ニュース 2024年6・7月号 №547

学校の風景

 ~カエルのマグネットが今日も泣いている~

 テレビ等で給特法改正案のことが取り上げられ、「定額働かせ放題」がトレンド入り。月給の四%の額を支給している教職調整額を一〇%に引き上げるとのこと。給特法が制定されたのは一九七一年で、当時一カ月の時間外時間は八時間程度であったことから、実際の時間外勤務時間に関わらず一律に四%を支給する仕組みができた。現在、過労死ラインの月八〇時間に達する教員は小学校で一四%、中学校では三六%にもなる。四%が一〇%になったところで定額働かせ状態は変わらないだろう。

 日々の多忙を少しでも改善できるように現場も変わらなければならない。変わるチャンスはあった。コロナ禍で他校との会議がZOOMだったが、今は対面方式に戻ってきている(小学校はA研B研という他校との研究会が月に二回はある)。校内の会議も増え、時間も長い。長引いたら、「超過勤務にしておいてくれ」と管理職は言いっぱなしで、適切な配慮が無い状態だ。労使共にもっと時間に対して真剣に考えるべきだ。パフォーマンスを上げるためには、こちらも余裕が必要。そのためには残すことと削ることの精選が不可欠だ。職員室の定時帰りサインのカエルのマグネットが今日も泣いている。

 また、慢性的に人手が全く足りない状況が続いている。人手不足の中、さらに療養休暇の職員が出ると学校全体でカバーしなければならない。級外の私も進んでクラスに入っているが子どもたちと信頼関係が築けていない中で指導することは難しい。管理職は委員会に問い合わせしていると言うが臨任は来ない。打ち合わせで職員に「知り合いがいないか」と呼びかけるが、一向に穴埋めできない状況が続いている。私も何人かの知り合いに聞いてみたが、みんな断られてしまった。こんな状態がいつまで続くのか。

 なぜ少子化なのに教員が足りないのか。ブラックはコーヒーだけにしてほしいと一教員として思う。この状況に穴を開け、光を通したい。張りぼての足し算の試行ではなく現場での断捨離を実行していきたい。

いじめ自殺問題、公判傍聴妨害問題に見る横浜市教委の隠ぺい体質

 ――組織は機能しているか?――

   執行委員長 名児耶 理

 今年の三月、五月と、立て続けに横浜市教委が謝罪する事案が報道されました。

 ひとつは、四年前に起きた女子中学生の自殺に関し、いじめとの因果関係を市の第三者委員会が報告、その不十分な対応に対するものでした。学校側の生徒への聞き取りや横浜市の第三者委員会を兼ねる専門委員会の在り方等、様々な部分で問題の分析が必要ですが、市教委の対応としては、学校の「いじめ防止対策委員会」でいじめの認知がなされていなかったことを理由に、学校側に「いじめ」の表記をすべて削除するよう指示していたことなど、調査のずさんさが伝えられました。これをきっかけに現場にはいじめに関する研修の強化やいじめ認知報告書の詳細化が求められ、スクールカウンセラーや校内ハートフル支援員の増員が決定するなど、慌ただしい事態となっています。

 ふたつめは、横浜地裁で審理された教員による性犯罪事件の公判に市教委が職員を動員して一般の傍聴を妨害した問題です。開示された文書によれば職員が集団で傍聴していることがわからないよう指示をしており、市教委の記者発表資料では、本件を「公判への職員の傍聴の呼びかけ」と表記し、あたかも各方面事務所職員等が呼びかけに応じて自主的に公判に赴いたように装っていました。この件について、横校労は「横浜市教育委員会による裁判傍聴妨害に関する申入れ」を提出し、①本事案の責任はどこにあるのか、またその対処、②なぜ教員が関わる事案にのみ動員をかけたのか、③かかった動員費と違憲行為に関わった費用の返納、④根本的な組織改革等再発防止の具体策の提示、を求めました。

