2023年8・9月号 №542
学校の風景
~パワースポットでフル充電~
夏の徳島と言えば阿波踊り、ですが、海遊びや川遊びも楽しみの一つ。子どもが大きくなるにつれて少しずつ楽しめることが増え、この夏はラフティングに挑戦することにしました。激流をかわしながら下ったり、流れの少ないところで崖から飛び込んだり、バランスゲームをしたりと、とにかく飽きさせないプログラムで、三時間があっという間に過ぎていきました。
小学三年生の娘には少しハードルが高い場面もあったかもしれません。でも、皆について行こうと必死に、顔を引きつらせながら崖からの飛び込みに挑戦し、浮かび上がってきた後の自慢げな顔はもう最高!全員で娘の挑戦を喜びました。そして、渓谷を上から見下ろすのとはまた違う川の流れを実際に体験し、こうやって大自然でラフティングを体験できるのは、なんて贅沢なことなんだろうと感じました。
さて、長期休業中に休暇をしっかりとっている職員はどのくらいいるのでしょうか。中学校では休業中も変わらず部活動があり、練習試合や大会も多いため、なかなか難しい現状があります。そして、出勤すればついでに少し仕事を片付け、時には保護者からの電話に対応し、部活動の指導だけではなかなか帰れないということも少なくないでしょう。しかし、課業中の超過勤務、年休の使いづらさ、さらに休憩時間もまともに取れないことを考えると、長期休業中こそ意識的に休暇を取らなければ、あっという間に新学期が始まってしまいます。
私が日々仕事を頑張れるのは、年に二回、実家への帰省があるからです。美しく豊かな自然に心も体もリラックスし、美味しい海の幸、山の幸で胃袋まで満たされる最高のパワースポット、徳島。普段は私自身に余裕がなく、小言を言われてばかりの子どもたちも、ここぞとばかりに羽を伸ばし、実家の両親が子どもたちを存分に甘やかしてくれるのもポイントです。これで充電完了。
冬の長期休暇は何をしようか今から楽しみです。
―日本三大秘境、大歩危渓からの大ジャンプ!―
四年ぶりの横校労夏合宿 やってよかった!!
1日目 ①学校悩み事相談 ~組合員編~
中支部 春山万里絵
四年ぶりとなる横校労の夏合宿。夏休みに入って最初の週末である七月二二、二三日に湯河原の万葉荘で行いました。
一日目の議題は、「学校悩み事相談~組合員編~」と称して現場組合員が持ち寄った悩みごとをもとに討議をしました。
~お悩み①~
「適正な勤務の割り振りをしない管理職に対して、措置要求をしようと思います」
勤務校は部活や行事に力を入れる一方で、自分たちの勤務時間は顧みず、六時間授業後の職員会議や休憩時間と重なる時間に設定されている会議、退勤時刻後も会議が続く現状がある。そんな現状に対し管理職は「現実的に難しいので適切な配慮で」勤務の割り振りをするよう言うが、適切な配慮を使う時間の確保には全く手を付けない(定期テストの日の午後に研修を入れるなど)。休憩時間が取れていない状況、取らせるつもりがない状況の改善を訴えるための措置要求をしようと考えている。
この相談に対して、小学校と比較して、中学校での休憩時間取得の難しさが改めて浮き彫りにされました。小学校の休憩時間は児童の帰宅後に設定されているが、中学は休憩時間に部活動の活動や生徒会活動が設定されていることがほとんどであること、休憩は職務から遮断された状態を作ることができないと休憩を取得したことにならないことなどを確認しました。また休憩時間の概念が薄い教員が多いので、休憩時間の開始と終了時にチャイムを鳴らして意識付けをするのはどうかなどの案が飛び交いました。
~お悩み②~
「働く意欲が減退しています」
特別支援学級を受け持っているが、生徒人数減から担任が二人体制になった。行事が重なると、引率などの関係から、一学年見る教員がいない状況。空き時間もない。必然的に事務処理をする時間が放課後になり、休憩をとることもままならない。また分掌業務での負担感が多い。できないことをできないといい外部委託することを提案したら、生徒を指導すべきではと意見をもらった。頑張ろうという気持ちがわいてこない。
