3月30日、桜木町の横浜市健康福祉総合センターにて定期総会が開催された。地元組合がくろう神奈川をはじめ、市民団体代表などを来賓に迎え、全学労組加盟の各地の組合から挨拶とメッセージの紹介のあと、終日、全員討議がおこなわれた。
霧が丘事件から見えたもの
2013年より5年余りの歳月を費やした霧が丘事件をめぐる係争は、昨年4月の人事委員会裁定により請求者高野教諭への処分は「減給10分の3」から「戒告」に、10月には代理人会議で人事課長から異例の謝罪があり、一定のけじめがついた。
事件発生時、私は本紙の一読者としてこの事件に注目していたが、組合加入後は、請求者や代理人の書面作成準備、処分者の作成した文書の分析などを通して、教育行政の一端を見ることになった。
事件のシナリオ
事件での阿部、高部両管理職による予断と偏見による杜撰な調査に唖然としたが、これは霧が丘に限ったものなのか?昨年、以下のような情報提供があった。
ある学校で、当該教員は管理職から生徒への体罰を指摘された。被害者からの証言はなく、当該への調査は1年半後という、およそ信じがたいプロセスにより、校長は報告書を作成し市教委に提出。
この事案は人事的処分に至らなかったが、管理職の「事情聴取、調査手続きの杜撰さ」という面では霧が丘と酷似していた。
ある学校で、当該教員は管理職から生徒への体罰を指摘された。被害者からの証言はなく、当該への調査は1年半後という、およそ信じがたいプロセスにより、校長は報告書を作成し市教委に提出。
この事案は人事的処分に至らなかったが、管理職の「事情聴取、調査手続きの杜撰さ」という面では霧が丘と酷似していた。
人事的処分では事前に、当事者は「顛末書」を当局に提出する。数年前に処分に至ったある事案の顛末書は、管理職が事務局に提出した報告書と、事案に対する見解が見事に一致する記載がなされていた。
霧が丘事件を見てきた私は「顛末書と報告書がこうも一致するとは…」と驚いたが、市教委が教員を懲戒するには、この「一致」が欲しいところ。霧が丘事件の顛末書は、当該は校長からの嫌疑を否認したが、これが例外で、多くの事案では「一致」しているのではないか。
事案の渦中に置かれ、処分をほのめかされた教員が、冷静に顛末書を作成するのは至難の業。筆が進まない当事者に管理職が書式を提示・・・とは、勘ぐり過ぎか。霧が丘事件では、当局が指示した顛末書の作成期間はわずか24時間。
事件が発生すれば事情聴取、調査手続きの妥当性など関心は払われず「誰が責任をとるのか、取らせるのか」に焦点がおかれ、それに沿ったシナリオが描かれ進展するのである。
部分休業給与戻入問題
寛政中で起きたこの問題は、現在も解決には至っていないが、17年の政令市費化にともなう教庶務システムの不備、運用を適正に監督できなかった管理職の職務怠慢、そして「国に従い」条例のみ整備し、制度利用者の利便性は棚上げにする市教委事務局のスタンスが露呈したものだ。
19年度本市教員採用試験では「育児休業代替任期付教員」の募集がある。この10数年、若年層採用の増加は著しく、経験年数10年以下の教員は約6600人で全体の50%(「横浜市立学校働き方改革プラン」より)。
この若年層が育児期に突入、現場にいれば自明のことだが「仕事と育児の両立」は容易ではない。多くの職員が育休を取得する現状がある。しかし、問題はその代替。代替が見つからず管理職が授業をしたり、退職後数年を経過しているベテランの赴任という状態は、今に始まったことではない。
雇用者にとっては、育休取得者の増加で、代替の確保はより困難になった。さらに免許更新制の反作用(=失効者の出現)により、「代替教員の不足」を深刻なものにした。
育休の後、「育児短時間勤務」「部分休業」で現場に復帰する職員の増加が今後見込まれるが、制度利用により寛政中のような賃金問題以外にも、諸々のトラブルが派生するだろう。
「当たり前でない組合」
1977年、当組合は結成大会で「当たり前でない組合を目指している」と来賓から指摘がなされている。これは70年代に起きた「入船闘争」で鮮明になった、浜教組と市教委の癒着による教育の共同管理体制(=当たり前)に対して、横校労が分裂したので「当たり前でない」との表現であった。
結成から40年余を経た現在、大組合と当局の癒着はあるものの、「共同管理」は極限まで薄れたと言える。行政主導の「働き方改革」に淡い期待を抱くこの矛盾、もはや「職場に組合がないのは当たり前」になった。
組合が存在しない職場環境は、横校労にとっても他人事ではない。が、そうした中で「組合がある当たり前でない職場」を形成することができるのか。職員室の論理ではない、働かさる側の論理を提起・展開し運動をおこせるかが当組合の課題である。
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