混乱がすでに起きている。

① セキュリティ問題。スタナビでは、学力状況調査の結果、健康観察アンケートの回答、新体力テストの調査結果など機密性の高い情報を扱う。教員用端末から閲覧するため、パスワードが分かれば誰でも閲覧が可能になる。情報漏洩義務違反による罰則は教員に課せられるが、セキュリティに関する研修は行われておらず、端末の置忘れ防止やパスワードについての教員の意識に委ねられている。

② 端末の故障に伴う問題。子ども達が使う端末は、使用開始から五年経過しており、不具合により入力できないことがある。大規模中学校では、本年度開始当初から七月までで、二〇台余りの故障・修理が発生している。修理期間中は教員の端末を貸し出すが、これは①の問題と矛盾する。また、一人一台端末を基本とするため追加配当はされず、端末が修理から戻ってくるには一カ月かかる。これについての方針を校長会では話題に出来ていない。また、老朽化から電源を入れてもすぐに起動しない端末が一定数あり、学校で定めた時間内に入力画面に到達することすらできない子どもも見られる。

③ 教員の負担増加。自由記述欄に一部の規定された文字が入力された場合は、当該箇所が色づけられるよう設定されており、その際は組織的対応が求められている。しかし、「部活が辛かった」などの入力でも反応してしまうため、同様の入力数が多くなるほど、教員が入力内容を確認し事後対応が求められることになる。結果、現場の負担が増すことが予想される。 

④ ログイン等、使用可否の問題。市教委はネット環境調査を一度も行っておらず、スタナビについても見切り発車を行ったために、本問題が起きている。ある中学校の六月一回目の試用では、全生徒の六分の一程度しかログインができなかった。市教委に問い合わせたところ、各教室に設置されたwi―fiの相互干渉の影響でログインが上手くできないのではないかとの見解を示され、wi―fi設定を変更した。しかし、その後も半数余りしか接続できなかった。そこで市教委と製作元の内田洋行の職員が来校して状況の確認を行った。同様の問題は他の大規模校でも起きているそうだ。ネットワーク環境について校長から市教委に申し入れているが、場凌ぎ的な対応の提示しかされず、根本解決策の提示や解決への動向は見られない。

⑤ 設備の引継ぎの問題。ネットワーク環境の構成や媒体がどこにあるか、切り替えるスイッチの在り処も引き継がれていないため、現場が混乱した際に即時的な解決が出来ない。

 以上のように、市教委の現場に対する認識と実態のずれが大きく、問題対応の仕方も不十分と言わざるを得ない。市民に向けた記者発表・宣伝された先進的取組の内実は上記の通りであり、目下「教員も子どもも負担感だけが増しただけ」が結果である。報告を受けて、各組合員からもスタナビについての懸念や感想が話された。

○自由記述欄のNGワードは言い換えが出来るので、段々増えていくだろう。すると、色づけられる箇所も増えるので、教師の対応場面が更に増えるのではないか。

○いじめ報告とリンクしている。スタナビで子どもの心の健康状態をも把握するのならば、目下行われている物凄い量の状況追跡で行うことが更に増えるのではないか。目の前の子どもの表情を見ずに端末に送られてくる情報で判断しようとせずに、子どもをもっと見るべきではないか。また、今までも沢山のアプリやシステムが導入されてきて、漸く一本化する流れが出てきたところにまた新しいシステムが導入されていることに違和感を覚える。

○St☆dyの☆を一々入力させるなど、無駄な手間をかけさせないで欲しい。セキュリティの観点から、職員室のPCでのみスタナビの情報を閲覧できるようにルール化したが、子どもは教室で情報を入力している矛盾がある。朝学活前にやっておくよう声掛けをするが、強制はしていない。担任によっても温度差があり、入力者数は各級五名程。

○個別最適化という言葉が先行しており、個別級的な対応に近づいているが、それが可能なのか。集団性の良さの担保はどうのように行うのか。本来は様々入り混じって一つの全体を成している子どもの関係を、機械論的に分断して捉えていくビッグデータの使用は危険。

○データ同士を掛け併せると新しい知見が必ず出るかのように市教委は主張する。学力と年収など、重なるところがある場合も確かにある。しかし、「クロスデータ」によって必ずそれが起こるわけではないのに、一般的法則であるかのように扱って頼るのは、実態を見誤るのではないか。教師が語り合うことをもっとするべき。

○言葉の内容が伝わるのは七パーセントであとは、表情や声色など非言語コミュニケーションで会話が成立していると言われている。それにも関わらず強引に推し進めるのは、巨大な利権が絡んでいるのではないか。

