【3.11とアート】第6回 福島市での牧場展

山内若菜 3.11と私

2018年の夏は、福島市で個展を開催しました。タイトルは、「牧場 ペガサス 月食日食編」。内部と外部に分かれた展示でした。

最新作「牧場 日食」では、すべての命は名前のある命であり、固有の命であるという思いから始まりました。

太陽の赤い赤裸々なエネルギーに身を寄せ、生きるハナコであり、美和さんでありさゆりであり、そういう登場する生き物たちがその姿を失うことなく輝きながら、熱く、うねりになっていく鳥になって昇天していくようなイメージです。

広がって新しい地平を見つける、見つけたいような世界を福島で発表できた事は、忘れられない思い出となりました。

福島で今回、一生懸命見てもらえ、支えてくれる人と知り合えて、もっともっと中に入りたい気持ちが、熱くめらめらと絵を描きたい気持ちがわいてきています。

ペガサス(パノラマ)

 福島ではものが言いにくい、被曝の牧場はきっと受け入れられないだろうという周囲の予想の中、個展を終え、さまざまな糧がありました。

作品を見た中学生から「(不死の象徴)ペガサスなんて見えない」「もうちょっと分かりやすく描いて」という声も寄せられる一方、浪江町の飼主からは「こんな明るくないんだよ」「真っ暗で希望なんてない」といった感想が返ってきたりします。

福島やんばる

 中学生の感想の中にこんなものがあります。

「今まで学んできた広島と福島の関係は少なくないかなと思っていました。しかし今回のお話でどちらも人の記憶が頼りと言う共通点が見つかりました。広島は守られてきた記憶、福島は忘れられつつある記憶です。」

 牧歌的で、緑豊かで、群れがいて。一頭がいて、広大で。森の中で。福島で。

 私は描く時に、命の大きさを大きく描こうとし始めたことから始まり、すべて感覚で始まっています。

やんばる

対象として無限的な要素があり、過去も現在もあり、大も小もホーリズムもアニミズムもあって、「俺たちは棄民だ」と叫ぶ牧場主がその中で叫んでいる。

テーマは底無しです。追いたい。描けば描くほどに感じている。

 まず手を動かし、描きながら身体感覚で福島とどうつながれるか。それを考えていきたいと思います。

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