ニュース 2023年4・5月号

学校の風景

~ユニコーンのいる小学校~

 二月の土曜日、長野県伊那市にある伊那小学校の授業公開へ。通知表のない学校、総合学習の学校として知られている。

 敷地は広く、竹林や池、子どもたちが作った焼き窯、学年ごとの中庭がいくつも。そして、アイガモやポニー、ミニブタ、うずらなどの生き物がたくさん。子どもたちの下駄箱には作業用の長靴、カッパ、ヘルメットがある子も。

 総合の授業が始まる時間になったが、先生の姿が見つからない。参観者が多いことに加え、教師が指示をする場面がほとんどなかったからだ。始業のチャイムも号令もなく、子どもたちは集合場所に三々五々集まると、自分たちで活動を進めていく。べっこう飴作り、カイコの繭から糸取り、卵から育てたウズラの遊び場作り、育てた大豆で豆腐作り、アイガモの家を作る、街の店の看板を作る、プラネタリウムを作る、パンを作る等々。

 一年生の中庭には、白いポニーがいた。担任は、「一年生は自分がやりたいと思ったことを、とにかくやってみて、できるという気持ちをもってほしい」と語った。総合学習は、「子どもたちがやりたいことをやってみる」ことから始めたそうだ。「散歩に行きたい」「ユニコーンを見つけたい」という声があり、毎日近所を散策してユニコーンを探した。竹林に行って餌を仕掛けたり、その様子をタブレットでこっそり撮影したり(映っていたのはカラス)。教師がポニー牧場に行き、高齢で人慣れしていない白いポニーを見つけ、子どもたちと相談して学校で飼うことに。一緒に散歩し、放牧場や馬小屋を作った。白いポニーをユニコーンだと信じている子もいるとのこと。ユニコーンは、子どもたちに体をすり寄せて懐いていた。

 まさに「夢見る小学校」だった。個別支援学級には五十人以上が在籍しているが、総合の時間はどの子も交流学級で活動している。不登校の子はいるのだろうか。

 校長の「伊那小の子ども観は、『子どもは自ら求め、自ら決めだし、自ら動き出す力を持つ存在』」という言葉が心に残る。指示が多い授業をしている自分を顧みる。指導案というより、詳細な活動記録といった冊子には、子どもの行動や思いがびっしりと書かれていた。子どもを丁寧に見るということ、一人ひとりの思いや願いを聞くということから、まずは新年度スタートしたい。

第七二回横校労定期大会報告

組合、職場間のつながりを深め、共に働きづらさの解決を図る組織を目指す!

   執行委員長 名児耶 理

 四月一日、波止場会館にて第七二回横校労定期大会が開催されました。来賓の方の出席や、大会へ寄せられた多数のあたたかい連帯メッセージに励まされつつ、今年度一年を振り返り、次年度へ躍進するための活発な討議がなされました。窓の外に広がる横浜港を横目に見つつ、組合の明るい展望を共有することができた今大会の主な討議内容を報告します。

職場交渉こそ横校労の原点

 運動の方針の総括では、職場交渉の意義について討議しました。横校労組合員のいる職場では、年度初めに行う校長交渉を通じて各職場の労働条件改善を迫っていくという、職場に根ざした運動を展開することを基本としています。職場での働き方に何か問題がないか、働きづらさを抱えている職員がいないかといったことに対して丁寧に向き合い、交渉を設定します。組合員としての立場をはっきりさせ、職場の問題に対して機敏に行動するという組合の意義を示していくことが労働者間のつながりを強めるために不可欠です。

 校長交渉の結果は各職場の職員全体に還元されます。職場の声を集めて申し入れを作成し、共に労働条件の改善を目指せるような職場作りをこれからも継続していきます。

措置要求など具体的解決を図る運動を

 一一月には埼玉超勤裁判判決をもとに学習集会を実施しました。裁判の争点のレポートから、給特法制定当時の解釈(教職調整額は超勤四項目に対しての四%であること、「勤務の特殊性」は教員の研修権をもとに「自由な時間」が存在することが前提であること)が大きくねじ曲げられているということが確認されました。また、損害賠償請求では法的時間外労働として認定された時間はごくわずかなものでした。ここから、時間外勤務を管理職に認めさせるための現在までの横校労運動の意義を共有することができました。しかし、一方で、この集会から運動を生み出していくことができなかったという課題が残りました。