○市教委は、収集したデータから各学校や子どもの様子の傾向を評価し、それを基に各学校や各教員に教育方針を押し付けてくることにも使えるのではないか。ペーパーテストでスクリーニングできる数値だけを「学力」として捉えていこうとしているように見える。GIGAスクール構想初期に言われていた授業のうまい先生の授業動画を拡散しようとする動きや、「教員不足クライシス」の著者である児美川孝一郎氏の「教育現場が最後の市場として売られている」との主張を含めて勘案すると、スタナビ導入は教員数の削減にも繋がり、それを基に教育費増大を求められている動きに対抗する布石としている側面もあるのではないか。「子どもに対する」ということを現場で共有していくことが大事。

○クラス替えでも、子どもとクラス・番号の紐づけ作業がある。ICT支援員は個人情報を扱うことができないので、情報視聴覚部の若手が対応することになりがち。九〇〇人の子どもの設定を現場の教員が行うのは大変で、それを情報視聴覚部のみで行うとなれば、膨大な作業となる。

○早急にストップさせたい。現場からの申し入れが必要。内田洋行にのっとられた感がある。

   (東支部 和田 透)

横浜市教育委員会の隠蔽体質を問う

軽視された知る権利

 横浜市教育委員会が、教員の児童・生徒への性加害事件四件の公判一一回に、一般傍聴者を閉め出すため、述べ四一四人の職員を動員したことが大きく報道されています。教育委員会事務局内でこの問題を対処しようとしたことに強い批判があがり、外部弁護士の検証チームによる調査が行われ報告書が提出されました。国民の知る権利を軽視するその姿は大変醜いものと言わざるを得ません。現時点の問題点を整理します。(横校労申入れはHP参照)

職務命令を「呼びかけ」と言い換える醜い責任逃れ

 横浜地裁に早朝から並んだのは市教委職員であり毎回動員割り当てが決められていました。割り当てられた職員には出張(職務)命令が出されています。市教委は、職員に裁判傍聴をさせて一般の傍聴を妨害することを仕事として命令していることになります。しかし市教委は、最初の記者発表資料の表題を「傍聴の呼びかけについて」としています。職員の傍聴は、市教委の呼びかけに職員が自主的に応じたものだと装い、「自主的に応じた職員」に責任を転嫁しているようにとれます。醜い責任逃れ・隠蔽体質以外の何ものでもないのではないでしょうか。

被害者支援のNPO法人、プライバシーを隠蓑にする卑劣さ

 市教委は動員の根拠を被害者支援のNPO法人からの要請によるとし、加えて「被害に遭った児童・生徒のプライバシーを保護するため」としています。しかしNPO法人代理人は「被害の実態を職員にも知って欲しいという思いで、一般の傍聴者を排除する意図はなかった」と述べています。更に、この動員で、児童相談所職員、被害者支援の支援員が傍聴できない、一般席での傍聴を希望した保護者が特別傍聴席(関係者と特定される)で傍聴せざるをえなくなる事態も起きています。このことから、保護者や支援関係者にも満席方針が事前承認されていなかった事がわかります。また、性被害にあった児童・生徒全員のプライバシーを守ることを考えるのであれば全事件についてのプライバシー保護を裁判所等関係機関に要請する事が本筋であり、単に正当化するための卑劣なレトリックに思えます。

教育委員会事務局、方面事務所を覆う無責任、無感覚が引き起こした重大な結果

 報告書は「意志決定者は、前教育長並びに各学校教育事務所長と認定し、これらの上司の責任は免れ難いもので且つ重い」と断じています。しかし意思決定した者ばかりではなく、実際に傍聴妨害で動いた者たちの責任も同様に重いのではないでしょうか。その行為の是非を深く討議することなく踏襲した各方面事務所担当者、地裁前に何ら疑問を感じずに並んだ指導主事たちも重大な結果を招いた責任を同様に負うのではないでしょうか。少し考えれば、法律違反であることが明らかな上司の指示に、無批判に従うことが優先される思考回路を恥じるべきです。横校労は今後ともこの問題を注視していきます。

   (中支部 平川 正浩)

横浜市教育委員会 教科書採択

 たった六人で決めてしまっていいのだろうか

 二〇二四年八月二日、教育委員会で来年度の中学校教科書の採択が行われた。横校労組合は、「歴史教科書に対する〈もうひとつの指導書〉研究会」とともに、市役所前においてビラ撒きを行ない、委員会のライブ配信を組合事務所で視聴した。

 ビラは、採択方法の閉鎖性、全市一括採択の問題性等を訴えるもので、七人で配ったのだが、受け取る人は少なく百部配れただけだった。あからさまに嫌な顔をされたり、かたくなな様子で避けられたりした。昼休みの時間帯で市のネームプレートを下げている人も多かった。市民が訴えたいことを市の職員がこれほど無視していいのか。ビルの警備システムに守られて仕事をして、生身の市民は怖いのか。物言う市民は邪魔なのか。疑問が湧いたのだった。

