ニュース 2025年6・7月号 №553

学校の風景

 ~ヒロシマ修学旅行の実りと翳り~

 十年ぶりに中学三年生のヒロシマ・奈良・京都修学旅行を引率した。一年生の頃から当日まで、生徒たちは平和学習を中心とした事前学習を積み上げてきた。授業を取り仕切り、学習を自分たちで深めていくための事前学習委員を立ち上げ、横浜大空襲や東京大空襲、沖縄戦の学習、そしてヒロシマ原爆へと学びを進めた。広島からお招きした被爆体験伝承者の方の講話や、原爆の子の像のモデルである佐々木禎子さんの甥にあたる佐々木祐滋さんによる平和コンサートを実施した。

 現地では各クラスお一人ずつの証言者の方にお話をしてもらった。さらに、二日目朝には平和集会として児童文学作家の中澤晶子さんのお話しも聞くことができた。一五歳の目で見て、聞いて、感じ取ったものはそれぞれだろうが、生徒の表情や感想からうかがえた実りは大変大きく、いつも広島修学旅行をやって良かったと思える瞬間である。

 その一方で、やはり修学旅行の勤務体制は極めて異常だ。通常七時間四五分の勤務時間は、変形労働時間制の採用で一一時間四五分に割り振りできる(+四時間分は振替)。これはかつて横校労組合員が措置要求によって市教委に認めさせたものだ。それでも実態は初日朝五時三〇分から生徒の集合を見守り、一日の行動をずっと共にし、生徒の就寝後二三時三〇分に職員打ち合わせが入る。夜中の二時にはなんとか横になれたが、生徒がいる以上、何かあれば対応を余儀なくされるわけだから、あくまで仮眠状態。翌朝も生徒の起床までの準備が五時三〇分には始まる。このような勤務が丸二日続き、三日目の一九:〇〇にようやく解放される。時間外勤務は無休で無給!

 旅行中移動の新幹線やバスの中ではほとんどの職員が寝不足で居眠りを始め、生徒の方が職員の体調を気遣ってくれる始末。一一時間四五分では到底収まりきらない業務なのは明らかで、予見もできるはずだ。市教委も修学旅行のしおりを学校から提出させている以上、実態は把握済み。適正な勤務時間の割り振りを行わせていないことになる。

 実りの裏にある翳り。こんな非人道的な働き方は一刻も早く改められなければならない。

山内小学校校長交渉報告

 四月の始め、山内小学校で勤務についての校長交渉を行いましたので、報告します。

〇勤務時間の割り振りについて

 職員の勤務時間開始が八時一五分、児童が登校する時間が八時五分である。児童の安全や登校の見守りのため、多くの教職員に毎日一〇分の時間外勤務が生じている現状への見解と改善の方策について示されたい。

 ↓勤務時間は、8:15~16:45 休憩時間は15:05~15:50

  月金は見守り隊の方が旗振りを行ってくださる。火、水、木の登校指導をした分は記録に残し、適切な配慮を取ってほしい。

〇休憩時間

 休憩時間が取得できなかった事を確認・記録する方法を明示されたい。

 ↓休憩時間には、会議等を入れないことを基本とする。面談や電話対応等で取得できなかったときは、時間外記録簿に残す。個人で都合の良い時に、適切な配慮を取ってほしい。

〇適切な配慮

 給特法に関わる文部省訓令「適切な配慮」、教育公務員特例法22条2項を運用した自己啓発研修の取得(三時間半未満の場合は、研修報告書の提出は必要なし)の運用を長期休業中及び課業中においても積極的に職員に指示されたい。

 ↓昨年度同様、時間外勤務の記録簿に記録する。4項目以外の「5その他」として、成績処理(採点、評価、あゆみ作成等)、保護者対応、AB研の準備、職員会議・重点研・事務分掌などの資料作りなども時間外記録簿に記入してよい。会議や出張の入っていない日に、「適切な配慮」を取ることができる。「3時間半未満の報告書の必要のない研修」についても取得可。

〇働き方改革

「学校における働き方改革」に関する中教審答申では、「学校・教師が担う業務の明確化、適正化」がうたわれている。今後の本校での具体的な施策についての考えを明らかにされたい。