この相談に対しては、教室のワックスがけなど業務委託できるものは委託するよう文科省から通知が来ていること、管理職に「できない」とはっきり言ったことで 業務委託する流れになったのなら、係として今後も業務委託するという方針を打ち出すべきだ、といったアドバイスをいただいた。また他の組合員の職場でも大掃除のワックスがけは予算組して業務委託している学校があるという情報共有や、負担を軽減するための取り組みなどについてのアドバイスがありました。
~お悩み③~
「なかなか家に帰れません」
勤務校はコロナで中止されていた保護者や地域との懇談が復活し始めている。また行事や部活に熱心で職員の負担感が大きい。業務が多いわけではないのに、なかなか帰宅できず、帰宅時間が二一時を過ぎることが週の大半を占めてしまう。
この相談に対しては、学校の問題点を管理職がどのように考えているか、管理職交渉を行い、変えていく足掛かりを模索するべきだという意見がでました。面談の中で管理職に話す機会はあったとしても雑談の域を出ないので、労働組合として交渉をすることの意義について改めて確認が行われました。
~お悩み④~
「横校労組合員は主幹教諭になるべきではないという意見について」
横校労は主幹制度に反対の立場をとっているが、横浜市の主幹の数は一八〇〇人と膨大で制度を廃止することは現実的ではない。主幹だからと校長に意見ができない立場になるわけではないこと、学校経営にかかわる会議に横校労組合員としての意見をもって出席する意義は大きいので、主幹制度を利用して校長に対して意見していく、学校経営にかかわって働き方改革を進めていくという視点も必要だと考える。
この相談に対して、横校労としての主幹教諭に対する方針の確認をまず行いました。そして各学校での主幹教諭の存在について情報共有を行いました。学校によっては誰が主幹なのかわからないという意見が挙がり、校長は年度当初に誰が主幹なのか紹介すべきであるということや、主幹会議の実施の有無などが話されました。
②横校労結成と組合事務所取得の歴史
後半は横校労結成前史と事務所取得について、横校労創世記メンバーの茂呂さんに来ていただきお話を伺いました。
横校労結成までの政治の動きと関連した教育研究所等の組織作りや闘いの歴史、そして、給特法に基づいて支給された教員特別手当(四%)の自主管理運動として集約された拠出金で事務所購入の頭金を支払ったこと、組合員の先輩方が、多額の金額を自主管理として拠出してきたことで今の事務所が存在することなどを新たな資料と共にお話しいただきました。
コロナ禍以降事務所に集まって…ということが減り、便利なリモート会議が増えましたが、顔を突き合わせて学習会や討議をすること、また、夏休み最初の週末に、喧噪から離れた湯河原で、のんびりとした気持ちになりながら集まることの意義を感じられた合宿となりました。
2日目 ~沖縄はもう戦場になっている~
中支部 原 千尋
湯河原合宿の二日目は、沖縄で起きている問題についてのドキュメンタリー映画を観て、感想交換を行った。沖縄でのシェルター設置、ミサイル避難訓練、弾薬庫大増設、小さな離島を含む空港と港湾の軍事化が急ピッチで進んでいる現状に対して、現地の人達の抵抗の様子を、現地の人達の活動・発言をメインに構成されている。戦争と聞くと、心のどこかで対岸の火事だと感じていた自分にとって、戦争の恐怖を身近で感じている人達が同じ日本にいるということが衝撃であった。
みんなの幸せを願っています
「みんなの幸せを願っています」これは、宮古島で実際に弾薬庫大増設の工事が始まった際に行われた牛歩デモの前に、工事関係者に向けて言われた言葉である。
映画全体を通して、「沖縄の人達は誰のために、何のために戦っているのだろう」と深く考えさせられた。自分の仕事や、家事、育児をやりながらデモに参加する人達。今の自分にそんな生活ができるか考えると、到底できる気がしない。では、どうしてそんなエネルギーがあるのか。「みんなの幸せを願っています」に全てが詰まっていた。自分の利益のために動いているのではなく、みんなの幸せのために、抵抗している。