 傍聴は二〇人しか許されず、抽選に外れた私たちはパソコン画面の委員会を見た。採択は「静謐な環境」を強調して、無記名での投票となった。教育委員という公的な立場である以上、意思表明に責任をもつのが当然ではないか。たった六人、挙手すればいいのだ。

 教科ごとに教科書取扱審議会答申が報告され、観点別に評価の良い教科書が読み上げられた。加えて教育委員が二名ほど意見を述べたあと、最後に投票が行われた。注目していた社会科の歴史教科書は満票で帝国書院となった。変だと思ったのは、令和書籍が「実生活や現代的諸課題との関連付け」「多面的・多角的なもの見方」の観点から良いとされたことだ。評価の理由は説明されない。また、「普通」の教科書の帝国書院で本当にいいのか。記述の吟味は必要だ。

 教育委員会のホームページには「政治的中立性・安定性の確保」という言葉が載っている。六人という少人数の委員で採択を行なうという制度自体が政治的な介入を招く。現場の学校票、区ごとの採択、それを復活させるのが一番合理的な採択方法である。

   (東支部 溝口紀美子)

職場から

 七月某日 環二上永谷近くの分離帯に「リュウゼツラン」の目立つ茎が出没した。四〇~六〇年に一回花が咲くとのこと。その兆候が長い茎とつぼみで、近々黄色の花が咲く。ここまで枯れずに育ったのはしっかりした根っこがあるから。植物のたくましさを感じる。就職から定年退職までは定年延長で四〇年以上の人もいる。リュウゼツランは花を咲かせた後は枯れるらしい。

 この四〇年で学校は、ワープロ↓98一太郎やフロッピー↓wordやハードディスク。ビデオ↓パソコン室↓タブレット(やっていることはアナログ)。教員定数↓そのまま。校務分掌↓増加。配付物↓外部からの印刷物増加。部活動↓四〇年前から地域移行や外部コーチと掲げている。アンケート↓問題点は現場の人と時間が足りないとわかっているのに繰り返される。

 給食↓多くの学校は配膳を含め形態が変わっていない。三年前に異動した特別支援学校は給食準備の負担が減っていた。配膳された給食を専用ワゴンに乗せて教室まで届けられる(病院みたいに)。今までの学校は昔通り教室で盛り付け配膳する。給食準備は忙しく子どもに目が届かないことが多い。数人の手に触れる。衛生面はとても安心なのでより美味しく感じる。もう他の学校の給食に戻りたくない。

 八月七日、高校野球甲子園大会が始まった。真夏のグランドで必死に白球を追う姿は百年間変わらない。昔からの練習は「水は飲まない」「長時間耐える」「しごき」…のイメージだが、出場しているトップチームの練習はどうか。効率の良い練習、適度な筋トレ、食事や休息の管理、コミュニケーション等大きく変わっている。そして最高のパフォーマンスを引き出す。「絞れば絞るほど強くなる」時代は終わっている。適した環境からアメリカで通用する大谷翔平さんのようなトップ選手が育っている。学校現場では、教員にやらせることや研修を増やし続ける。自腹。トップダウン型へ。「絞り上げれば強くなる」が変わらない。

   (k)

読者の声

 管理職に読んでほしい内容だと思います。「適切な配慮」や今年度導入された「テレワーク」の取得の仕方についての説明が何もなく、知らないので誰も取っていません。「適切な配慮」についても、浜教組に入っていますが、分会でも「年休があるから」と言って話題になりませんでした。横校労を読んで「声を上げる」ことの大切さに気付かされます。

   (小学校教員)

 我が子が中学校に入って、部活動のやり方に疑問を感じています。酷暑だった夏休み中も弁当をもって一日活動したり、土日も休みがなかったりとあまりにもやり過ぎではないかと思っています。顧問の先生の熱心さや他の保護者のこと、我が子が選手になれないのではないかと考えると結局何も言えません。教員が職場を「ブラック化」しているのではと感じています。

   (小学校教員)

38度線DMZ(軍事境界線・非武装中立地帯)と仁川上陸作戦記念館を訪ねて

 今年の三月、何十年ぶりに海外旅行に出かけた。場所は韓国。三〇代後半の頃勤務校の学年職員で韓国旅行が話題に上がったことがあった。その時、日本が韓国にしたことを思うと俺は行けないよという人がいてボクも同調した。それにまだ〈キーセン観光〉などが話題だった頃で、結局ボツになった。今回は時々受講していた矢柏龍紀先生の「歴史・哲学講座」の課外授業というのに魅かれ、親しい友人も一緒で心強いこともあって人生最後の海外旅行として参加を決めた。