 今年度は昨年度実施された教員の勤務実態調査の速報値を元に、給特法の見直しに向けた論議が進められ、給特法の廃止から労基法適用に向けた闘いがより重要な局面を迎えます。

 そのためにも、休憩時間が恒常的に取れていない実態や、休憩時間に時間外勤務をしていたことを庶務事務システムに入力できない現状に対して措置要求を起こすこと、また、判決でわずかながらも認定された時間外勤務の存在をもとに、管理職や市教委を追及することなど、職場の勤務条件の改善に向けた具体的な解決を図る運動を展開して行きます。

情報交換を密に

 現在学校現場では、情報関連業務が多岐にわたり、業務の効率化とは裏腹に誰が何を運営するのか責任が曖昧なまま、個人への業務の集中を生み出しています。また、ICT活用の名のもとにさまざまなものが持ち込まれ、その教育内容の吟味がなされないまま進められていることについても危惧があります。これらのことに対して市教委が現場任せになっているという問題提起をしていくことが重要になりますが、一方で、だからこそ学校間の情報交換はとても重要な意味を持っています。

 討議の場では現場組合員が積極的に発言し、配布されて数年が経った情報端末の不具合や故障への対応の煩雑さや今後の見通しがないこと、年度初めの新入生や新任アカウント対応や全国学力学習状況調査の一部オンライン実施で使用するシステムの準備等の情報交換をすることができました。

「横校労」の定期継続発行

 昨年度から引き続き一部ページをカラー化したこの「横校労」も、購読者の皆様の購読料カンパをいただき、定期発行することができました。この機関紙は二ヶ月に一号、年間六回発行で、横校労組合員がいる職場を中心に配布しています。現場組合員は日頃の業務に追われながらの執筆が本当に大変ですが、執筆することが組合活動であるという意識を持って書いています。機関紙の配布とカンパの呼びかけをきっかけとしながら、それぞれが抱えている困難な問題を共有する中で、さらに組合の輪を広げて行きたいと思っています。

組合活動に意義を見出せる組織づくりを

 組合活動が退潮傾向にある中で、特に組合内の関わりを作っていくことが大きな課題となりました。働き方の問題はすなわち家庭の事情に大きく関わるものです。個人が抱える様々な悩み等を共有し合える関係づくりは、組合に限らず職場でも大切なことでしょう。互いの事情を理解し合い助け合える仕組み、そこに組合活動の意義を見出せるような組織づくりを継続して行なっていきます。

 そして、「現場のことなら横校労!(勤務)時間のことなら横校労!(困った)管理職なら横校労!パワハラ・セクハラ解決なら横校労!出産・育児のことなら横校労!市教委に対峙するなら横校労!」と職場に示せるような組織をめざしていきます。

 横校労と共に働きやすい職場を作っていきましょう!

追記:組合拡大第一弾として

 四月三日、横浜武道館にて行われた新規採用者辞令交付式に合わせて、情宣活動(ビラまき)を行いました。

 今年度の交付式は受付に時間差が設けられたため、会場に向かう新採用者の姿も断続的でした。そのおかげで、ビラもたくさんの人に手渡しすることができました。

 皆、緊張した面持ちでした。教員の長時間労働が社会問題になっている今の時代に教員になろうという人はよほどの熱意を持った方々だと思いますが、やはり内心不安を抱えている人も多いのではと思います。組合員が「小学校は大変だからほどほどに頑張って」などと優しく声をかけると、笑顔で応じる新採用者もいて、微笑ましい光景でした。

 新採用者の皆さん、職場の働き方に疑問を持ったら、ぜひ横校労へご相談ください!