だが、実際に抵抗運動のために通路に座り込んでいる住民を、警察などが四人がかりで両手両足を掴んで運んでいる様子は、まるで犯罪をしているようで、映像を見ているだけで悔しい気持ちになった。実際に幸せを願いながら運動している人達の気持ちは計り知れない。
家の目の前にある戦争
実際に弾薬庫のわずか一七〇m離れた場所に民家があった。住民にしてみれば当然不安である。住民にどんな危険性があるのか、安心できるような説明は何もない。実際に住んでいる人達の気持ちは置いていかれ、「決まったことだから」の、この一言で次々と戦争に向けて沖縄が軍事化されていく様子が映されていた。
戦争を体験された人が、「戦争体験者だからむなしい。もう沖縄は戦場になっている」と答える場面が映った。では、日本に住んでいる我々の中で、自分達の住んでいる場所で戦争が起きている、という意識を持っている人達はどれくらいいるのか。実際に私自身は、そんな意識はなかった。SNSに来るミサイル発射の知らせも、どうせ日本には来ないだろう、という楽観的な考えで右から左に流していた。実際に不安に思っている人達がいて、有事の際のために避難訓練までされていることなど想像もしていなかった。
映画の中には沖縄の自然豊かな様子も映る。一見、映画の本筋には必要無いようにも見えるが、沖縄で戦っている人達が何のために戦っているかを見せてもらった気がした。守るべきものは、人だけではない。抗議する手段を持たない自然さえも訴えかけてきた。
争うよりも愛しなさい
映画の中には、二〇二三年二月二六日に沖縄県の県庁前で行われた「島々を戦場にするな!沖縄を平和発信の場に! 2・26緊急集会」の様子も映されている。幅広い年齢層が一七〇〇人近く参加する集会のなかで、スローガンの一つである「争うよりも愛しなさい」について言及された。戦争を身近に経験した人が少なくなっている活動の中で、若者が考えたスローガンであった。若者に人気のあるラッパーの歌詞に出てくる言葉であり、若者にも伝わりやすいのではないかと、一番に掲げられていた。年代関係なく、沖縄全体で戦っている様子が伝わってきた。
日本は戦争をしないと憲法で決めている。なぜ憲法でやらないと決まっていることが起きるときを想定した避難計画が必要なのか。県が、国がすべきは有事の際の非難訓練計画を立てることなのか。自分自身が、自分の家族が沖縄に住んでいて同じことをするのか。シェルターがあるから、ミサイルをこちらも持っているから安心だ、と同じことを自分の大切な人に言えるのか。もう一度考えてみてほしい。争うよりも愛しなさい。
ほかの人たちの感想
○ 住居から二〇〇mしか離れていない場所に弾薬庫がある。住む町の公道に戦車が通る。映像でみることで、自分が住んでいる所と重ねたときにぞっとした。まさに体を張って、命をかけて生きる場所を守ろうとする住民の方々と同じ地域に住みながら、自分の仕事と割り切っているのか、工事車両を運び入れる、住民の立ち退きをさせる警官の対比が印象的であった。
自分が人間らしく生きたいと思う生活の中に、すでにそれを脅かす武器が持ち込まれているということを、まず自分がしっかり感じて、それを声にしていきたいと思った。「生き方」を大切に、分断に負けない、沖縄の外からできることはなにか。
○ 沖縄本島のみならず、周りの自然豊かでのびのびとした島々にまで、様々な配備をしていることの詳細がよく分かった。穏やかに暮らしていた住民にとって本当にひどい話である。住民の体を張っての抗議活動、拡声器でのシュプレヒコール、胸を打つものであった。
また、反対運動の戦いに疲れた人、あきらめモードという側面も描いていて、市民運動の難しさも感じた。市民運動も大切だが、やはり選挙で選ばれた人達の働きかけが最も重要なのだと感じた。