 両事案から見えてくるのは、事実を隠そうとする市教委の隠ぺい体質です。出張命令を受けた指導主事らが傍聴妨害という愚行に何ら疑問を感じない、あるいは異議を申し出ることが出来なかったとすれば、それは教育委員会という組織が機能不全に陥っているということです。あらゆる調査や研修、書類作成、コンプライアンスにおける教員に対する処分行政など、これまで教員に大きな負担を強いてきた市教委が、今回のような組織的問題を露呈したことを、多忙な中で日々業務をこなしている現場の教員は憤りをもって受け止めています。下田教育長は市教委の抜本的な組織改革の必要性を示していますが、少なくともその改革が小手先のものでなく、保護者や地域の学校への信頼を取り戻し、風通しの良い、より働きやすい環境を整えるものであることを要求します。

末吉中学校校長交渉 報告 

 校長交渉は、地方公務員法第五五条に定められた権利であり、組合として重要な活動です。交渉を年度初めに行い、教職員の勤務条件をより良いものにしていきます。末吉中学校では、二〇二四年六月五日(水)に交渉を行い一六項目について確認を行いました。以下は項目の一部です。

【勤務時間の割り振り】

① 二〇二四年度の勤務時間の割り振りについて提示されたい。また、職員会議等を開催する場合の割り振り変更について周知されたい。さらに、割り振りが異なる職員の周知をされたい。

【休憩時間】

③ 貴職は教職員の休憩時間について、どのように把握されているか明らかにされたい。

④ 休憩時間は労働基準法において、その取得が明確に規定されており、その罰則規定も存在する(法定の休憩を与えなかった場合や一斉に与えず若(も)しくは自由に利用させなかった場合には、使用者に対し、六ヶ月以下の懲役又は三〇万円以下の罰金が処せられる)。これについての見解と、改善の方策について示されたい。

⑤ 教庶務システムでは現在、休憩時間が取得できなかった事を確認・記録することができない仕様になっているが、これを確認・記録する方法を明示されたい。

⑥ 取得できなかった休憩時間についての、何らかの対応措置を明らかにされたい。

⑦ 本校における休憩室についての見解と、改善の方策について示されたい。労働安全衛生法第六一八条では、「事業者は、常時五十人以上又は常時女性三十人以上の労働者を使用するときは、労働者が臥床することのできる休養室又は休養所を、男性用と女性用に区別して設けなければならない」とされている。

 一六項目の中では、休憩時間に重点を置いて話し合いを行いました。時間外に勤務した場合や取得できなかった休憩時間の対応として「適切な配慮」の運用や休憩室の設置についての今後の対応、休憩時間の記録方法として庶務事務システムのコメント欄を活用し記録を残すなどについて確認することができました。

 どの職場でも休憩時間を取得できない状況があると思います。項目に書いてあるように休憩時間は法律により取得させなければならないものです。今年度、私は部分休業を取得しています。しかし、曜日によっては授業が六時間目に設定されており、休憩時間を取れない現状にあります。このことについても今後は、休憩時間に授業が被らないようにすることを確認しました。管理側との交渉を通じて、少しでも労働条件を良くしていこうと思っています。

   (中支部 猪狩 良和) 

メーデー行動報告

映画「かば」上映会&監督アフタートーク

   東支部 中島 佳菜

 五月三日(金)横浜市福祉健康センターにて横校労のメーデー行動が行われた。今年度は、映画「かば」の上映会と川本貴弘監督を招いてのアフタートークを実施。組合員以外の方も多く来場しての鑑賞会となった。

【内容】

 映画は、一九八五年の大阪西成地区の中学校が舞台。西成地区は在日や沖縄の人が多い土地であり、出自、偏見に加え、校内暴力、すさんだ家庭…過酷な環境の中で、悩み、苦しみ、しかしたくましく生き方を模索するたくさんの子どもたちが登場する。様々な問題に悩みながら生きる子どもたちと奮闘する教師の日々を詳細に再現。彼らと向き合い、正面からぶつかった実在の教師・蒲益男(かばますお 二〇一〇年に五八歳で死去)を中心に描いた作品。

【川本監督アフタートーク】

 かば先生の映画を撮ってくれと仕事として依頼されたが、「いらんことすんな」と被差別部落地域、沖縄の人から言われていた。「寝た子を起こすな。そういう映画を作るから差別につながる」と多くの反対があった。事実をしっかり知った上で作ることが大事と言われ、たくさんの人に取材した。タバコのシーンや差別語など、包み隠さず当時の雰囲気を脚本に書いた。この映画が世に出ると出自が明らかになってしまうという不安の声はいまだにある。映画の責任者として、ネット配信等は当分の間は控え、自主映画会という形で全国を回っている。