写真エトキ

審議進行の様子

春風の中、笑顔でビラを受け取る新採用のみなさん

2023年度新執行委員会体制

執行委員長  名児耶 理

執行副委員長 猪狩 良和

       平川 正浩

書記長    枝川あゆみ

書記次長   高野  猛

情宣部長   中島 佳菜

財政部長   平川 正浩(兼任)

環境調査部長 岡  健朗

小学校部部長 中島 佳菜(兼任)

中学校部部長 高野  猛(兼任)

特別支援学校部部長 河野 靖司

福島の事故を忘れるな

「さよなら原発全国集会」に参加してきました!

   執行副委員長 平川 正浩

 三月二一日。燃えるような緋色の横校労の旗の下、総勢一一名で「さよなら原発一千万署名市民の会」全国集会に参加してきました。当日、東京代々木公園は、満開の桜を見るための花見客で賑わっていました。その人の波をかき分け到着した会場では、主催者発表四七〇〇人が集い、二〇一一年の集会開催当初からの呼びかけ人であった大江健三郎氏の死を悼む黙祷の後、様々な原発反対運動を担う団体、個人の発表が続きました。

 ルポライターの鎌田慧氏の「政府の言う原発がクリーンエネルギーというのはウソだ。原発回帰などできるはずがない」、福島の市民団体からの「原発回帰は福島の事故を無かったことにすることで許されない」、そして青森大間原発建設に反対し土地を売却しなかった故熊谷さんの遺志を継ぐ決意表明などが印象的でした。中でも、匿名で闘わざるをえない「3・11子ども甲状腺裁判」の原告である若者たちの「私たち一人一人はそれぞれが別々の苦しみを抱えて生きています。そんな中で裁判を行っているのです。どうかご支援よろしくお願いします」という発言は、重く受け止め忘れてはならない言葉でした。集会のまとめに落合恵子氏から大江健三郎氏のエピソードが紹介され、遺志を継ぐ決意が語られました。 

 集会後は、渋谷コース、原宿コースに分かれてデモ行進へ出発。私たちのグループはプラカードを掲げるだけの沈黙の行進がしばらく続きましたが、元気な横校労組合員の一人が手でメガホンを作り大声で「再稼働反対」「岸田内閣の原発回帰を許さないぞ」「フクシマを忘れるな」などと唱えると、グループの皆が「待ってました!」とばかりに唱和して原発反対の思いを乗せた声を響かせ、渋谷駅周辺を行き交うたくさんの人々に原発反対の思いをアピールしました。

 岸田内閣はこの集会に先立ち、原子力規制委員長を覚えめでたい新任にすげ替え、全会一致が常であった委員会決定を審議もそこそこに多数決で決めていました。内容は原発政策の大転換といえるもので、一人の委員が変更に反対し、賛成した二人の委員も「結論ありきの拙速な論議」だと指摘しました。

 拙速な論議と指摘された内容は、運転期間四〇年の規制を取り払うという驚くべきものです。

①原子炉等規制法から「運転期間四〇年。例外的に六〇年」という規定を削除し、運転期間については経産省所管の電気事業法に移し、政策的判断で決めるとしたのです。これは、福島第一原発事故の教訓に基づく安全規制の根本をくつがえすもので、「運転期間四〇年」は、原発依存歯止めのキーワードでした。経済産業省は原発推進官庁です。原発事故以前の「原子力安全保安院」が経産省内にあったことが事故につながったとして原発依存に歯止めをかける独立した機関として新たに作られたのがこの原子力規制委員会です。そこから運転期間決定権を取り上げ、推進官庁経産省が「政策的判断」で運転期間を決めるとしたのですから、これは原発運転期間の無期限延長に道開くものです。

②「原発停止期間は運転期間に含めない」としました。これまでは、停止期間も運転期間に含めていました。停止し稼働していなくても様々な装置は劣化しますから当然です。社民党の福島議員は「人間は寝ている間は歳を取らないと言っているのと同じだ」と規制庁に迫ったそうですがその通りです。