千葉学習サポーター不採用事件 千葉地裁裁判報告
中支部 高野 猛
七月二〇日、千葉地裁松戸支部で「組合活動家敵視による学習サポーター不採用損害賠償請求訴訟」の第三回口頭弁論があった。
ここで、弁護士をつけない本人訴訟をしている吉田さんは、以前、私が教育委員会の処分に対する不服申し立てを行ったときに、毎回千葉から傍聴支援に駆けつけてくださった恩のある方。第一回および第二回の口頭弁論では、宿泊行事と重なっており参加できなかったが、今回は傍聴することができた。裁判の傍聴は初めてであったが、原告側一人対被告側一一人という構図が異様に見えた。
前回裁判長から、「被告第1準備書面」では説明がたりないから、具体的に書き足すようにと言われて送られた「第2準備書面」の唯一具体的な内容は、面接官の報告書にある「吉田さんの親族に関する記述」だけであった。しかしその記述「妻子が習志野や八千代の学校にいる」という内容さえも、全くのでっち上げ。本人のブログによれば、吉田さんは独身。なぜ調べればすぐ解る嘘を面接官は書いたのか。あるいは書かされたのか?
その面接官の氏名・住所の公表は裁判官により、却下された。しかし、人証申請があれば証人として出すかは別途合議で決めることとなった。また、私は分かっていなかったが、被告は原告の求釈明すべてにこたえる義務はないそうだ。しかし、今回は裁判長の「釈明権の行使」により、被告は裁量権の乱用・逸脱をしていないこと、またそのような心証を持つに至った思考過程を追えるような証拠の提出を求められた。当然だろう
次回弁論は九月二九日(金) 10:00~、506号法廷。
二〇二三年 六月一三~一五日
「オトナのひろしま修学旅行」(上)
溝口紀美子
六月の薄曇りの空の下、広島の「原爆ドーム」を見上げる公園に、次々と一七名の参加者が集まった。元横校労委員長の赤田さんの声掛けによる「オトナのひろしま修学旅行」の始まりだ。参加者のほとんどは全学労組の退職者たちで、富山や山梨など各県から、ややくたびれた身体に期待を抱いてやってきた。
案内してくださる児童文学作家の中澤晶子さんの後に付いて、米軍の原爆投下地点とされたT字形の相生橋を渡って「本川小学校平和資料館」へ行く。ここの小学生、教員四〇〇人が、教師一人子ども一人を除いて一瞬のうちに原爆の犠牲となった。奇跡的に生き残った居森清子さんは、赤田さんの働きかけがあって、七〇歳を越えてから腫瘍に病む体で被爆証言をするようになった。二〇一六年に亡くなったあと、夫の公照さんがその証言を継いだ。
本川小には、改装前の平和記念資料館に置かれていた、原爆投下時の広島市のジオラマが置かれてあった。直径四mほどの円形のなかに、瓦礫となった家々、倒壊した建物、投下地点を中心に被害が広がっていく様子が小さな立方体で表されていた。今の平和記念資料館にも同様の物があるが、投下の瞬間を米軍の視点から撮った映像になって、小さな家々で暮らしていた人の姿を想像する力を持っていない。人の手で一つひとつ作られたジオラマを眺めながら中澤さんとの会話が続いた。
小さく刈り込まれた川縁の木々を見つつ平和記念公園に向かう。サミットのために被爆樹木までが伐採された話が自然に出る。「韓国人原爆犠牲者慰霊碑」は、象と双竜を象った高さ五mの銘石で立派なものだった。強制労働によって広島で被爆した韓国(朝鮮)人は、二万人以上と言われている。はじめは朝鮮王家の一員が亡くなった場所に建てられたが、一九九九年に平和記念公園へ移設された。異郷の地で被爆した人たちの苦労は想像を超える。
平和記念公園は、被爆前は商店や映画館のある繁華な町で、慈仙寺という大きな寺があった。大きな墓石が爆風でひっくり返った跡を見た。公園は被爆した土地の上に土を被せて作られた。その土の下が少し覗けるようになっていて、一抱え以上もありそうな墓石が飛ばされて横倒しに重なり合っていた。
