学校の風景
~新年の職場に明るいニュースを~
年末、アラフィフ同僚と忘年会。最後は「いつまで働く?」という話。連日一九時、二〇時まで一日一二時間近くの労働、教材研究は持ち帰り深夜二時までかかることも。
「目の前のやるべきことをこなすのに必死で、右から左へ片付けるだけの毎日。全く余裕がない」「頭がいっぱいでぼーっと思考停止になる」「子どもとどんなことをしようと、ワクワクする気持ちが湧かない」「若者が熱心に研究する姿に、ついていけない引け目を感じる」など悩みは尽きない。皆で共感。
学年主任や学校経営の中心にいる働き盛りが、皆揃ってヘロヘロ状態。「定年まではとても働けない」「続けていく自信がない」とも。別の友人は五〇歳できっぱり正規職員を辞めて非常勤に。専任として月一〇〇時間を超える時間外勤務とストレスで通院していたが、「このまま続けていたら、心が壊れると思った」と退職を決断。今は一四時半に退勤、一八時には夕食、趣味も充実の毎日。「フルタイムには絶対戻らない」とも。
〈不登校過去最多三四万人 前年比一五%増〉〈子どもの学校での暴力行為 過去最多一〇万件超〉〈教員の精神疾患の休職最多の七一一九人〉、新聞を読めば、マイナスの学校ネタが過去最多を更新中。学校ってどうなってんの?どうなっちゃうの?と当事者ながら不安になる。何とか回っている学校も、崖っぷち状態ではなかろうか。「学校ってまあ楽しいよね。いろいろあるけど」と子どもも教員も言える場所にしていかなければと強く思う。兎にも角にも教員の増員、学習指導要領のスリム化、時数の削減など、やれることは全てやらなければ危機は現実になる。現場は声をあげる気力さえ失いつつある。
さあ私はいつまで働こう?しばらくは頑張れそうとは思っている。心がぽっきり折れないように、「ご自愛」しつつ、最善を尽くしつつケセラセラの精神で新しい年も乗り切りたい。
休憩時間に関する人事委員会への措置要求⑤
授業の「空き時間」にどれだけ仕事があるか、市教委は現場を見てみよ!
執行委員長 名児耶 理
前号までのあらすじ
昨年一〇月に休憩時間に関する措置要求書を提出しました。要求の趣旨は
①休憩時間が取得しづらい状態を改善する措置
②休憩時間内にやむを得ず行った時間外勤務の実績を記録できるように教庶務システムを改修する措置
今回は、五回目の当局の意見書、それに対する五回目の反論書を出した報告です。
授業の「空き時間」は仕事をしていないと思っている?
当局の意見書には、相変わらず「教員には授業を行わない時間があるので、その時間を(休憩に)充てることも可能」と述べています。市教委は学校の労務管理を指導する立場なのに、教員が授業のない時間にどれだけの仕事をしているか分かっていません。
授業以外にこんなに仕事がある!
現場にいる教員なら言わずもがなですが、授業をしていない時間には、授業に必要な教材の準備やワークシート等の作成、生徒の提出物の添削、成績処理はもちろんのこと、さまざまな校務分掌に関する業務、例えば学校行事の係分担の計画や運営業務、あるいは生徒の委員会指導のための準備や運営業務等があります。
それ以外にも、授業中のフロアの巡回や教室の施錠開錠、遅刻早退や保健室にいる生徒の対応、電話の応対、職員同士の打ち合わせ、更に、休暇や出張等で担当教員が不在の場合は、係の指示により補欠要員として授業に入る必要も出てきます。
当局の言う「空き時間」とはこのような業務を行う時間であり、労基法で途中付与・一斉付与・自由利用の原則が定められている休憩時間に、安易に転用できるものではありません。
休憩を取らせるには職専免を毎日指示すべき!
当局は「空き時間には現に勤務をしていないことがある」と述べており、意味が定かではありませんが、たとえば職員室で昼食をとっているような場合でも、指示があればすぐに業務に従事せざるを得ない状況であり、労働から離れることが保障されていなければ、労基法上の「手待ち時間」であり労働時間です。また、もし授業をしていない「空き時間」に休憩を取らせると言うのならば、そもそも教科によって不均衡な「空き時間」を全職員に平等に与える必要が出てきます。さらに、休憩を取る時間について、校長は職務専念義務を免除することを職員に知らせ、職員一人一人に対し、毎日具体的な指示をするべきです。
時間外在校等時間を労働時間と認めている?!