 ↓学校の業務をスリム化することに賛成であり、職員からも意見を頂きたい。無駄をなくす工夫をしていきたい。

 交渉内容については、ほとんどの項目について認められ、回答をまとめて職場に配布した。

 休憩時間については、小学校では会議や部活もなく取得できるようにはなっているが、職員は仕事をしていることが多い。丸付けや教材準備のできる自分裁量の仕事時間となっているのが現状。休憩時間に保護者からの電話がかかってきたら対応するし、面談などが入ることも多い。本来の休憩時間になっていない。

「適切な配慮」については、勤務校では認められているが、校長によっては認めないこともあるという話をよく聞く。どの学校に勤務していても、平等に行使できる権利であるべきだ。

 働き方改革、これ以上学校で減らせるものはあるのだろうかと考える。あっても微々たるもので、抜本的な改革が必要だ。教科学習のほかに、総合、道徳、英語、放課後は授業準備、行事の準備、保護者対応、様々な調査など毎日やるべきことに追われている。調査を減らし、持ち帰り仕事もなくすべきだ。「カリキュラム・オーバーロード(教育課程の過積載)」という言葉も聞くようになった。ここ数年、文科省交渉に参加しているが、変わらない現状にため息が出る。毎日五時間で収まるカリキュラムにして、子どもにも教師にも少しのゆとりを保障するべきだ。

   (東支部 中島 佳菜)

末吉中学校校長交渉 ~勤務時間・休憩時間など~

 二〇二五年五月一三日、末吉中学校で校長交渉を行いました。校長交渉は、地方公務員法第五五条に定められた権利であり、組合の重要な活動の一つです。地方公務員法五五条は以下の通りです。

「第五十五条 地方公共団体の当局は、登録を受けた職員団体から、職員の給与、勤務時間その他の勤務条件に関し、及びこれに附帯して、社交的又は厚生的活動を含む適法な活動に係る事項に関し、適法な交渉の申入れがあった場合においては、その申入れに応ずべき地位に立つものとする。」

 校長交渉では、一八項目において勤務時間の確認を行いました。以下はその一部と回答になります。

【休憩時間】

② 割り振りに示されている休憩時間が、本校では一五:五五~一六:四〇分に設定されている。しかし、委員会活動や学年会などの会議が休憩時間内に設定され、開催されている。これについての見解と、改善の方策について示されたい。

 ②について校長は、「会議数を見直し、回数を減らしていく。休憩時間は現状一五:四〇~一六:二五となっているが、清掃活動と重複するため時間については検討していく。清掃活動の曜日を減らすなどの対応が必要」と回答。末吉中は、昨年度まで月に一度職員会議が開催されていましたが、今年度より一・五か月に一回となりました。結果として職員会議だけでなくそれに関わる諸会議も回数が減り、会議による業務負担の軽減につながっています。

③ 貴職は教職員の休憩時間について、どのように把握されているか明らかにされたい。

④ 休憩時間は労働基準法において、その取得が明確に規定されており、その罰則規定も存在する。(法定の休憩を与えなかった場合や一斉に与えず若しくは自由に利用させなかった場合には、使用者に対し、六ヶ月以下の懲役又は三〇万円以下の罰金が処せられる)これについての見解と、改善の方策について示されたい。

 ③④について校長は、「把握できていない。取得できていない部分については適切な配慮で対応。割り振り変更で休憩時間を後ろにつけて退勤できるという認識である」、「清掃など外部委託できるものは外部委託していく(プール清掃、ワックスがけなど)。休憩時間を取得できる雰囲気をつくっていく」と回答。本来、休憩時間は法律によって厳しく定められているはずなのに休憩時間が取得できていない(できない)のが現状です。実際、末吉中では休憩時間が一五:四〇~一六:二五となっています。しかし、清掃終了時間が一五:五〇、会議開始が一五:五五に設定されているなど取得できない現状があります。根本的な解決にはなっていませんが、交渉を通じて四五分授業の実施や会議回数の削減、割り振り変更で休憩時間を後ろにつけて退勤できるということを確認しました。ただもっと大事なことは、休憩時間を意識した働き方が大事だと思っています。

 他にも「二泊三日の宿泊行事後、職員が一日休むことが可能」、部分休業制度について「徹底的に周知していく」といった事を確認することができました。部分休業については、昨年度取得した際、休憩時間中に授業が割り振られていました。今年度は、昨年度からの校長交渉を通じてその時間を空けてもらうことができました。多くの職場で勤務に対して疑問に思っている方がいると思います。私もその一人でした。初任者の頃にベテラン教員に「休憩時間ってあるんですか?」と聞いたら「そんなのないよ」と言われました。その時は、「そうなんだ…」と思っていましたが、今思うと休憩時間も示されず、取得させずという異常な状態で働いていたのだとわかります。自分の勤務について確認することは、とても重要なことです。横校労のような組合を通じて勤務について一度考えてみませんか?