住職夫婦は被爆して亡くなり、境内の跡には護岸で焼かれた遺骨が次から次と運ばれてきて遺骨の山を作ったという。その遺骨の山を供養していた僧侶たちが「戦災死没者供養会」を立ち上げ、野ざらしの無縁仏を供養するために喜捨を集め市を動かして、一九四六年五月に遺骨を安置する「供養塔」が完成した。その年の八月六日には供養塔の前に続々と数千人の人波が続いた。その供養塔に中澤さんは足早に案内をする。緑の芝で覆われた径一六mのドーム状の土饅頭が、供養塔であり、納骨堂であった。
「原爆供養塔」は土盛りの頂点に石造の相輪の塔が据えられ、南側に向けて灯篭が立っていた。土盛りの内部には納骨堂があって、引き取り手のない遺骨約七万柱が収められている。中澤さんはさっさと北側に回った。納骨堂に降りていく階段がありステンレスのドアが見えた。ドアの上に薄く文字の跡がある。元は「安置所」と書かれていたが、一九七八年頃にペンキで塗りつぶされた。「原爆納骨安置所」と毛筆で書かれた七m近い高さの木碑が立っていたが、それもその頃に撤去されたという。言われなければここが納骨堂であるとはすぐに分からない。最近この緑の納骨堂の上で弁当を広げた跡があったと言う。
〈次号に続く〉
写真エトキ 韓国人原爆犠牲者慰霊碑
日録
八月一日
太極拳のレッスン日。体育館の中は蒸し風呂のような暑さだ。したたる汗とともに、ゆっくりと体を動かす。担当の先生は御年八十歳の大ベテラン。どっしりした下半身からつながる上半身の動きが優雅で、とても美しい。
手本の動きを真似するだけで精一杯の私は、先生から「肩下げて」や「肘は伸ばしきらない」などの声をかけられ、気づけば息をすることも忘れている。呼吸・体・心の調和が難しい。水の流れのように滑らかな動きは、長年の鍛錬の賜物なのだと思う。
八月五日
所属している吹奏楽団の練習日。七月の演奏会を終え、次回に向けて再始動。新しい楽譜は事前にじっくり譜読みしておく。合奏の場で自分のイメージと、周りとの相違のすり合わせを行っていき、実際に音楽を作り上げていく。来年のプログラムは「坂本龍一特集」。新たな曲との出会いにワクワクできるよろこびと、当たり前に演奏会ができる日々が戻ってきたことに感謝。
八月六日
毎年この時期になると、小学生のときに母に連れて行かれた『原爆展』のことが思い浮かぶ。熱で溶けた瓶の塊など、展示してあったモノたちは静かだがとても重たく、私に大きな衝撃を与えた。当時の様子を描写した絵がいくつかあった。川にあふれかえる人たちの苦しそうな表情からは、「熱い…、水…、痛い…、苦しい」と、今にも呻き声が聞こえてきそうで、とても恐ろしくなった。
東京に住んでいた祖母が生前、戦時中の話をしてくれた。けたたましい空襲警報が何度も鳴り響いていたことや、まだ一歳だった私の父を抱いて走って逃げたことなど。多くの犠牲を出し続けながら不毛な争いを続けていたことについて「馬鹿だよ…」と、つぶやいていた祖母の姿を思い出す。
(篠原 忍)
読者の声
ニュースを読ませていただいています。
ニュースに書かれている労働条件に関することや、組合員の方が職員会議で発言される休憩時間に関することなど、これまで知らなくてはいけないことを知らずに働いてきたことがショックでした。でも、言われてみれば確かに必要なことで、もっと意識して、働きやすい環境を作っていかなければならないことが分かりました。またいろいろ教えていただきたいです。 (中学校教員)
前回のノースドックの記事は、横浜に長く住んでいるにも関わらずどんなものか知りませんでした。自分も職場の忙しさに追われている毎日が、軍拡がどんどん進んで物騒な世の中になってとても怖い感じがします。これからもよろしくお願いします。 (中学校職員)
隔月刊「横校労」を読んでの感想等がございましたら編集部まで是非お寄せください。
~横校労に入りませんか~
「管理職のパワハラに困っている」「職場のことで相談したい」「忙しすぎて、このまま仕事を続けられるか心配」など、困りごとがありましたら、お近くの組合員か「union@yokokourou.jp」までご連絡ください。一緒に働きやすい職場をつくっていきましょう!