 歴代自民党政府は再生可能エネルギーへの転換をサボタージュし、現在のエネルギー資源高を理由に一気に原発再稼働、運転期間の無期限延長、新増設に舵をきったのです。福島原発事故を契機に、脱原発政策を進め再生可能エネルギーの大幅増産に勤め、ロシアからの天然ガスが供給停止になってさえも最後の原発を停止させるドイツとは正反対の舵とりです。

 原発被災地にも度々赴き反原発運動を担ってきた著名人の一人である坂本龍一氏が亡くなりました。坂本氏が残した数々のメッセージの一つに「声をあげる。あげ続ける。あきらめないで、がっかりしないで、根気よく。社会を変えるには結局、それしかないのだと思います。」というものがあります。現在、横浜の地で、村田弘原告団長のもと「福島原発かながわ訴訟団」第一陣が東京高裁で、第二陣が横浜地裁で闘いが進められています。法廷では原発事故被害者への十分な保障を求め、また再び世界最悪の原発事故を起こさないために国や東京電力の責任が追及されています。「根気よく」これからも福島原発訴訟団の裁判支援、反原発集会などへの参加を続けていこうと固く心に誓った一日でした。

千葉学習サポーター事件

組合活動家に対する採用差別に抗議の傍聴支援!

 三月六日、千葉地裁松戸支部にて、千葉学校合同労組の吉田晃執行委員長を原告とする学習サポーター不採用損害賠償請求裁判の第一回口頭弁論が開かれた。傍聴席は支援者で満席となり、入廷できず廊下で見守る支援者の数から、裁判長は次回弁論からは松戸支部の一番大きい法廷を用意すると冒頭で約した。横校労からは筆者含めて三名が傍聴支援に駆けつけた。学習サポータ不採用事件の概略は次の通り。

 二〇二〇年、新型コロナによる三か月間の臨時休校後、学校は二部制授業などの変則授業に加え、日常的な消毒作業や学校行事の削減に伴う混乱も含め、かつてないほど多忙を極めた。文科省は臨時措置として半年のみの臨時学習サポーターの全国配置を決め、千葉県の小中学校については八八〇名分の予算がつけられた。千葉県教委東葛教育事務所も七月に臨時学習サポーターの募集を始め、原告はこれに応募。採用通知を待った。しかし九月に入っても採用通知は届かず、九月二八日に千葉県教委にその旨問い合わせると、後日、東葛教育事務所から九月二三日付の「不採用通知」が九月二八日の消印付きで届くという異常な事態が出来した。

 原告が応募した学習サポーターBの業務内容は教員の学習指導補助で、一八歳以上であれば教員免許を必要としない職種。原告は教職歴四四年のベテラン、不採用とする根拠などあるはずもなかった。

 申し入れ行動や情報公開請求などを駆使した結果、次のようなことが判明した。①臨時学習サポーターの募集は一一月まで続いていた(それまで募集定員を満たさなかった)②東葛教育事務所では応募者二六三名、不採用はたったの二名だった。理由は「採用基準に満たないので『不採用』」。

 二学期が始まる前に採用通知をもらい、九月初めから学習サポーターとして働き始めている者がいたにもかかわらず、千葉県教委は原告の採否通知を放置し続け、問い合わせを受けて意味不明の不採用を通知した。単なる行政の怠慢ではなく、意図的なネグレクト、組合活動家に対する狙い撃ちの採用差別であることは明らかだった。

 その後の交渉においてもらちが明かず、原告は二年半を経て損害賠償請求訴訟を起こすことを決意した。

 この日、弁論の冒頭、原告は提訴の思いを、怒りを抑えるように穏やかな声音で陳述した。選考過程において被告らはどのような採用基準に基づいて不採用としたのか、被告らは明らかに悪意をもって書類審査及び面接審査の評価を捏造したと主張、本訴訟においてその点を明らかにすると表明した。

 次回口頭弁論は、五月二二日一六時五〇六号法廷で開かれる。注目を。

   (赤田圭亮)

赤田圭亮著 『空気をよまない「がっこう」悩みごと相談』

 (二〇二三年四月刊行)