Q「かば先生はなぜ亡くなったのか」

A「突然死だと聞いている。学校で具合が悪くなり、病院に行ってそのまま亡くなった。その後、同僚一〇人ほどに取材し、かば先生の子どもに対する情熱に感化されて、映画を作ろうと決意した。」

Q「小学校教師で人権担当をしている。監督から見て、今の西成はどうなっているのか、同和問題をどう扱っているのか、子どもに知ってほしいことがあれば、教えてほしい。」

A「今は、きれいな街になっている。差別といっても色々な視点があるが、差別がなくなったわけではない。就職で落とされることもある。知らなかったら、落とされた理由が分からない。それは問題なので、同和問題を知り差別に立ち向かうということが大事。結婚差別もある。」

【参加者の感想】

●一九八五年、私が教育現場に足を踏み入れた年でした。荒れた学校もありましたが、リアルタイムで見ていたこともあったので、妙ななつかしさがありました。生徒と向き合うってこういうことというのを感じさせてくれました。今、私は一対一で子どもと向き合っています。何やろうか?ばかり考えて子どものことを見てないな、向き合ってないなと感じてしまいました。生徒からキャッチしたことを仲間の先生と共有しながら、明日からまた向き合っていきたいと思います。 (中学校教員)

●多様性やインクルーシブという概念が教育現場に持ち込まれて久しいですが、そういう小ぎれいなスマートな言葉では片づけられない現実が四〇年前からあったし、今もあると思います。子どもたちから自分に向けられた、いくつもの言葉を思い出しました(嬉しい言葉も辛い言葉も)。一人ひとりと向き合う、背景を想像する、その積み重ねでしか生徒と信頼関係を築くことは難しいと痛感します。アフタートークで伺った女性目線のエピソードがなかったことは本当に残念です。新任の加藤先生がスカートをはいていることへの違和感は女性なら感じると思います。語りたくても語れなかった人たちがいたのかなと思います。「全部の生徒に優しい先生でいてあげて」という言葉が刺さりました。目立つ生徒じゃなかった自分を代弁してくれているように思います。ゆうこちゃんのSOSにすぐ反応してあげられなかったシーンもきっと自分もそうやって気づかずに見過ごしてきたサインがたくさんあったのだろうということも振り返って見ていました。 (中学校教員)

●教師や生徒の「人間臭さ」に胸を打たれました。私は現在教育現場に関わっていますが、生徒が抱える背景は様々で、自分にとっての「普通」という感覚が大きく揺さぶられる機会が多くあります。生徒との接し方にフォーマットはないとわかって、一対一の関わりを在籍人数分繰り返すことを頑張ろうと思いました。今は色々な縛りがあり、納得する部分と窮屈さを感じる部分がありますが、教師という感情労働にもっと真剣にぶつかっていこうと思います。 (中学校教員)

●心に刺さりました。時代も場所も違うので今の私の職場と比べることは難しいですが、人対人との関わることの大切さを改めて考えることができました。GW明け、生徒たちと周りの人たちと私なりに向き合う人でありたいと思いました。帰ってから少し振り返る時間をつくりたいと思いました。 (中学校教員)

●あまり人権の視点を感じなかった。西成の問題に切り込んだという感じはなく、八〇年代の熱血教師を賛美した映画と捉えた。世の中がこういう先生を望んでいるのかなと思うと息苦しくなる。今は勤務体制が変わったので、教員のあるべき姿がかば先生となると、共感できない。 (元中学校教員)