働き方いろはの き
「教職調整額引き上げ」とは?
「給特法」は労働基準法の割増賃金支払い義務を逃れるための法律
自民党政調会長萩生田氏、永岡文科大臣の発言を紹介します。
・「教職調整額について10%以上に引き上げる必要がある。10%の妥当性を担保するため「時間外在校等時間」を勤務時間の約10%に当たる月20時間程度まで圧縮する事を目指す。実施時期については2024~26年度を集中改革期間と位置づけ3年後には『昔は(月の残業時間が)41時間とか言ってたよね』と思えるようなところまで近づけたらいい」(萩生田氏 教育新聞7/20)
・「教員が過重な疲労や心理的負荷を蓄積して心身の健康を損なうことがないよう、『在校等時間』と業務量の適切な管理をはじめ学校の『働き方改革』を進めて行く」(永岡 文科大臣 教員過労死富山地裁判決記者会見 7/7)
両氏の発言からは、割増賃金支払い義務を逃れる目的で、「在校等時間」の「制限」と調整額の引き上げで辻褄を合わせようとしている不誠実な姿勢がみて取れます。
前回の内容からも労基法逃れのまやかしは明らかです。
①「2022年度勤務実態調査」は、繁忙期では無い、コロナ禍の影響、休憩時間など現場の実態を反映していない過少な労働実態を示す。
②教職調整額の10%
ex 調整額月1万円→2.5万円
労基法適用による時間外勤務手当支給
ex 時給3千円1時間時間外勤務手当3750円
(*試算 朝15分 休憩45分 放課後60分の時間外勤務を20日間 1月の時間外勤務手当は3750×2×20=15万円・・・持ち帰り仕事なし、土日出勤なし)
③時間外勤務手当が支給対象外にされているのは公立学校教員のみ。私立、国立学校教員は元より職場を共にする事務職員、栄養職員、用務員も支給対象。
労働基準法の残業代支払いは長時間労働を抑制する
残業代(時間外勤務手当)の支給は、使用者側からすれば当然経営の圧迫になります。そこで、使用者は残業代が派生しないように労働時間を厳しく管理する必要が出てくるのです。労基法の割増賃金規定の意味は、労働者の長時間労働からの解放という意味があります。以下はこの事を端的に示す参議院文科委員会(5/23)での質疑です。
吉良議員「労基法の残業に割増賃金を払うと定めている意義は何か?」
厚労省 「法定労働時間を守らせる一つの支柱である。」
吉良議員「教員への残業代支給は対価を払うに留まらない長時間労働是正の効果がある。自民党の提案する調整額10%への引き上げに必要な経費は総額2000億円(国費690億円)で、かつて文科省が試算した残業代の9000億円(国費3000億円)の1/5に過ぎない」
永岡大臣「総合的に判断していく」(労基法適用触れず)
管理職が退勤時間に誰よりも早く帰り、現場教員の長時間労働が厳格に管理されないのは労基法が適用されていないことによるのです。
(中支部 平川正浩)
=関東大震災から一〇〇年=
書籍紹介
『福田村事件 ―関東大震災・知られざる悲劇―』
辻野弥生 著
九月一日から森達也監督による同名の映画が全国ロードショーになっている。映画化に際しても貴重な資料となったのがこの本(旧版)である。
福田村事件とは、関東大震災から五日後の九月六日、香川県から薬の行商に来ていた被差別部落出身の十五人が神社で休んでいた際に、地元福田村の自警団が朝鮮人だと詰問し、地元の方言と違うことから九人に様々な暴行を加え殺害したというものである。隣の田中村(現柏市)の人間も関わったことから正確には「福田村・田中村事件」というべきものだ。殺された中には六、四、二歳の幼児ばかりか、胎児も妊婦と共にあげれば十人の人たちが殺され利根川に投げ込まれたりもしたのである。