 成田からインチョン(仁川)まで二時間半。ソウル市内のホテルまでは鉄道。

二日目。DMZ(軍事境界線・非武装中立地帯)観光ツアーはホテルからガイドつきのバスで38度線イムジン河(臨津閣)の岸近くまで行けた。かつて北朝鮮と行き来していた「自由の橋」、走っていたぼろぼろの機関車が展示されていた。なぜか金色の慰安少女像もあり、写真を撮らせて貰った。すごかったのは北朝鮮がスパイを送り込む(攻め込む)ために韓国側まで掘った地下七〇メートルのトンネル。そういうトンネルが数か所で発見されているという。都羅展望台からは低い灌木の生えたはるか向こうに板門店の建物を見ることができた。映画「JSA」のソン・ガンホの顔が浮かんだ。帰りのバスでガイドさんが北朝鮮の人が欲しがる二〇二〇年代のベスト3はチョコパイ、炊飯器、シャンプーだと教えてくれた。北朝鮮兵がチョコパイに大喜びするシーンが思い出された。しかしボクにとって何よりうれしかったのはイムジン河岸の風景を見れたこと、川に架かる橋を行き来したことだった。

三日目。インチョン(仁川)に行き、朝鮮戦争での仁川上陸作戦記念館を見学した。記念館屋外にはホーク誘導弾やM―47戦車やF―86D戦闘機、高射機関砲、偵察機などの実物が展示されていた。館内にはジオラマや作戦計画等の説明画面がいくつもあった。上陸作戦の記録映像は時間をかけてみた。一度は北朝鮮軍に釜山近くまで進撃された戦勢を逆転するために北朝鮮軍の後方を断ち切りソウルを奪還する作戦だった。日本はアメリカ軍の補給基地化し、横田からは毎日のように爆撃機が離着陸した(日本にいる駐留軍はほとんど出動したためGHQは日本に警察予備隊を創れと命令した)。日本にいた在日朝鮮・韓国学生たちも四〇〇人ほどが帰国して参加したという。国連軍としてアメリカと共に参加した国はイギリスなど一六ヶ国、医療支援した国はデンマークなど六ヶ国、物資支援した国は日本など三九ヶ国だとあった。

 日本はアメリカに再軍備を迫られ警察予備隊を保安隊にし、海上警備隊を作り、さらに朝鮮戦争が終わってから自衛隊をつくるのだが、それでも憲法を改正しなかったのは戦争の悲惨さを学んだからだと思いたい。今に続く日本の迷走状態のもとになったとしてもそこだけは押さえておきたいと思って九条改悪に反対している。

   (中支部 田中 敏治)

編集後記

 夏休み、リフレッシュできたでしょうか。夏休みがあるから何とか頑張れるとつくづく思う今日この頃。友人の学校では、夏休みに「適切な配慮」を取ろうとしたら、副校長から「校長にお願いして頂くものだから、ダメ」と言われたとか。時間外勤務については管理しない、「適配」は取らせない、何のための管理職だろう。年度始めに組合として校長交渉を行うことの大切さを感じた。

 夏休みは定時帰りができる。夕食をきちんと用意して、我が子とも笑顔で会話、オリンピックを見る元気もあった。時間に余裕のある生活っていいなあと実感する。

 「スタディナビ」やってますか。タブレットで子どもの気持ちをチェックするくらいなら、自分の目で目の前の子どもをしっかり見ていきたいと思う。「26万人のビッグデータ」より、子どもとの丁寧な関係性を結ぶ時間と余裕がほしいときっと大多数の教員が思っている。市教委の皆さん、今度は誰か反対してくれましたか。

   (n)

連載第33回 3・11とアート―《広島から福竜丸へ命を紡ぐいきものたち》―

   山内 若菜

 今年の3月に旧日銀広島支店で広島の「讃歌 樹木」の絵を発表しました。こちらで、実行委員皆様と、建物、時空と、共鳴することの大切さを実感しました。第五福竜丸展示館で、この場所で今、展示館で働く皆様と、船と、この時空に核なき世界への航海、未来を思い描きたい。広島から第五福竜丸へ、この船旅に乗船して頂けたら幸いです。

 メイン作品の展示は幅16メートル高さ3メートル福竜丸の大きな船と伴走する大きな作品から生きる者たちの輝きと希い(こいねがい)が、未来へ道を切り拓く展示です。

「椅子と光 第五福竜丸 魚倉」

「二つの太陽」 3m×15.2m

「山内若菜展 ふたつの太陽 ―広島から福竜丸へ 命を紡ぐいきものたち―」

都立第五福竜丸展示館 ビキニ水爆実験被ばく70年 記念企画

開催期間 2024年10月10日~2025年1月19日

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