八月四日、横浜市教委教科書採択会議で、中学社会科「歴史」「公民」は、次年度からの教科書を育鵬社から帝国書院、東京書籍に決定した。
二〇一〇年から十年続いた「新しい歴史教科書をつくる会」(以下「つくる会」)系の自由社・育鵬社の教科書使用に終止符が打たれたのだ。
この十年間で「つくる会」系教科書を使った横浜の中学生は延べ31万人にも及ぶ。年齢的には二十歳台半ばまでの若者である。この意味は非常に大と言わざるを得ない。
この夏の各地での教科書採択を見てみると、それまで育鵬社版を採択していた東京の特別支援学校、藤沢市、大阪の四条畷市がいずれも他社教科書に切り替え、その流れが横浜市でも不採択となって表れたとみることが出来よう。
育鵬社は改定版の歴史教科書に、アクティブラーニングの課題として横浜市の資料を四頁も割いたにも拘らず実らなかった。横浜市不採択を経て産経新聞は、行政における強いリーダーシップの欠如を嘆く記事を載せた。
また産経新聞は、学校現場の声を聞いたために不採択になったと分析している。我々は、現場の切実な声が市教委にしっかり届いていないと考えているが、行政は現場の反映をする必要は全くないとする、とんでもない発想にも続いた主張である。
そして二〇〇九年の自由社版採択時に我々が批判した、当時の自由社版導入を強引に謀った今田忠雄委員(後に委員長)や彼を任命した中田宏元市長の暗躍を図らずも裏付けるものでもある。
我々横校労は、本紙前号(No、523号)でも述べたように、組合として2009年から「もうひとつの指導書」づくり運動に取り組み、これを糧に自由社版から育鵬社(改定)版まで内容の全面的批判に一貫して取り組んできた。
自由社版導入に際しては、当時の浜教組は当初教科書内容批判の資料を出したものの、保守系議員からの「教科書不使用だ」との恫喝に批判運動からすぐさま撤退したことを改めて思わずにはいられない。
教科書内容を批判し続けた「横浜教科書研究会」など研究者団体の活動や横浜教科書採択連絡会など市民団体の運動もあったが、当該である学校労働者として十年以上一貫して闘い抜いてきたのは横校労だったのである。
このことは声を大にして強調したいことである。
横校労は、内容批判だけでなく採択区の市内十八行政区から市一括化にも反対してきた。今年の採択に当たっても横校労からの申し入れ書の重要な項目のひとつであった。
しかし採択区に関して、市教委は実質的に取り上げないままの状態を続けている。十八行政区から市内一括化の理由は、「理由」にする意味のないと言わざるを得ない噴飯物であった。
市教委の論理で国定教科書批判が出来るのであろうか。
教科書採択に当たっては現場教員の声の反映はどんどん縮小され、市民からの声も市教委の専決事項という事務的な処理で門前払いになっている実態が続いているのだ。
この十年間の過程で、組合として取り組んだ「もうひとつの指導書」は「歴史教科書に対する〈もうひとつの指導書〉研究会」(略称:「もうひとつ研」)の運動に引き継がれ、歴史教科書内容の検討を続けている。
この十年になろうとする過程で危惧されることは、「つくる会」系教科書の不採択によって今の教科書がはらむ問題を解決できるかということである。
つまり他社の教科書内容が同様になってきてはいないかという問題である。自由社版の「もうひとつの指導書」の「はじめに」でも「自由社版以外の出版社の歴史教科書も単純に礼賛されるものではありません」としている。
不断の教科書検討が必要になってくるであろう。
最後に、「もうひとつの指導書」づくりの柱であった故矢下徳治さんと共にもう一本の柱であった金井敏博さんが今夏の「つくる会」系教科書不採択を見ることなく昨年末急逝されとことを心から残念に思うとともに、今後の絶えざる歴史教科書の批判、検討を改めて誓いたいと思う。
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