大船支部5/16勉強会

 『テーマ 座間味旅日記 沖縄戦「集団自決」の現場を訪ねて』

【その1】――「語り部の伝え部」津田憲一さんとの勉強会――

   大船支部 森下 秀子

 津田さんは、座間味島での「集団自決」の語り部の伝え部と自己紹介された。座間味島は慶良間(ケラマ)諸島のひとつ。那覇市の泊港から高速船で五十分ほど。

 一九四五年三月二六日、米軍は沖縄戦で初めて慶良間諸島に上陸した。その後、慶留間(ゲルマ)島・座間味島・渡嘉敷島で「集団自決」があった。この座間味島に津田さんは、二〇〇八年に初めて訪れている。前年の二〇〇七年に、高校教科書から、軍の強制による「集団自決」の記述が消される事への怒りが沖縄でうず巻き、十一万人の大集会が開かれた。この新聞記事を見た時、津田さんは公立中学校社会科教員。翌年の旅で十一人の「体験者」の話を聞く事ができた。それも最初は道に迷った途中で出会ったオバアから始まり、次々に人の輪がつながっていく。これは本当にすごい事だ。生き残った人や残された家族にとって辛すぎる記憶なので、島の中で誰も聞かないし話題にもしないで来た。でも「教科書検定問題」と「大江岩波裁判」が起きて、辛くても初めて語り出した人達がいた。その方達とうまく出会い、さらにその縁を切らずに大切にしてきた津田さん。

 その最初の訪問の日記をもとに話は進む。「一九四四年九月に日本軍が島に来た。兵隊と住民は仲が良かった。守ってくれる。安心と思った」と何人もの方が証言している。が四五年三月二三日に米軍の攻撃が始まってからは、隊長は朝鮮人慰安婦を連れて逃げ、部下達の斬り込みや住民達の「自決」があった後に捕虜になった。証言の中にも「軍の指揮官としての責任を逃れる事はできない」とある。

 三月二六日、米軍上陸前後の証言から。「二五日、忠魂碑に集合の伝令が来た。行かなかった。逃げる途中、手榴弾で自決を図ったが不発」「家族壕の中でネコイラズを飲んで死のうと」「忠魂碑から引き返した。たどり着いた壕で校長先生と奥さんがカミソリで首を切り死んだ。その血が自分と母にかかった…生きていることが苦しい。話したくない。でも平和のために」なかでも、村助役で兵事主任の男性一家は、三歳の娘一人残して家族五人「自決」した。そして「大江岩波裁判」では彼が自決命令を出したとの証言も出る。それに対して生き残った妹達は、「兄が父に『軍からの命令です』と伝えるのをハッキリ聞いた。兄にかわって自分が軍に強制された事を伝えていく」と証言している。「証言の中の矛盾は、当時の集団異常心理の中で起こった事、そのまま受けとめるしかない。核心のところは話しきれない」と「体験者」であり、研究者の方の言葉。

 質疑応答の中から。「集団自決」の中で生きのびた人達は、オジイ、オバア、幼子などの皇民化教育を受けそこなった世代の反応で助かっている。日本軍は戦時に住民をどうするか考えてはいなかった。足手まといになるし、天皇の責任にさせないために、自ら死んでくれたら有りがたいという国の意志があった。「集団自決」も「強制集団死」でもだめ。選択の自由はなく国がかぶせてきたと言った証言者。今度の小学校教科書三社の記述は、「アメリカ軍に追いつめられて集団自決」となっている。この記述に沖縄でも反発なし。最後に津田さんの三線と唄で会はしめくくられた。

【その2】――勉強会を終えて――

   大船支部 菅間 清光

 大船支部として始めて企画した勉強会でした。参加者は組合員と元組合員の一三名、そして講師の津田様・奥様でした。

 一昨年、赤田さんから組合員に『東京新聞県版2022、6、19付の記事「あしたの島 集団自決 記憶をつなぐ」』の紹介がありました。その時から、いつかお話しをお聞きしたいという思いが、頭から離れずに残っていました。この一月の支部会で提案したところ、皆さんから賛同をえて実施する運びとなりました。足かけ三年、二年越しに実現した勉強会でした。体験者からお聞きしたお話しは、何ともいえない気持ちになるお話しの連続でした。本当に貴重なお話しをお聞きすることができた勉強会でした。講演を快諾してくださった津田様のおかげです、ありがとうございました。