当局は、『教職員の勤務時間の管理及び時間外勤務の縮減等について(通知)』という資料を提示してきました。この中で、「1日の勤務時間が7時間45分の教職員については、時間外在校等時間(学校事務職員・栄養職員の場合は超過勤務時間)が15分を超えると、勤務時間が8時間を超えるため、労働基準法の趣旨を踏まえ、休憩時間を60分与える必要があります。このような教職員については、所定の45分に加え、更に15分の休憩を与えてください」と通知しています。一五分以上の時間外勤務を行った場合、所定の四五分に一五分を加えた六〇分の休憩時間を取るよう校長から指示された職員は果たしているのでしょうか。また、この認識に則れば、当局は時間外在校等時間を労働時間と認定していることになり、現在の給特法体制を行政自ら否定していることになります。
システム改修については意見なし!
要求②の「休憩時間内にやむを得ず行った時間外勤務の実績を記録できるように教庶務システムを改修する措置をとってほしい」に関するこちらの反論に対して、今回は当局の意見がありませんでした。この件については、システムの改修を認めざるを得ないということでしょうか。
現場からたくさんの声をあげよう!
初めの要求書提出から一年が経ってなお、やりとりが継続しています。一〇月に行われた人事委員会の勧告でも、学校現場に休憩時間が取れていない実態があることは把握していると示されていますから、人事委員会には労働基準監督機関として毅然とした判断をしてもらいたいものです。
この記事を書いている現在、教員の処遇改善のための給特法見直しに向けて、教職調整額の段階的な引き上げが取り沙汰されていますが、一方で、精神疾患で休職した教員の数が過去最多となるなど、教員の膨大な時間外勤務解消は喫緊の問題です。しかも、その議論の中に、休憩時間が取れていないという根本的な労基法違反についての視点はあまり多くない気がします。ぜひ現場からたくさんの声をあげて、健康に働き続けられる労働環境を勝ち取っていきましょう!
今回の給特法改正に向けた動きについての考察と、休憩時間確保に向けた措置要求についての報告をかねて、横校労では二月二二日(土)に集会を開きます。(詳細はp5を参照)
学校現場の教員の過酷な労働条件に対して何ができるか、皆さんと一緒に考えたいと思います。ぜひご参加ください!
人事委員会の給与勧告についての質疑応答
人事委員会勧告説明会に参加
一〇月一一日(金)一六:〇〇から横浜市庁舎で人事委員会の給与に関する報告及び勧告の説明会が行われた。本年度の給与勧告は「民間較差一〇、八六六円(二・七六%)を埋めるための給料表改定」、「特別給与(ボーナス)の年間支給率〇・一月分引き上げ」であった。令和六年四月の比較によると民間給与四〇四、三五五円に対し職員給与三九三、四九八円となり、民間給与との較差が一万円を超えるのは平成四年(一九九二)以来三二年ぶりとのことである。
説明会での質疑応答に対し横校労では、「期末手当と勤勉手当ともに同じ割合で引き上げだが、全て期末手当に割り当てるべき」、「勤勉手当を引き上げてどんなよい効果があったのか把握しているのか」、「障害のある職員の活躍推進」の中で、本市における障害者雇用率は二・七二%で法定雇用率二・八%を下回ったとあるが、特に教員の雇用率はどうなっているか」、「教員がさらに低い要因はどう把握しているのか」、「長時間労働の是正」の中で、中学校の教職員は月八〇時間越が常態化、小学校の三倍などとの記述があるが、休憩時間が取れていないことについての言及がない、明らかな労基法違反状態について切り込むべきではないか」などの質問を行った。これらの質問に対して委員会からは「あくまで民間や国の勧告に基づいている。具体的データはない」、「市職員全体として採用試験のあり方を工夫する必要がある」、「休憩時間を取れていない実態があることは把握している」という回答であった。