大江健三郎さんが亡くなった…

 「さよなら原発集会」に出かけた

 三月十四日の朝刊で大江さんが「三日に老衰で死去」されたことを知らされた。気持ちがズドーンと落ちた。三月二十一日の「さよなら原発集会」に出ようと思ったのは、大江さんを追悼するのにちょうどいいと思ったからだった。代々木公園ステージ前に座って鎌田慧さんや落合恵子さんや澤地久枝さんの話の大江さんを懐かしんでから、横校労のグループに交じった・・・。

 初めて読んだ本は『個人的な体験』だった。国語教師に「叙情性は大事だが時には突き放す冷厳な目も必要です」と評されていた高校二年生には最初のアフリカ地図の部分でアウトだった。面倒見のいい先輩が「これが現代文学だよ」と貸してくれたてまえ、最後まで目を通したが、難語句や長く曲がりくねった修飾語等の強烈なインパクトは感じたが頭に残ったのは〈鳥(バード)〉だけだった。

 都会の大学に入った秋頃に『万延元年のフットボール』を読んだ。おもしろくて興奮しながら一気に読んだ。すごい小説だと思った。山村出の高校生も世の中は動いているんだと知り始めて少しは成長していたのだろう。あらすじが複雑でわからないのが悔しくて二度読んだ。幾つもの要素が絡み合った重層的な物語に感動しながら考えさせられた。ベトナム反戦や大学闘争で揺れ動いてる時代に心貧しい自分をどう創っていけばいいのか考えなければならないと思った。大江健三郎の著作を読み漁った。『芽むしり仔撃ち』『遅れてきた青年』『性的人間』などなど。エッセイ集『厳粛な綱渡り』と『ヒロシマ・ノート』が決定的だった。戦後民主主義の「主権在民という思想や戦争放棄という約束が自分の日常生活の基本的なモラルである」ことを選び取った立ち位置を表明しながら現代を生きようとしている率直な姿勢に共感した。自分たちの前を行く信頼できる若い作家だと思い定めた。

 横浜の教員になった年に『洪水はわが魂に及び』と『同時代としての戦後』が出版された。雑誌『世界』には毎月大江さんの「状況へ」と小田実の「状況から」が載っていたので、一軒しかない小さな本屋さんに注文してワクワクしながら読んだ。

 ヨーロッパで反核運動が盛り上がった一九八二年には「核戦争の危機を訴える文学者の声明」に積極的に取り組み、反核を訴えた。「核の大火と『人間』の声」は『ヒロシマ・ノート』の問題意識を持続してきたことがわかる講演集だった。大江さんが光さんを広島原爆資料館に連れて行ったテレビ番組を見たのはいつだったろうか?

 二〇〇四年からは加藤周一を中心とした呼びかけ人の一人として「九条の会」の講演活動を行っている。また二〇〇五年から三年間は『沖縄ノート』に書いた渡嘉敷島の旧守備隊長と遺族から名誉棄損で訴えられて裁判闘争をしている。大阪地裁、高裁ともに名誉棄損に当たらないと訴えを棄却して決着を見たが、実は横校労も闘ってきた自由主義史観研究会や新しい歴史教科書をつくる会が曽野綾子の『ある神話の背景―沖縄・渡嘉敷島の集団自決』を読ませて旧守備隊長たちをけしかけたもので、〇六年の教科書検定で文科省が、「集団自決」が日本軍によって強制されたという記述を修正させるきっかけになった。この件については『定義集』でもふれている。