 この講演で特に印象深く残っていることは、ある証言者からの『戦場では死を選ぶ自由も、自殺の自由もない。日本の国が被せてきた。我々を支配して、「玉砕(自決)」を運命づけていた』との証言から、津田さんがその意味を図解で「被せてきた」とはこういう事だったのではないのかと説明されたお話しでした。

 「被せてきた」、まだよく飲み込めていません。もう一度、当日の配布資料「座間味旅日記」を見てみようと思っています。そして、他の配布資料「渡嘉敷旅日記」「沖縄・旅日記」「加計呂麻“聞書”」等も少しずつ目を通していきたいと思っています。

違法動員で傍聴席を埋める横浜市教委、屁理屈で書面を埋める千葉県教委

 千葉学習サポーター不採用事件の第7回口頭弁論(4/26)

 横浜市教委が三年間一一回にわたって、わいせつ教員の公判に延べ五〇〇人の職員を動員、一般傍聴を妨げていた。この指示、教育長と教職員人事部長の決裁だ(東京新聞)というから笑えない。幹部の決定に「それ、まずいのでは?」と進言する取り巻きは一人もいなかった。傍聴席に坐った職員は市民の傍聴の権利を妨害しているとは思わなかったのか。これが五〇〇余の学校を抱える政令指定都市横浜の教育委員会の「実力」。被害者保護という理由も変だ。ホンネはわいせつ教員の報道を避けたかっただけだろう。教育委員会あげてのコンプライアンス破り。地に落ちた信用の上にさらに事実歪曲も。五月二四日の教育委員会議に出された文書名は「公判への職員への傍聴の呼びかけと今後の対応について」。旅費を支給してるのに自主的参加?こうまでして幹部は責任を薄めたいのか?度し難いとはこのことだ。

 四月二六日、千葉学習サポート裁判。傍聴席を埋めたたのは支援の市民や労働者。関西からも駆けつけてくれた。被告側が①証拠乙13~15と②第6準備書面を提出。この中身が屁理屈と頓珍漢のミックス盛り。法律に疎い筆者でも、主張の展開の稚拙さは明らか。

 前回も触れた原告吉田さんの妻子問題。吉田さんは独身なのだが、面接で妻子が該当地域の学校にいると発言したとして、面接員二人がその旨を面接評定票に記載している点。被告は、面接をしたのは原告吉田さんに間違いなく「人違いはあり得ない」と主張する。その根拠として「面接員は、受験者を席に案内した後、「氏名をお願いします」伝えて氏名を確認することとされて」いることを挙げる。さらに「面接員Aは、受験者から「屋敷小と勝田台小に・・・の妻と子がいる」(ゴシック及び下線は被告代理人による)という旨の回答を聞いたが、「・・・」の部分は聞き取れず、、曖昧であったと述べている」として「したがって、面接における原告の発言は、原告自身のことではなく、例えば、原告の知人や同僚、親戚などの妻子についての話であったと考えられる」と主張する。面接員Bも「受験者の『発する言葉が早口で聞き取りにくく』とも述べており、面接官Aの聞き取り状況も踏まえれば、誰の妻子であるかという点を聞き逃したと考えられる」。

 わざわざ「・・・の妻」の「の」に下線まで引いて、この妻子は吉田さんの「知人や同僚、親戚」の話だったというのである。どこに自分の仕事の面接で知人や同僚、親戚の、それも妻子の話を出す者がいるか。

 さらに可笑しいのは、原告が提出した証拠乙13と乙14の面接票、これは吉田さんの一時間後に面接をした受験者のものだが、ここに親族教員の学校名がその通りに記載されている。つまり八千代市と船橋市の小学校に親族教員がいた受験者は、吉田さんとは別人だったことがこの証拠でわかるのである。

 面接員Aは聞き取りメモを誤って吉田さんの面接票に記入、それを原告から指摘されるも訂正せず、あろうことか面接員Bと口裏を合わせ、吉田さんがあたかも嘘をついているような面接記録を捏造したのだ。準備書面の主張を、自ら提出した証拠が否定するという被告千葉県教委の頓珍漢ぶり。

 横浜も千葉も、いずれ劣らぬ大ボケぶり。最低限のコンプライアンス意識すら放擲している役人らに、このまま教育行政を任せておくわけにはいかないな。

 次回口頭弁論は七月一〇日(水)一一時三〇分から。

   (大船支部 赤田 圭亮)