   (中支部 猪狩 良和)

次回いよいよ証人尋問に!

 ~千葉学習サポーター不採用裁判 第十一回口頭弁論~

 二〇二〇年に千葉県で起こされた、組合活動嫌悪による学習サポーター不採用に対する原告吉田晃さんからの千葉県への損害賠償請求裁判は、五月九日(金)松戸地裁で第十一回の口頭弁論が開かれた。傍聴人三十人が入れる法廷は吉田さんを支援する全国からの人達で今回も埋まった。裁判そのものは事務的な次回以降の確認手続きであったが、この法廷でこれから核心に迫る証人尋問がやっと決定した。

 次回裁判は、吉田さんを不採用にした面接担当官二人に対し、時間をかけて尋問することになった。日時は(暫定)九月五日(金)午後一時三十分から四時三十分に千葉地裁松戸支部五〇六法廷で開かれる。 

 証人尋問は原告の吉田さんを入れて三人。二〇二〇年八月二六日、吉田さんの採用面接に当たった人物二人は、当時は主席指導主事と教育事務所指導室長で、現在も再任用校長として千葉県下の学校に勤務している。この二人が質問、記載した文書記録を後日開示請求したところ、吉田さん本人のものとは全く内容が違っていることが判明した。親族、家族、勤務校の事実が全く違い、そのことを早速千葉県の個人情報審査会に出しても事実関係を調査することなく却下されたものである。面接場面では面接官が書いた記録しか残らない。面接場面で自分と違うことを具体的に話すことなどできないことだ。にもかかわらず、でたらめなことをやり遂げる千葉県行政ということになる。そのような千葉県にもう十五年近く居住している筆者にとっても、地元県民として許すことは絶対にできない。また、そのような面接官を、二人とも再任用校長として雇用し続けている県教委のでたらめさも許しがたいものである。

 学習サポーターは当時コロナ禍にあって、教職免許がなくても学習補助する人を現場に配置しようとしたものだ。応募者数二六三人中、落とされたのが僅か二人だけであった。その一人が吉田さんであった。吉田さんは小学校教員として再任用も含め四十年以上のキャリアがあり、落とす理由を見つけることができないにもかかわらず落とされたのである。学校現場での原則的な組合活動を続けてきたことへの嫌悪と忌避しか理由として考えられない。組合活動を理由に落とすことはできないがために、平気で文書を捏造までして落としたのである。昔から、管理教育で名の通っていた千葉県にあって子ども達や教職員の人権問題、労働条件問題を取り上げ闘ってきた吉田さんをはじめとする千葉の仲間たちも地域住民と共に裁判闘争に立ち上がってきて支援の輪も広がっている。一人の問題を全体の問題として闘っていくことは今の時代にあって困難を伴うものだが、同時代を送ってきた人間として、またこのような許しがたい行政行為をする悪しき千葉県の住民として裁判闘争も共に闘っていかなければならないと考える。

 九月五日の裁判は、現場の教員も休暇を取ってでも傍聴する価値がある。松戸地裁にぜひ足を運んでほしい。

   (大船支部 朝倉 賢司)

寄稿

最も小さい声 命の発露(下)

   山内 若菜

プロフィール

1977年神奈川県生まれ、「原爆の図 丸木美術館」平塚市美術館など各地で展示。中学校で命の授業として移動型展示講演会を継続。2021年東山魁夷記念日経日本画大賞入選。

「絵描きとしてのいたみ」

 私は団体展ではプロパガンダになったと呼ばれ、絵画業界を汚すなとまで言われてきました。いじめられ、私は、もういい、団体展は辞めると、個人での個展で新しい道を切り開いてゆくことを決めたのです。このエピソードは、いじめに敏感な学生にも、たくさんの共感と感動の感想を貰えているシーンです。

「弱い者のつくる作品が自分と世界(自然)を変える」

 広島のある学生さんが、私の「ふたつの太陽」をみて、感想を言ってくれました。「あらゆる核災害の被爆者がこれ以上ないほどの苦しみを経験した挙句、生涯十分な補償を受けられないで亡くなっていくように、権力を持つ人だけがそれを享受し続け、被害者が被害者の枠に閉じ込められたまま慎ましく生きることを強いられる側面の強い現代社会への違和感が私の文学を学びたいと思う原動力になっています。なので、今回核の悲惨さ、そして権力構造の枠を超えた生命として生きることの純粋な喜びを描かれた山内さんの作品の迫力と説得力を目の当たりにし、お聴きした現実の凄惨さに打ちのめされながらもとても力を貰いました」。