教職員給与改定等に関する申し入れを行う
人事委員会勧告報告を受けて横校労では、不況下における物価上昇の影響を強く受ける横浜の特殊性も鑑み、横浜市の給与改定においては大幅な増額改定が必要であると考え、以下の申入れを行った。
1 教職員は、子育て世代、親の介護世代など全ての世代で物価高、社会保障制度の切り下げなどの影響を強く受け金銭的な負担増を余儀なくされている。よって、若年層職員の号給に重点を置く改定ではなく、全年齢層の号給に均等な引き上げ改定を行うこと。
2 期末手当・勤勉手当の支給月数年間〇・一月分の引き上げについては、管理職による恣意的な評価がありえる成績率に関わる勤勉手当に割り振ることなく、全教職員均等に期末手当に〇・一月分を振り分けること。
3 上記1に記した理由等により住居手当の年齢制限を撤廃すること。
一一月一三日(水)これらの回答について労務課と回答交渉を行いました。回答として1、2については「給与改定の考え方については、基本的な考え方でお示しした通りです」、3についても「基本的な考えでお示ししている通り」というものであったが、「年齢が二七歳から三〇歳へと拡大する」とのことであり、我々の要求が少しながら通る形となった。
しかし、全面的な要求が通ったわけではなく、交渉自体は決裂に終わり妥結するには至らなかった。採用試験の倍率が低下している中、特に初任給の給与を八・九%引き上げるなどして人員を増やそうとしているが、給与だけで人が増えることはない。仕事だけが増え、給与が上がらないのであれば民間に人がどんどん行ってしまうのは当たり前である。給与はもちろんの事、休憩時間や業務改善についても早急に対策して欲しいものである。
(中支部 猪狩 良和)
「千葉学習サポーター裁判」第8回&第9回報告
[第8回]
一〇/一八(金)午後二時から千葉地裁松戸支部五〇六号法廷。当初予定の七/一〇が、急に延期となり、前回・第7回四/二六から約半年後の裁判。横校労からは三人が傍聴支援。法廷内は、左側に原告・吉田さんと弁護士二人の三人、右側に被告・千葉県側の九人(弁護士四人と他五人)。
まず裁判長から、七/一〇が自分の「コロナ感染」のため、延期になってしまったことへのお詫びの言葉があった。続いて、被告側に向かって「面接官AとBの開示(氏名)」の要請があった。今回はここまでだった。
終了後に、法廷と同じ五階のロビーで、ミニ報告会が開かれた。吉田さん、弁護士、支援者からの話しがあった。裁判長からの開示要請、終了後の吉田さんと弁護士の話しから、次回以降がどうなっていくのかが気になった裁判だった。
[第9回]
一二/六(金)午後四時から、前回と同じ法廷。横校労からは二人が傍聴支援。法廷内の原告側・被告側とも前回と同じ。最初に、裁判長に促され、被告側からの原本の提出があった。これにより、面接官AとBの氏名が明らかになった。被告側からの原本の提出を受け、原告側からの準備書面の提出期日(二/一〇迄)が決まった。
終了後のミニ報告会では、弁護士から「証人尋問の方向性を、吉田さんと検討して提出する」旨の話しがあった。開示を受けて、裁判がこれからどうなっていくのか、注目していきたい。
次回裁判は「三/七(金)午前一〇時半から」千葉地裁松戸支部五〇六号法廷。傍聴支援を!
(大船支部 菅間 清光)
大船支部11/16第2回勉強会
【その1】―居森 公照(いもり ひろてる)さんのお話を聞く―
大船支部 森下 秀子
居森さんは今年八九歳。妻清子(きよこ)さんが一一歳で広島で被爆し、その後原爆症のために次々と癌を発症し闘病する毎日に寄り添った。共に講演活動を続け、清子さん亡き後はその遺志を継ぎ活動を続けている。今回はご自分の戦争体験も語っていただいた。