職場から

 娘が中学生になり中1ギャップの洗礼(?)を受けている。小学校でも教科によっては専科の先生がいたり、ローテーションで授業を組んでいたりと担任の先生だけとの関わりではなかったけれど、やはり教科担任制は勝手が違うようだ。何よりもギャップとなっているのが定期試験だ。作品を作ったり歌ったりしていれば良かった音楽や図工、楽しく体を動かす体育で、知識を問われるペーパーテストが実施され、毎時間振り返りカードを記入し、それが評価されるようになった。五教科の試験も単元ごとのA3両面のカラフルなテストから、範囲が広く問題量も増えたテストに変わった。たくさんの変化に追いつくだけでも大変なのに、放課後の時間は部活動に勤しみ、帰宅するのは一九時すぎ。もうへとへとだ。

 家庭での学習も学級担任が、全体のバランスをみて宿題の量を調整してくれていた小学校と違い、各教科から次々と出され、提出日を把握するだけでもアップアップしている。

 自分の職場で考えてみると、確かに他の教科でどれくらい課題が出ているかなんて全く把握していない。学級担任をしていれば提出日くらいは把握するが、その内容や量がどの程度のものなのかは未知数だ。生徒がその課題に取り組む時間があるのかと問われると、我が子の生活を見ていると無いに等しい。家でホッとする時間や家族との団欒の時間も捻出するのも至難の業だ。教科横断型の授業実践をといわれているが、指導項目の確認はしても、生徒の負担や使える時間までは考えていなかったということを、中学生を目の当たりにして初めて実感した。

 一日の時間が二四時間は変わらない。ゆとりのある生活を教員も生徒も送るためには放課後の時間の確保しかない。委員会活動の精選や部活動のガイドラインを守った学校経営、または外部委託など進めていかないと教員だけでなく生徒もつぶれてしまうのではなかろうか。

   (中支部 春山万里絵)

中学校教科書採択は8月2日!!

 ~傍聴を申し込もう!~

 この八月には、中学校の教科書が採択される。採択された教科書は、本来なら来年から四年間の使用となるが、学習指導要領の改訂が予定されているので、六年間の使用となる可能性が強い。教科書採択は、教育委員会で八月二日に行われる予定である。六月二八日から七月九日までに傍聴の申し込みができる。臨席しての傍聴はたった二〇名であり、抽選となる。抽選に漏れてもユーチューブで同時配信が見られる。六月からは横浜全区の図書館で、採択される対象の教科書が順次公開されている。アンケート用紙も用意されている。教科書に目を通して、傍聴の申し込みをして、市民が教科書採択に注目していることを教育委員会に伝えたい。

 文科省ホームページでは検定意見について知ることができる。家庭科では三社とも検定意見がついて、家庭のあり方の多様性を述べた部分が修正された。社会科の歴史教科書では、令和書籍が検定を通ったことが話題となった。この教科書には一一四箇所もの検定意見がついた。神話の人物を実在の人物のように記したり、稲作は日本から朝鮮に渡ったりとかいう記述に検定官もさぞびっくりしたと思う。「国史教科書」の題名、縦書き、イロハでの順序表記など、やりたい放題である。自由社は「日本文明」という語を指摘され「日本文化」に修正している。育鵬社は創業一〇〇年以上の老舗企業が四万五千以上と書いて指摘されている。帝国書院は、「村のおきて」の年号を間違っていて、歴史教科書として情けない。二〇一三年に社会科検定基準が改訂されて「政府の統一的な見解」を記述することになり、二〇二一年に日本維新の会が国会質疑で教科書記述の文言の訂正を迫ってから、領土問題、従軍慰安婦、強制連行等についての記述に教科書ごとの差がなくなった。検定意見は令和書籍を除いて大半が誤字や事実の誤記載の指摘になっている。また各社ごとに付けているQRコードについての検定は行われていない。

 この検定を校正係りとして使っているのは、日本教科書株式会社の道徳教科書である。二一〇箇所もの検定意見はほとんど誤字脱字の指摘である。この怠惰で横柄な編集態度は果たして道徳的であるのか。さすが嫌韓本を発行している会社が立ち上げた教科書会社である。