筆者は一九九九年に隣市の「流山市立博物館友の会」の研究誌に、ある人から地元野田市の人間には書けないから福田村で起こった虐殺事件について書いてくれないかと依頼されたという。内容に衝撃を受け引き受けたものの、資料は殆ど見つからず、地元の証言を聞こうとしても怒鳴られたり拒否されたりと、取材は全くと言ってもよいくらい進まず、この事件の持つ闇の深さを思い知らされる。そのなかで貴重な話を伺えたのは、当時の地元圓福寺の名誉住職・長瀬瑠璃氏(故人)だけであった。住職は殺された胎児まで戒名をつけ「関東大震災惨死者」の記録を残している。
二〇一三年発行の旧版(崙書房)から出た「福田村事件」本の反響は大きく、地元野田市にも少しずつ変化が表れている。新出版社が引継いで増補改訂版となり、映画監督の森達也氏の文章も加え既に再版になってるという。関心の高さの反映だ。
関東大震災直後には、社会主義者、無政府主義者、多くの朝鮮人などに加え朝鮮人と誤認された日本人も殺された歴史がある。
著者の辻野弥生さんは、誰もが加害者になりえたのだということを強調されている。この言葉の重さを考えなければならない。
(朝倉賢司)
〈二七〇頁、定価二千円、五月書房新社刊〉
孫がイタリアの小学校に入った!!
東支部 工藤順子
孫が昨年の九月にイタリアの小学校に入りました。北イタリアのミラノ近郊の公立校です。両親は日本人なのでイタリアの小学校での驚きをメールで送ってきます。私もそれを読んで日本の小学校との違いに驚いたので、その中からいくつかお伝えします。
イタリアでは特別支援学校や特別支援学級が無く、障がいのある子もみんな同じクラスで学ぶ、インクルーシブ教育を行っています。
【始まりは『ぞうのエルマー』から】
九月入学から一週間、先生が入れ替わり立ち替わり暫定クラスの担当をして、自分に合う子を選んでようやくクラスと先生が決まります。(イタリアでは小学校の五年間、同じ先生が担任になります)この暫定クラスで一週間に学習したことは『ぞうのエルマー』だけだったそうです。このお話は、カラフルな色の象が悩んだり活躍したりする話です。「ぞうのエルマー」のお話を聞いて、エルマーに色を塗ったり、エルマーの歌を唄ったり。「違うって、素敵」という歌詞があり孫は楽しそうに歌っていました。
【クラスの人数と支援員】
孫のクラスは一九人。(障害児がいないクラス、児童数は二〇人から二三人です)先生は、一クラス二名ですが、教科によって交代します。このクラスには発達障害の子が一人いて、その子に対して支援員さんが一人付いています。参観日が無いので様子はよくは分かりませんが、動画が時々アップされます。
【「片っぽ靴下の日」=「同じ」も「違う」も素敵なこと】
二月の最初の金曜日は「片っぽ靴下の日」です。子ども達は、左右デザインや色の違う靴下を履いて学校に行きます。右と左が違っている、そんな組み合わせも悪く無いね、違うってことも楽しいね、と他者との違いを尊重することを体験しみんなで感じあう試みです。北イタリアのある先生の提案で始まり今年で一〇年目になるそうです。
【担任の先生がお休みの時は他のクラスへ】
孫が学校から帰ってきた時に「今日は〇〇さんが私のクラスで勉強したの。静かに座ってた」と報告したそうです。その子は一学年上の子です。なぜ一年生のクラスに来たかというと、その子の担任が、その日お休みだったからです。担任がお休みだとクラスの子ども達はバラバラに他のクラスに行くのです。だからその子は二年生なのに一年生のクラスに来たわけです。学年に関係なく動くのは面白い。先生は安心してお休みでき、子ども達も色々な子と出会うチャンスがあり、他のクラスの様子がわかるというメリットを活かしているようです。