公照(ひろてる)さんは香川県生まれ。小学校(国民学校)では毎朝奉安殿に最敬礼をし、朝礼の時に男女共上半身裸で乾布摩擦をした。家から持って行った物干竿で竹槍を作り、体育の時間に突く練習(刺突訓練)をさせられた。「そこは心臓じゃない」と怒られた事もある。マラリアの薬作りのためのミミズ取りや、飛行機の燃料のための松の根掘りもした。疑問を持っても口にする事はできないと思っていた。兵隊に行って闘う気持ちを持っていたが、出征兵士の見送りで涙を流す母親を見たり、空襲時の機銃掃射で同級生が亡くなる体験もした。戦争が終わり、子ども心にもほっとした。
清子(きよこ)さんは八二年間の生涯で、何度も過酷な体験をした。
「一九四五年八月六日、爆心地から三百五〇mの近距離にある本川(ほんかわ)国民学校内で被爆し、多量の放射線を浴びた。後に学校にいた児童・教職員の中で唯一の生存者と確認されている」この一瞬で六年生の少女の失った物は余りに大きい。「自宅も焼け両親と弟を失い、原爆孤児になった。原爆症と空腹、寂しさの日々を過ごす」「中卒後働くが、偏見と差別を受け被爆を隠して生きる」「父との写真はあるが、母と弟の写真はない。時がたち、記憶が薄れて顔を思い出す事ができないのがつらい」「五〇歳以降、病院へ行くたびに癌が見つかる。検査で遺伝子の染色体異常が五〇%近くあるとわかる。清子さんは二〇一六年に亡くなる時、病理解剖を希望した。その結果、体中に癌があることが分かる。染色体異常が影響していると考えられる」
この過酷な人生の中でも、二八歳で横浜に移り、まず公照さんの母が清子さんの理解者になった。その後三一歳で公照さんと結婚する。以後五〇年間、公照さんは、立て続けに癌を発症し、闘病する清子さんの姿を身近で見続け支えてきた一番の味方であった。清子さんは二○○三年からは語り部として一〇年間活動した。
当日の参加者は、中学生から八〇代まで三〇人余。居森さんのお話の後、一〇人以上の方々の発言があった。居森さんの正面に座った三人の中学生からは、少年時代への質問が出た:一番辛かったのは空腹、それに撃たれる恐ろしさや人の殺し方を教える授業など、それらが今はないと言われた。祖母が被爆者手帳を持っているという方からの差別についての質問:広島では清子さんは世間の目が冷たく肩身が狭いので隠していた。「被爆者は医療費が無料で良い」と言われ、怒って「お金を払ってもよいから被爆者手帳を返上したい」と言っていたと。福島から避難して来た子どもの担任だった方は、差別を恐れてクラスで隠して過ごしていたと言われた。何が正しい事か見ていく力が大切になる。
二時間語って下さった居森さんへの感謝と、私達は自分事として考え行動していけるかという宿題をもらった会だった。
【その2】―勉強会を終えて―
大船支部 菅間 清光
大船支部として企画した二回目の勉強会。今回は講師のご自宅に近い「神奈川県地域労働文化会館」で実施。
参加者は三〇人余。定員二七人の会議室なので参加者の席を確保するため支部員の何人かは立っての参加、満員盛況の会になった。終了後二一人もの方がアンケートを書いてくださる。それだけ強く訴えてくるお話しだったからなのでは。感謝です。お話は、ご著書『もしも人生に戦争が起こったら ヒロシマを知るある夫婦の願い』(いのちのことば社 フォレストブックス)の内容に沿って進められた。
印象深かったこと。それは、清子さんから「被爆体験を話すことが使命。自分がいなくなったら、皆さんに伝えてよ・話してよ」と託された公照さんが、清子さん亡き後、講演活動を積み重ね、これからも続けていかれるという姿・思い。話しておられる公照さんの傍らに清子さんが居るように思った。お二人の生き方・歩みに深く感じ入りました。
自分の力は微力でも無力ではないと思って、少なくとも今日のことを忘れず、そして学び続けていきたいなと思った勉強会でした。貴重なお話をしてくださった居森様、ありがとうございました。
働き方いろはの 「ゑ」
教職調整額の引上げで良いの?