 新しく見本本となった歴史教科書を見てみると、育鵬社の記述が以前と違っていることに気付く。「大和朝廷(大和政権)」と記述していたのが、「大和政権(ヤマト王権)」となり、「帰化人」が、「渡来人」となった。特設ページでは四頁を使って大阪と横浜を特集していて、両市での採択を狙っているのが明らかであるが、日本軍の東南アジアでの占領を「独立の希望」につなげたり、最後には「日本文明」の担い手という言葉で生徒に迫ったりとその排外的な歴史観は変わっていない。自由社は、歴史を学ぶとは「私たちのご先祖」と語り合うことと述べて、日本以外にルーツを持つ生徒を排除している。

 公民教科書では、育鵬社自由社とも個人の自由より、公のための制限を重視し、憲法改正にページを割いている。

 教員が教材研究する時間がないなかで、教科書が大きな影響力を持っている。私たちは教科書への関心を持ち続けなければならない。

   (東支部 溝口紀美子)

読者の声

 再任用が終わり、今年度から臨任として担任をしています。初任は、四三年前。当時印象に残っている言葉は、「今は、戦前である」「教え子を再び戦場に送るな!」時は過ぎ、この言葉は、現実味をおびてきました。現在、正規の先生方との賃金や権利の格差を、現場でヒシヒシと感じながら、「自分でやれること」と「自分でやりたいこと」を模索し、「はて?私はこの先、どんな人生を歩みたいのか」と自問自答の毎日です。世の中「働き方改革」「給特法」等と重いテーマが叫ばれていますが、これから日本の教育を担う先生方には、「希望」を持ち続け、自分の願うことを自己実現できるようにと願っています。 (小学校教員)

 毎回時間をかけて読ませてもらっています。

学校の働き方改革とは名ばかりで、なかなか目の前の仕事は減りません。そんな中で、我々教員の権利など必要な情報を提供してくれる横校労をありがたく思っています。これからもよろしくお願いします。 (中学校教員)

 千葉の学習サポーター不採用裁判の連載記事を読んで、恥を恥とも思わない千葉県教委の抗弁に普通ないよなと呆れていたら、横浜市教委が裁判の傍聴席を埋めるために出張させていたという。普通ならやんないし、一人ぐらいやばいんじゃないと気づかない?がっかりしてしまいました。「横校労」を頼りにしています。 (元横浜市教員)

鴻池朋子の物語るテーブルランナー

 秋田支部 吉田 紀子

 田沢湖図書館で本棚を利用した「物語るテーブルランナー」という展示を見た。「人にとって自身の経験を「語る」とはどのようなことなのか。二〇一四年に始まった〈物語るテーブルランナー〉は鴻池朋子が旅先で出会った人々に、聞かれるまで忘れていたような、誰にも話したことのないような個人的な話を聞き、下絵を制作、それをもとに話者が手芸でランチョンマットを作るプロジェクトだ。その原点は山小屋(森吉山避難小屋)を舞台にした美術館ロッジ プロジェクトのさなか、拠点とした阿仁合の家で地域の人がご飯を持ち寄りわいわいテーブルを囲む光景を見たことだった。立派な話じゃなくてもいい。悲しい話、驚いた話、恐かった話。とにかくあなた固有の話を――。」

―美術手帖(二〇二三年一月号)から引用―( )は筆者。阿仁合は私の生まれ育った地域と近く、森吉山避難小屋はモロビ(オオシラビソ)の香りが強く香る頂上近くにある。

 半端ない親近感でのめり込んで見入り、気がつくと二時間余が過ぎていた。冬はスキー大会に家族が総出で応援にきて、父親がワックスを塗ってくれたこと、蜂に刺されて頭がぼこぼこになって、病院に行かないといけなくて電車に乗ったら乗りあった人々に伝染病と思われて敬遠されてかえってゆっくり座れた話、引越した家で寝たら、前の住人家族が障子のところに立っていて、この地に受け入れられたという感覚になった夢なのか幻なのかを見たこと、阿仁の鉱山で働けなくなった坑夫を山に捨てたら、死んだ馬も捨てられていて、その馬を食べた坑夫がまた丈夫になって以来、阿仁では馬肉を食べるようになった話、冬の吹雪の中の里帰りのことなどが素朴かつパワフルに布で表現されている。このプロジェクトは、国内ばかりでなく、北欧、シドニー、タスマニアなど活動の範囲を広げ現在も進行中だ。