【給食と昼休み合わせて二時間】
日本では四〇分か四五分授業ですが、イタリアでは二時間授業です。午前二教科、給食を挟んで午後一教科行い、全校一斉に四時下校。昼休みは、給食時間とその後の休み時間を合わせて二時間。この間にムスリムの子などは自宅に帰って食事をします。孫は給食を学校で食べるので、昼休みを満喫しています。
【インクルーシブ教育は人権教育】
日本でもイタリアのように障がいのある子を分けないで、同じクラスで学習させることが出来ないのかとよく言われます。また逆に、特別支援学校を無くして本当にその子に合った教育が出来るのか、とか。制度的にはともかく学校の様子を聞いていると、イタリアでは人権を尊重する学習に力を入れていることが分かります。違っていい、違うのも素敵、と体に染み込ませるように何度も教えている。つまり、人権を尊重する基盤があってのインクルーシブ教育なのです。
写真エトキ 朝ごはんイベントの日
編集後記
夏休み、しっかり休養できたでしょうか。成績付けや出張などの出勤があるものの、夏休みはゆっくりと過ごせてうれしい。余裕があると、「積読(つんどく)になっているあの本を読んでみよう」「気になる展覧会に行ってみようかな」という気持ちになる。長く休める小学校の教員でよかったと思う。部活のある中学校の先生たちは、休めたのだろうか。
組合の夏合宿では、普段はなかなか話せない「職場のもやもや」について、相談することができた。忙しさに忙殺される日々が始まると、職場でも気軽な相談をするゆとりさえなくなってしまう。夏休みに得た「心のゆとり」を長持ちさせたい。
恐ろしいほどのこの夏の暑さ。小学校では、熱中症警戒指数が基準を超えたら、外遊びは禁止。中学校は、この暑さの中でも部活動をしている。中1の娘が「今日は、学校に救急車がきた」と言うが、大丈夫なの?と心配になる。夏休み明け、ゆっくりスタートでいきましょう。
(n)
連載第27回 3・11とアート 《命煌めき》―この世に生まれてきてくれてありがとう―
山内若菜
展示画の話を頂いたとき、私はこの世界の見方が問われる、構図をしっかり構成しようと思いました。福島県南相馬市小高で取材をし、現場で感じたものを含め、どう監督するかという意識で描こうと。
人間と自然、そして、そしてその関係性である社会関係が保たれている世界が美しいという思いで、命の讃歌を、ポジティブな物語を生み出したいと考えました。
そして、暗さも闇も、過去も未来も現在も混在する絵の世界に葛藤するとは、身近な現状に自分も関わることなんだと気がつく。一週間現地制作して、改めて発見した事です。希望はこの形態、有機的な生き物、不死鳥から黄色い人間像を発見しました。それは、うねるような人間の像でした。
自由に感じ、物語をつくってみてください。
これは私に絵が教えてくれた一つの物語です。
死んだ動物たちが画面全体に踊る
自分の馬を甦らせたいと赤い娘が
それは社畜だった私自身が鬣を放っているのか
この社会関係を変えること
未来に希望の光があふれる予感
小高での運動に福島の馬や牛に共鳴
希望ある鯉のぼり 人が作り出した良き象徴
原発事故・社会関係の犠牲者としての牛たち・馬たちを 生きかえらせようとして笛をふく
山内若菜情報はこちら
山内若菜HP http://www.cityfujisawa.ne.jp/~myama/
若菜絵ブログ http://wakanaeblog.seesaa.net/ または「若菜絵ブログ」と入力
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