【3.11と私】再び福島を描きたい2

山内若菜 3.11と私

前号に引き続き、コロナ禍後、久しぶりに福島を訪問した時のレポートです。

8月17日

会津に住み、奥様がルーマニア系のウクライナ人である荒井さん親子にお話を聞く事が叶いました。息子のタイキくん10歳は強い視線を持っていました。

今もよくウクライナの実家に行っているがチェルノブイリのあるウクライナでは大体子ども五人に一人は心臓病なのだと教えてくれました。変わらずまだ高い線量で、森は放射能半減なんてしていない。

当初は知らされず情報統制で隠されていたから被ばくがわからなかった。近所は病気の子だらけで至るところに調子が悪い子がいる。世帯に一人は病気の子がいる割合だと強い口調で話してくれました。

原発事故直後は、会津から家族みんなで奥さんの出身地ウクライナへ避難した。ウクライナへ永住しようと思った。

が、ウクライナの方が線量が高かった・・いうことで、子ども5人の事を考え会津に住む道を選んだそうです。

その報道がウクライナのニュースに取り上げられ、一躍ご夫婦で有名人になってしまったとのお話でした。

夕方に「牧場 放」の絵の夢に出てきたイメージでもあった牧場の娘さん・美和さんにもじっくり見てもらう事が叶いました。

東京で展示って凄いというご意見や、絵本ではモノクロの絵のTシャツか欲しいとの嬉しいご要望と、なんだか恥ずかしい、と、にこやかに感想を頂きました。

夜は川俣のお寿司やさんの渡辺さんと出会いました。今の若い子は飲食店なんて選ばない。自分も若い頃選んだ理由を忘れた。もうけがほぼない。

もともと川俣は人が少なすぎる上にコロナ。借金が重なる。コロナ対策の仕切りは全て自前でつくったとのお話。

ロシアの血が自分にはあるとの予測で、親は山形出身、山形は織物産業から、ロシアと交流が深かったのだとのお話です。

渡辺さんが上を向き、俺の目の色を見てと見せてくれたその目は、光に透けて爽やかなオリーブ色でした。

その帰り道、除染作業員の今野さんのお話を聞くことができました。給料は「それぞれ。値段はピンキリかな、1日1万くらい。仕事がそれしかない」。

除染作業というなかった風景がずっと続いていることが日常的にある会話に、自分も驚きや抵抗が薄まっている事にも怖さを感じました。

2013年から通い始め、マスクをしていた人はもう殆どいなかった福島で、また殆どの方がマスクを着用している。

事故が再び起きたような…神奈川も福島もみんな同じように脅威のコロナ、今回は世界中が怖い状態である事を感じました。

2013年でも測ってまわったら実際は東京下町はとくに神奈川だって線量は高かった。みんながマスクをする光景が実はあったのかもしれない・・

今回は福島に住む方へ、これから広島と長崎を描きたいと思っている事をお伝えし、どう感じるかについて僅かでも交流ができ、核兵器禁止条約があと7か国などについての自分の気持ちをお伝え出来、深いお話に展開出来た事も自己満足かもしれませんが心に残りました。

感覚がピンとなっているうちにメモ的に旅の報告をさせて頂きました。長いこと福島の自然を見ていなかったからよけいにピンピンし長文乱文失礼致しました。

親子お二人の牧場の持続化給付金のお手伝いを約束し、これから新作へ向かいます。

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