 2011・3・11東日本大震災。この日のことを大江さんはその頃朝日新聞に月一回連載していた『定義集』と最後の作品『晩年様式集』に書いている。そして六月には内橋克人、落合恵子、鎌田慧、坂本龍一、澤地久枝他と呼びかけ人の一人として「さよなら原発一千万人署名市民の会」を立ち上げている。九条の会に入っていた知人は6・19の段階で集会に参加しているが、私は組合で参加した「9・19さよなら原発集会」(明治公園)が最初だった。そして代々木公園での「さよなら原発1000万人アクション2・11集会」で、私は初めて目の前に大江さんを見てスピーチを聞いた。「原発をやめるということは一番人間らしい行為なのだ。それは子どもたちに未来への希望を持たせることになる」と原稿をくしゃくしゃにしながら話された。退職した後は毎月のように参加し、時には共にデモをしシュプレヒコールを叫んだわけだ。印象深いスピーチが二つある。2012・10・16日比谷公園、魯迅についての話の最後に「故郷」から「希望とは道のようなものである。もともと地上に道はない。歩く人が多くなればそれが道になるのだ。さあ、デモにいこう!」とアクティブな大江さんだった。もう一つは2013年の芝公園から国会までデモした時だと思うのだが、「ドイツのメルケル首相はドイツ人の倫理観に基づいて政治判断を決断したが、日本のアベは倫理観よりも経済性を優先して安易な選択をした」とアベを呼び捨てにした怒りのスピーチだった。

 神奈川に避難した人たちの訴訟団長村田弘さんに組合の機関紙に連載をお願いできることになって、しぜんに裁判傍聴支援や「脱原発市民会議かながわ」の催しに参加するようになった。さよなら原発集会に行かなくなったのは二〇一五年秋以降だろうか。内子町の谷間の村大瀬を訪ねたのは二〇一八年だった。大江さんの噂もしばらく聞かないなと思っていたが、二〇一六年の講演以降は公的な姿を見せていなかったという・・・。

九条の種まき〈鳥〉は森へ逝く

   (中支部 田中 敏治)

職場から

 三月二四日、帰りがけに退職するベテランと珍しく飲みに。仕事も片付けも全て終え、残りは年休で出勤しないという最終日だったせいか、酒がすすみ見知らぬ客も交えて弾んだ席となった。が、週末をはさんだ二七日、私の席にそのベテランがきた。「あれ?仕事がありましたか」「新聞掲載について、管理職に確認にきたんだが…」聞けば、退職者名簿への掲載を拒否しようと思っていたが打診がなく、校長に質してみると「確認をしなかった」という。ミスは認めるものの「対応できるか不明」とされ、数日後、新聞には掲載されていた。

 このベテラン、新聞掲載への拒否が可能なことをこの機関紙から知ったという。数年前、労務課との交渉。「何故、教員の異動者を新聞掲載するのか?」「先生方は世間から注目度も高い」「新聞掲載するほどか?」「これまでの実績もある」「掲載されたくない教員の心情はどうする?」という応酬の後、「掲載拒否は可能」という回答を得ている。

 新聞掲載について三月後半に掲載削除を求めた案件では、人事課は「外部に渡ったものは削除できない」とする返答をしている。では、管理職による「掲載における確認」はいつなされるものなのか?人事課に問い合わせると「三月中旬」という。「横浜総合では職員への確認がなかった。掲載拒否の機会が失われた者がいる」「基本的には全員掲載」「何?拒否権はないのか?」「そうではない。色々な事情もあるので…」「氏名の確認は所属長へ通知しているのだな?」「その通り」とのこと。つまり、職場ではせいぜい管理職から「氏名の正誤の確認」があるのみで、こちらから申し出ないと拒否はできないのだろう。掲載拒否が可能と知る管理職も少ないであろうし、人事課からの通知にその旨が記載されているか怪しいもの。

 いかな案件であれ、「新聞発表」は単なるプロモーションではなく、教員を統制する機能でもある。わずかな氏名掲載でもイニシアチブを教員には取られたくないのだろう。

   (中支部 朝野 公平)

読者の声

隔月刊「横校労」を読んでの感想等がございましたら編集部まで是非お寄せください。

 『横校労』を読むことで洗脳から解けた気分になりました。これまでは、管理職や主幹教諭が「子どもたちのために・・・」という言葉を用いれば、自分の教員スイッチが反応し、指示された業務に没頭していました。そんなときに手に取った『横校労』では私たちの権利や現在の働き方への課題が紹介されていました。自分の働き方や勤務校の現状を『横校労』というフィルターを通して見ることで、洗脳から解けた今の私は「子どもたちのために、心身ともに健康的な働き方を続けたい」と思っています。