 私は今、表現者が、ありとあらゆる自分の「作品」をつくる人こそ、変わるべき時代にいると思います。理数系の方であろうと、次世代に届けるのは心ある作品である、世代を超えて、命のために自分の能力を使い、良心に問いつつ作品を届けられているか、問う時だと思います。

 絵は時空を超えて未来を良い意味で形象化できます。過去の過ちを指摘し、今を描き、未来への指針も理想も、キャンバスの中に創出できます。その解決策さえ提示できます。私は福島の天井画で、物語や長編小説を構築するように描きました。

 人間、自然、労働。これはすべての絵画に言えることなのですが、絵は思想の発露でもあります。でも、自分の持つメッセージを超えて、観てくれた人数分の物語として、世界に広がってゆく表現でもあります。それは時に言語を超え、人の受けた感情の記憶を伝えてゆきながら、戦争や原爆、原発事故を二度と起こさないという感情を、体験していない世代の人に届ける事もできます。絵は絶望を希望に変えることが出来るのです。

「NY核兵器禁止条約締約国会議場 展示」

 最近では、私の描いた被ばくした船の金屏風8隻が、3月3日から7日間アメリカ・ニューヨーク国連本部で開かれた核兵器禁止条約の第3回締約国会議場にて展示されました。

 1954年、第五福竜丸以外にもたくさんの船がビキニ事件で被災し、被ばくました。胡粉と墨の匂いを含め感じて欲しいです。死の灰は砕けたサンゴ礁に放射性降下物が付着したものです。日本画の胡粉はカキやホタテの貝殻を粉砕したものです。ギラギラと光る画面。飛び出しているものもあります。漁師たちの苦しみは「こんなもんじゃない」のではないかと想像したからです。この金屏風と言うギラギラと光る世界、人はその手でままならないものをつくってしまった、それを多様に光る金屏風に描き、今あるように生々しく感じてもらえたらと思います。黄金色と言う黒に対しての補色に対し船を縁取る黒線が際立つように、そこにあるんだという存在感を示しています。名前のある船は、その後苦しみ続けている漁師さんたちの叫び、その隠喩です。各国のとくに若い方が、知らなかったと、インスタチェックするとコメントをくれたり、驚いていました。

「パグウォッシュ会議での展示」

 今年の、広島で開かれる11月1日から始まるパグウォッシュ会議場・広島国際会議場でも、展示が決まっており、三部作とふたつの太陽が大きく展示される予定です。

日録

五月二五~二六日(四日市市にて)

 十年前開館した「四日市公害と環境未来館」へ行く。原告九人で始めた裁判と一九七二年全面勝訴の話を聞く。地方自治体や国の責任まで指摘していて、被告六社は控訴を断念した。この判決は、その後の大気汚染裁判に大きな影響を与えた。

 第一コンビナートそばの小学校を眺めていたら、近所の男性に声をかけられた。原告の住んでいた磯津地区を案内してもらう。川を挟んでいるが、今は紅白の高い煙突から白煙が見える。亜硫酸ガス濃度も低い数値になって、おだやかな眺めになっている。

五月二七~二八日(新宮市にて)

 観光協会に―新宮の「大逆事件」―というチラシが置いてある。一九一一年に熊野の六名(死刑二名、無期懲役四名)が犠牲になった。六名の名誉回復と顕彰碑(「志を継ぐ」碑)を建てる活動を担った人たちが、駅近くで―「大逆事件」資料室―を運営している。この資料館の四方の壁にはたくさんの資料が貼られ、丸木夫妻の『大逆事件之図』も用意し訪問者を待っている。私は足尾銅山鉱毒事件に取り組んだ田中正造と同じ栃木県佐野市の生まれ。正造が明治天皇に直訴するための訴状(幸徳秋水が書いた)を見ていたので、新宮グループにも関心があった。顕彰碑で「志を継ぐ」の説明文には「平和・博愛・自由・人権の問題においては、むしろ時代の先覚者であった。こうしたかれらの志は、いま、熊野に生きるわれわれにも当然受け継がれるべきもの、受け継がなければいけないものと確信する」と書かれている。二〇〇一年の名誉回復も、二〇〇三年の顕彰碑設立も市議会の決議を求めた。議論の末、右も左も関係なく全会一致で可決した。また二〇一八年に、死刑の大石誠之助(ドリトル大石)は名誉市民になった。駅前に名誉市民を紹介する大きな看板があり、大石も加わっている。