 これを機に作品集を何冊か買った。古い順に、「インタートラベラー 死者と遊ぶ人」(二〇〇九年羽鳥書店)、「根源的暴力 もはや同じものではいられない」(二〇一五年羽鳥書店)、「ハンターギャザラー もはや観客は人間だけではない」(二〇一八年羽鳥書店)、「美術手帳 特集 鴻池朋子 足元へ降りて立つ『みる誕生』」(二〇二三年一月号)見てみると鴻池朋子自身はこのプロジェクトとは少し印象の異なるスケールの大きい現代アートの担い手だった。熊、鹿、狐の頭付の皮を何十頭もはぎ合わせた作品、六本足の狼、ふさふさした毛に覆われて耳しかないミミオの絵本、インスタレーション、絵画、彫刻、絵本、映像、手芸、パフォーマンスなど様々な形で、異世界のような光景、深部に向かっていくような気持ちになる作品、もののけになっていくような感覚の作品など力強くて心をドスッとついてくるような(個人の感想ですが)作品を発表し続けている。インタビューに印象的な言葉があった、「私はいつもエネルギーのことを考えている」「完成間近の作品は、あえて台無しにします、すると作品の深部に爆発的なエネルギーが興り、変容をとげようとする」。美術手帖(二〇二三年一月号)から引用。もし近くで展覧会があれば、足を運んでみるのもいいのではないか。異世界といっても懐かしいような異世界に入っていけるはずだ。

編集後記

 「魔の6月」と言われているように、様々な問題が出てきて奮闘する毎日に「教育委員会の裁判傍聴妨害」のニュース。「被害者のプライバシーを守る」と言いながら、マスコミを締め出し教員の性犯罪ニュースの扱いを小さくするのが狙いでは、と勘繰ってしまう。さらに恥ずかしい事態をさらすこととなった。残念ながら、職場でこのニュースが話題にもならなかった。おしゃべりする余裕もないのか、社会的問題に触れる時間がないのか、関心がないのか、それもまた社会人としてまずいなと思う。

 教育実習生がやってきた。最近の学生は、実習でブラックな働き方に嫌気がさして「自分には無理」と教員になることを諦める傾向にあるのだとか。初任者のクラスが荒れてしまい大変という話も、あちこちで聞く。「教員を増やす」ことで、志願者減少、初任者へのフォローへの解決にもつながるのでは、と思う。

 いじめ自死問題を受けて、毎月のいじめ認知報告書は、経過を文章表記するなど膨大なものになった。それで本当にいじめに対応できると思っているだろうか。書類に追われて疲弊するだけ。日本一の政令指定都市として、悪いニュースでなく独自の政策を打ち出してほしい。「教員を増やす」ことに他ならない。

   (n)

連載第32回

3・11とアート ―《楽園の予感》―

   山内 若菜

 三上智恵さん著「戦雲」の本の表紙を描くため、与那国島を訪れ、インスパイアされた作品です。

 3.11後、私は動物たちが癌になったり、変死する姿を描き続けました。与那国の動物たちも遺伝子レベルで傷つけられていました。戦争になればシェルターにも入れず、見捨てられるだろう命。しかし本来島では人間と動物の命は共にありました。絵は、白旗をかかげ、民衆をひきいる不戦の女神。その少女の姿が先導する、変わりゆく「楽園の予感」です。

 人―自然―労働。もし福島の馬たちが甦って言葉を持ったら、与那国の馬たちに何を語るだろう?大切にしていくべきものはなんなのか。人が変われば社会の在り方も変わるはずです。

 6月26日から7月28日まで赤羽で「青猫書房ギャラリー」でこの絵を中心とした個展がはじまります。三上智恵さんに7月13日13時半からトークしていただける事になりました。山内在廊日は6月26.30.7月7.13.20.28日の17時まで。

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