   (特別支援学校教員 30代男性)

 昨年末、そろそろ帰ろうとした一九時ごろ、保護者から電話がかかってきた。「娘がまだ帰ってこない」数日前に親子げんかをし、どこにいるのか検討もつかないという。「まずは警察へ連絡を」と伝え、残っていた職員で近所を捜索し、生徒の友人に連絡したが見つからなかった。結局、生徒は一時間後に先輩宅から帰宅したのだが、その報告もなく、こちらから家庭訪問してようやく判明した。

 学校は何でも屋ではない!!!この件を機に管理職に勤務時間外の留守電設定を提案し、四月からついに運用されることになりました。いつもニュースを読んでいたおかげで、思いを行動に移すことができました!これからも活発な組合活動の報告を楽しみにしています。

   (中学校教員)

夏炉冬扇

2023年3月

1日(水) 中支部会

3日(金) 執行委員会

6日(月) 学習サポーター不採用損害賠償請求裁判

     市教委傍聴

9日(木) 大船支部会

10日(金) 執行委員会

16日(木) 東支部会

21日(火) さよなら原発全国集会参

24日(金) 執行委員会

31日(金) ふくかな高裁

4月

1日(土) 第72回定期大会

3日(月) 辞令交付式情宣活動

5日(水) 中支部会

12日(水) 執行委員会

20日(木) 東支部会

     ふくかな二次訴訟 横浜地裁

21日(金) 市教委傍聴

26日(水) 執行委員会

編集後記

 春季休業はあっという間に過ぎ去り、新学期。毎年のことながら目の回る忙しさ。名簿作り、書類集めとチェック、校務システムの処理、校務分掌の引継ぎと細々とした事務仕事が延々と。最も大事な授業の準備は後回しで、本末転倒だ。パソコンとにらめっこで、お隣の新人さんと子どものことを話すゆとりもなかなか作れない。

 定期大会では、久しぶりに色々なメンバーと顔を合わせる機会となった。「組合が少し元気になれる場所に」という意見があった。学校と家のことでいっぱいで、正直、組合活動が大変と感じることもあるが、「YESマン教員にはなりたくない、NOといえる場所、様々な気づきを得る場所」として大事にしたいと感じた。

 四月、新たな子どもたちとの出会いは、教員をやっていてよかったなと感じるときでもある。新鮮な気持ちで向き合っていこう。

   (n)

連載第25回

3・11とアート ―《牧場讃歌》―

   山内 若菜

 「表現すること自体が反転行為なんだ」最近、そう気がついた。死んだ動物を生き返らせる。死を生に反転させる。そんなテーマで前作「牧場 放」を描いた。それをもっと展開させたような絵にしたいと今、このドローイング作品から本画を描いている。

 馬に乗る少女は、南相馬で牧場をいとなむ実在の人物、美和さんのイメージである。南相馬に住む方へ、故郷から離れ、違う場所で住まざるをえなかった方へ、捧げたいと思った。そして自然の生活そのものが福島の文化、自然と共にある。牧場の娘さんらしさを、全ての人がその人らしく放てるまばゆい姿を、そのきらめきを描きたいと思った。その中には怒り、闘い、そして葛藤があることは意識している。原発反対の怒りを赤に込めて。笛を吹き、表現する天女がいる。讃歌、何に対して?いのち。多種多様な命への讃歌を。原発はこの世に残してはならない。再生エネルギーへ。その苦々しい思いも矛盾の音に込める。未来をつくるみんなの願いを込める。全ての動物、生命が浮遊する姿は光。

 「牧場 放2」とも言えるこのドローイング作品から本画を私は南相馬の「俺たちの伝承館」の天井画で、野馬追の日に放つ予定です。絵は「牧場讃歌」です。

山内若菜情報はこちら

山内若菜HP wakanayamauchi.com

若菜絵ブログ http://wakanaeblog.seesaa.net/ または「若菜絵ブログ」と入力

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