昨年末文科省と財務省の大臣折衝で通常国会へ向けた公立学校教員の処遇の政府案が決定しました。その骨子は・2026年1月から教職員調整額を5%にし30年度までに段階的に10%まで引き上げる。・26年度から28年度にかけ中学校で35人学級を実施する、です。
大臣折衝は文科省と財務省が対立しているように報道される中で行われました。その主な論点は
文科省案 | 財務省案 | |
教職員調整額 | 教師にふさわしい給与となるように教職員調整額の一律13%の引上げを一気に行う。 | 13%は時間外在校等時間の月20時間程度縮減目標と整合性に欠ける。業務縮減に応じて10%に段階的引上げ。 |
「残業代」 | 支給しない。時間外勤務手当化すれば、時間外勤務に逐一管理職の承認が必要で教師の裁量権が低下。 | 学校業務の抜本的な縮減を前提に労基法の原則通りやむを得ない所定外労働についてはそれに見合う手当を支給。 |
給特法 労基法 その他 | 教職員調整額支給維持、給特法存続。学級担任への手当加算、「新たな職」創設などでメリハリをつける。 | 一律調整額の引き上げは、メリハリがなく、給与が高い中堅・ベテラン教員の方が増額となる。労基法適用を視野 |
調整額は時間外勤務手当ではありませんが、4%は月の時間外勤務時間が8時間であった50年以上前の額。10%はその2.5倍なので20時間の時間外勤務時間分を5年かけて引き上げるという事にもなります。また、小学校の35人学級が2025年度に完了するのですから中学校のそれは既定路線ともいえるでしょうし、2023年度月平均残業時間が上限45時間を超えた中学校教諭が42.5%にも上るなどの深刻な状況を改善するにはほど遠いものです。
深刻な教員採用試験の現実
2024年度の公立教員採用試験の倍率は全体で3.2倍で前年の3.4倍を下回り過去最低を更新。統計が残る1979年以降小中高全てで最も低くなりました。各地の様子を見ていくと
「熊本市教育委員会は夏に実施した試験で定員を確保できず2度にわたって追加募集を実施。12月11日始めて行った再度の試験の結果35人が合格したが17人未だに満たない(テレビ熊本12/20配信)」
「新潟県は7月採用予定者数が不足し秋に再選考しても不足は完全には埋まらず。新潟市を除く県の教員欠員数が12月1日時点60人で過去最多。教員志願者数の減少に伴い、教員試験の競争倍率が低下。志願者の多くが正規採用された結果、不合格者の講師登録数が減少。(新潟日報12/17配信)」
「教員採用試験合格しても辞退相次ぎ追加募集の自治体が12に。かつては「狭き門」だった教員採用試験。2023年度受験者数は12万1000人で10年前(2013年)と比べて3分の2まで減。名古屋大学大学院による昨年度調査によれば2週間以上の教育実習を経験した347人の大学生の内「教員になりたくないと思うようになった」という回答が42%。このうち7割が「やりがいを感じた」とも回答しており、教員の仕事に魅力を感じつつも、長時間労働や保護者対応の負担などからためらう学生の姿が浮き彫りに。(NHKニュース12/15配信)」
「高知県教育委員会が今年実施した小学校教員採用試験で合格を通知した280人うち7割の204人が辞退。2次試験には74人が応募。人数は確保される予想。」(朝日新聞デジタル12/4配信)
横浜市はどうでしょうか。今年と昨年を比較すると小学校:1.6倍→1.5倍、中学校:4.1倍→3.3倍、特別支援:1.8倍→1.6倍、養護教諭:7.4倍→5.9倍、高等学校:2.3倍→2.0倍と低下しています。全国で、大学3年生の受験や受験日を早めたりする「改革」がされたのにも関わらずです。
地方自治体の労働条件改善の試み
一方地方自治体では独自の様々な取組がされています。山梨県は、小学校4年生まで実施済みの25人学級を全学年で実施すると表明。神戸市はKOBE◆KATSUへの移行。「「KOBE◆KATSUでは校区に制限なく自由にやりたい活動に参加出来るようになります」「KOBE◆KATSUという新しい仕組みを含めて放課後や休日の過ごし方を生徒自身が考えます。」「2026年度9月に開始します。中学校部活動は終了します。」(神戸市HP)。
一方横浜市は「横浜St☆dyNavi」。「26万人のビッグデータの活用によって横浜市の学校教育が変わります!」と息巻いています。膨大な児童・生徒の個人情報が民間企業に渡る、特別支援学校や個別支援学級、不登校の児童・生徒の切り捨てではないか等々様々な疑問が噴出しています。少なくとも新しい「ビッグ」な施策を行うのなら人員増と現場費用増額が大前提です。それらがないこの施策は教員の多忙化を促進するものであり逆行です。またいったいどれだけの莫大な税金が民間企業や研究機関に流れているのでしょうか。
横校労では、労働条件の大きな変化について知り、長時間労働を常態化させない職場作りへ向けて考える集会を開きます。お誘い合わせの上、是非ご参加を!
(中支部 平川 正浩)
教職調整額引き上げで良いの?教員の働き方の抜本的な改善に向けて!