 市役所の近くに『くまの茶房』がある。以前は書店をやっていた母娘が店主。書店の頃から人々が集い、反原発の活動や新宮グループ六人の名誉回復の運動をしていた。一九一一年の判決後の六人の身内は、熊野を出る人や家族がバラバラになる人、熊野を出られず迫害に苦しむ人など長く苛酷な人生を歩んで来た。「大逆事件」について語ることはタブーとなっていても、判決はおかしい、デッチ上げと反発して語り伝える人達もいた。そんな人達の中で『犠牲者を顕彰する会』が結成され、全国にある二六人の犠牲者の墓参りを行った。この茶房で私は、岩波現代文庫、田中伸尚著『大逆事件』を買った。単行本にはない「補記」と起訴された二六人と遺家族の動向などの一覧表が加わっている。この本に茶房店主や集う何人かが登場する。その人達とお会いしたが、各人の熱量はとても高く声も大きい。熊野は貧しい土地だし、東京から日本一遠い土地(時間がかかる)と言いながら、反骨精神を持ち続けていることが分かる。

   (大船支部 森下 秀子)

読者の声

 定時退勤日を、タイムマネジメント研修を、在校時間外勤務時間の意識化を…と、とにかく「早く帰れ」と言われる今日この頃。「でも仕事量は変わりません」と管理職。いよいよ教員は、魔法とか分身の術とか身につけねばらない時代になったのでしょうか…。働き方改革が進んでいる学校は、管理職が推進しているのになと納得いきません。

 調整手当を上げる話が出たあたりから、勤務時間外勤務を月◯時間を目指そうとかいう話も聞こえてきて、なんだか、勤務時間外の勤務が当たり前としてとらえられてしまっている気がします。

 まずは、勤務時間内に収まる仕事の適正量を見極めるところから、はじめてほしいと切に願います。勤務は8:15からなのに、今日も私は8:00に登校してくる児童のために、7:30には職場に着くバスに乗りました。

   (小学校教員)

 大学を卒業したばかりの初任の子が、二年生の担任を任せられた。本人の希望もあるようだが、すごい職場だと改めて思う。企業に勤めている友人の話では、新入社員は研修からスタートし、現場に出るのは研修が終わってから。現場に出ても(もちろん職種や会社によりけりだろうが)指導者が付き、少しずつ仕事を割り振り、一人で任されるのはもっと時間がたってから。学校との差を思い知る。理想と現実に初任者がつぶされなければよいが。

   (中学校教員)

編集後記

 毎年、横校労では年度初めに校長交渉を行っている。勤務時間の割り振りや適切な配慮の確認、各職場での問題等について申し入れを行っている。本来、どの職場でも組合があれば行われるべきものだ。衛生委員会でも各職場での働き方の問題を洗い出し、改善に繋げていきたい。

 職場に教育実習生がやってきた。希望に満ちた学生が一カ月後「先生になりたい」という思いをもったまま実習を終えられるとよいのだが。息子の幼馴染は、教育実習中、定時で必ず帰るように管理職に言われ、ほぼ毎日一六時四五分に帰宅していたとのこと。いざ教職に就いたら、休憩時間もない、定時を過ぎても部活指導を当たり前にやらされる、残業代も出ないことをどう思うだろう。そりゃあ辞めたい気持ちにもなるだろう。自分の時間を大事にする若者にとって魅力的な仕事にしていかなければならないと強く思う。

   (n)

連載第38回 3・11とアート ―《離婚してしまった両親のことを思いつつ蝶》―

   山内 若菜

どんなときも、何を描くときも、私のはじまりは、最も小さい声、命の発露。そんな絵を描き発表し続ける。場と共に成長してゆきたいです。私は会社のために働き続けてきた。15年+派遣人生も3年ほど、奨学金を返すための学生時代バイト掛け持ち人生でした。私は自分の遺伝子を残したくないと思っている、いやむしろできない立場の持たざる者です。

でも、個性、個人の尊厳。思想の発露。私は、持たざる者が持つ時代の幕開けの光を見たいと思います。一緒にその希望を覗いてみませんか。

コメント