【日録】引退、ボランティアの日々

賃労働から基本的に引退して三年。現場で大変な思いで働いている学校労働者の皆さんからはどんな思いで見られるかは考えず、年金は不足しているが、こんな引退生活もできるよという報告である。

 退職前からやっているのが、週一日の自主夜間中学校ボランティアだ。中学の形式卒業生も対象になるようになり全国で十二万人以上が求めていると言われる学びの場だ。

昨春までみていたフィリピンから来た高校生が大学に合格し、昨夏からは中国から来た生徒の高校入試対策で日本語などを教えている。

大学時代に第二外国語で中国語をやった程度なので、中国語を教えてもらいながら日本語を教えるという関係だ。この記事が読まれる頃には高校入試の合否が出ているので、今は朗報を待つのみ。

一昨年には「がっこうⅡ」という四〇分弱のドキュメンタリー映画が森康行監督によって完成した。ナレーションは大竹しのぶ。一五年前の「こんばんは」の続編である。

夜間中学の公立化に向けた運動で今年も日本列島をこの映画が巡っている。私の属している夜間中学が半分近く映像化された。

外国籍の女性が夜間中学でやっと学ぶことできたことなど、貴重な内容が映像化されていて機会があったら見てほしい。

 この他に学習支援は臨市の教会で小学生相手の算数教室もやっている。中学生レベルだと文科系の人間にとっては自信がないが、小学生なら冗談を(しか?)言いつつ相手をしている。

 大人の視覚障がい者の同行援護も一昨年から始めた。自分一人では行くこともなさそうな所にも必要なコミュニケーションをとりつつ安全に案内する。

このボタンティアは男性が一割程度しかいないのが現実だ。トイレの問題も重要だ。中高年になり、様々な疾患で失明された人は外出そのものが極度に減ってしまう。

男性のボランティアの増加が求められるので退職が近い人たちも(特に男性に)一考してほしいものだ。

 もう一つは失語症者の話相手のボランティアだ。教員になる前に言語障害について一年間学んだのだが、すっかり内容は忘却に彼方だ。

失語症は九割が脳血管障害の後遺症である。対象者は二十万人から五十万人と言われる。中高年に発症することが多いために認知症とされてしまうことも多い。

「意思疎通支援者」の形が各自治体でST(言語聴覚士)の働きで出来つつあり、横浜、神奈川でもここ1,2年で研修が始まっている。このボランティアで我々高年齢者が有利なことが分かった。

やはり中高年者が多い失語症の人と、時代を共有しているので語彙や発想、思い出が共通しているということだ。言葉を引き出すのに年を取っているほうが良いこともあるのだ。

 ボランティアだけの生活だけでない。

時には地域の独立組合で一緒に闘った仲間が始めて八年も経った(!)ジャズ喫茶のライブに行ったり、同じ仲間が始めた「子ども食堂」で子ども達と時間を過ごしたりもしてきた引退生活だ。

コメント