~長時間労働を常態化させない職場作りへ~
日時 2月22日(土)13時30分~16時10分頃
場所 波止場会館万国橋会議センター1階ホール(日本大通り駅徒歩2分)
講師 嶋﨑量弁護士(日本労働弁護団常任幹事 反貧困ネットワーク神奈川監事)
内容 講演 横校労の休憩時間確保に向けた措置要求の報告など
職場から
「今日も来てくれてありがとね、また来年も待ってるね~」。下校していく子どもたちに、ふんわりと声をかけて見送り、冬休みを迎えた。横浜市の不登校支援として校内ハートフル事業がスタートした。昨年度までの自学自習のための別室が、「居場所」の機能を併せもつ新たな別室へと生まれ変わった。
わたしは、その小さなサポートルームの中で支援員として働いている。月曜日から金曜日の一校時から六校時まで、そこに通ってくる子どもたちとともに、常に同じ空間で生活していると、一人ひとりの個性がとてもよく見えてくる。
彼らの中には、ただ黙って真っ白な壁に向かって座り、動画を見ているだけのように思える生徒もいる。しかし、こちらが投げかけた問いへの受け答えや、友人とのおしゃべり、先生たちとのやりとりを見ていると、とても発想が豊かで感心させられ、思わず「きみ!天才だね」と声をかける。彼らのもっている感性の鋭さや、他者への優しさ、真面目で努力家な一面は表からは見えにくい。慌ただしい雰囲気がある大きな集団の中で、内面を表現することが苦手だとすると、そこに居心地の悪さを感じることもあるだろう。
限られた空間の中では、他者を傷つける鋭い言葉が飛び交ってしまうこともある。感情があふれ、心が激しく叫び出す。偏りのある言葉からは、彼らがこれまでに体験してきたことの壮絶さの想像がつく。黙って話を聴いているこちらまで胸が痛くなり、子どもたちの背中にそっと手を当てることしかできない。
大多数の生徒とは異なり、「教室に行かない」という選択は、勇気のいることだと思う。
「別室」に通った彼らが、自分の選択してきたことを肯定し、「自らを受け入れる力」と、「安心して他者を頼る力」をもって進んでいけるよう、年明けからも「来てくれてありがとう」と、笑顔で迎え入れていきたい。
(中支部 篠原 忍)
読者の声
養護教諭の仕事が多岐に渡っている昨今、横浜市の養護教諭の職務内容が多すぎると感じている。他府県で養護教諭をしていたが、衛生委員会や部活動顧問、分掌の部長等、他府県ではなかった仕事が横浜市にはある。初任者として勤務した際に、養護教諭として学んできていない分野の様々な業務を任され、困っているという同期が多くいた。「困ったときの養護教諭」のような扱いは、本来生徒のために尽力しなければならない時間を奪っていて、結果的に、学校の最後の砦としての保健室の機能を果たせない。いま一度、周りの自治体を参考にしながら、学校裁量としないで、横浜市として業務の線引きや外部委託の推進を行ってほしい。
(中学校養護教諭)
様々な面で、学校裁量になってしまっていることが多すぎると日々感じている。学校数が多いため、仕方ないのかもしれないが、学校を異動すると、やり方がまったく異なる、というのは、大変効率が悪い。今までの学校のやり方を取り入れようとしても、職員によっては反対意見もあったり、変えるというのは労力がかかる。また、年次が浅い職員は、意見を言いにくい。横浜市教育委員会が責任を持って、「こうしてください」という指針をあらゆる分野で伝えてくれれば、職員間に伝達する際も、強制力がある。曖昧な部分を潰していかなければ、組織としての統制が取れず、横浜市の目指す教育が実現できない。
(中学校養護教諭)
訃報
組合員の岡はま子さんが昨年12月14日に急逝されました。はま子さんは、長く横校労組合員として組合活動に貢献されました。小学校で音楽専科として勤務し、組合の学習会や合宿では組合員の子どもたちの保育を進んで引き受けてくださいました。家族と猫、キノコ、お酒をこよなく愛し、誰にでも笑顔で優しく接してくださる実に温かい方でした。ここに謹んでご冥福をお祈りいたします。
井上弘久独演「椿の海の記」と第五福竜丸での山内若菜展
大船支部 朝倉 賢司
八月二五日、四年前にも本欄で紹介した演劇を、今年も当地千葉県柏にプロモートし四年目の公演に漕ぎつけることができた。演目はチッソによる有機水銀汚染される以前の水俣での幼少期を描いた石牟礼道子の自伝的小説「椿の海の記」である。演じる演者は井上弘久、今回も独演である。二〇一八年からこの小説全十一章の舞台化に三年掛け、石牟礼道子の育った水俣をはじめとして全国を公演してきた。柏公演は当初二年間知り合いのジャズ喫茶を会場に、昨年からはキリスト教教会ホールを牧師さんのご好意でお借りすることができた。この演目については法政大学の元総長で江戸文化を専門とする田中優子氏が「現代の浄瑠璃」との高い評価を寄せ、公演に合わせて解説までしてくれる機会が何度となくあった。
今回の公演では、地元のメディア関係にいろいろ働きかけをして、当初一回公演だったのを一
日二回公演にするほどの観劇希望者がでた。公演連絡先が私個人のところにしてあったために、上演日が近づくにつれ慣れない対応で大変な経験もすることになった。劇中曲「不知火海のテーマ」作曲者の金子忍氏が照明などの効果を担当し、コントラバス奏者の吉田水子氏が演奏と音響まで担い、独演を三位一体となって盛り上げた。
昨年に倍する多くの観客の皆さんからは称賛、感動の声が寄せられたことは、プロモートした者として嬉しいかぎりだった。視覚障がいの方々も観客で来場されたことも意義を感じている。
そして年末近くになり、何と海外招待公演の話まで舞い込んできたのだ。
一二月八日 この日は日米開戦・真珠湾攻撃の日でもある。既に一九三一年の満州侵略から十年以上経過した過程での米国への宣戦布告であったのだが、日に日にメディアでもこの日の取り上げ方が小さくなってきていると感じる。
本紙に連載している山内若菜さんの個展「ふたつの太陽《讃歌 樹木》」と《第五福竜丸》」を見に、夢の島公園内の第五福竜丸展示館にいってきた。第五福竜丸は、一九六〇年台末に私が都内の高校生だった頃、当時のごみ処理場で今のような公園として整備される前に、廃船として遺棄されていた時に見学に行ったのが初めての出会いだった。当時は夕方近くになって薄暗い背景で汚れた船体を岸壁にもたせかけていたという印象が今でも強く残っている。その後多くの人々の声と力で公立の展示館に収められ、被爆関連の資料とともに歴史証人の姿を見せてくれている。館内に収められた船体を見上げると、かつて外で見た記憶よりずっと大きく感じられる。被曝し放射能に汚染されたのは第五福竜丸だけではなく数百隻に上るという事実もある。久保山愛吉さんに死をもたらした現実の重さと共に、反核の象徴としての船をどう現代に生かしていくのかという課題がわれわれには突きつけられている。
山内若菜さんの作品は、船体を覆いつくさんとする程の大きなものもあり圧倒される。過去を描くことから未来への希望のエネルギーを導き出し進んでいこうとする光、力を大小多くの作品を通じて感じ取り、帰路についた。
編集後記
三〇年近く前の初任の頃、退職する先輩たちが口々に「これからの人は大変よ!頑張ってね」と言って辞めていった。その時は意味がよく分からなかったが、年々やらねばならぬことが増え、時間外勤務もどんどん増え、気付けば本当に大変なことになっている。
初任の頃は、なんと一六時が退勤時刻。(休憩時間が勤務時間の後ろにあったため)多くの先輩は、一六時に退勤してお茶をしたり、映画を見たりと豊かなアフターファイブならぬアフターフォーを満喫していた。今の若者には信じられないことだろう。いい時代だったなあと思う。皆さん、生き生きと楽しそうに仕事をしていた。
新しい年がきた。学年末までもあっという間だろう。今年こそ、学校で働く者にとって少しでもよいニュースが一つでもありますように。少しでも余裕を持てて、「ヘロヘロ」でなく「ワクワク」が増えますように。
(n)
連載第35回 3・11とアート―《楽園への道 踊る蛇》―
山内 若菜
絵は過去を反省し、問題点を指摘し、未来の指針を示す事が出来ます。時空を超えて一見して物語として届けられる。私の描く蛇年、理想の楽園。福島や沖縄の馬たちの交信、対話から導き出されたような虹色の楽園。道は険しいが、世代を超えて次世代を含めた桃源郷を踏みしめて生きてゆきたい。
蛇も親子で喜び、9の形を作っている―のかもしれない。
このたび、こちらでも紹介して頂いた作品も多数掲載されている、平和教育のための本を出版しました。ぜひご覧頂きたいです。
「いのちの絵から学ぶ」彩流社
コメント